6月 182017
 

3月に続いて boid マガジンに映画評を寄稿しました。

今回取り上げたのは、昨年のカンヌ映画祭で大いに評判を呼び、国際的に批評的成功を収めたドイツ映画『ありがとう、トニ・エルドマン』(マーレン・アーデ監督)です。劇場公開前の掲載ということで、普段はまったく意に介さないのですが、一応ネタバレしないように配慮して書いています(少なくとも本人としては、そのつもりです)。私はこの見事な作品の根底に、gnadenlos あるいは knallhart というドイツ語で形容するのが最も正確な感触を得ました。それはコメディの外観によって巧みに隠されている容赦のなさです。今回のレビューはこの感触をめぐって書かれていますが、同時にこの作品を背後で支える「コンプリーツェン・フィルム」という制作会社のこと、そして近年のドイツ映画に観察される才能豊かな女性監督の台頭についても触れています。
有料のウェブマガジンの記事ではありますが、ご一読いただけると嬉しいです。

ちなみに同じ号に掲載されている青山真治監督の連載日記「宝ヶ池の沈まぬ亀」が素晴らしい読みごたえです。この日記を読むためだけでも十分に講読の価値があると思います。是非。

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5月 172017
 

このたび大学の紀要に「群集の行動とディスポゼッションの理論 −ヴァイマル共和国時代の群集表象の批判的再検討にむけて−」というタイトルの論文(研究報告)を執筆しました。これは私が従来から取り組んでいるヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説史的研究に関連し、その理論的枠組をアップデートするために書かれたものです。近年、世界各地の都市で展開した新しいタイプの抗議運動を背景として、人々の「共同行動」や集団のパフォーマンスをめぐる理論的考察が活性化していますが、この論考ではそうした近年の理論的動向から特にジュディス・バトラーの「集会」(assembly)と「蜂起」(uprising)をめぐる考察を取り上げ、そこで提出されている理論的枠組や視座が、ヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説の分析にいかなる寄与をなしうるのかを検討しています。

あくまでも予備的な考察という位置づけの論考ですが、ご笑覧いただけると幸いです。

群集の行動とディスポゼッションの理論(機関リポジトリ)

 

4月 212017
 

表象文化論学会の学会誌『表象』11号に書評を寄稿しました。竹峰義和氏の著書『〈救済〉のメーディウム––ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会)の内容を紹介しつつ、若干のコメントを加えています。(学会誌の書評ということで、少し生真面目に書きすぎたかな・・・という気も。)

本書はフランクフルト学派の展開を思想家の系譜(ベンヤミン、アドルノ、ホルクハイマー、マルクーゼ、ハバーマス、ホネット等)に基づいて概観する従来のアプローチとは明確に一線を画し、ベンヤミン、アドルノ、クルーゲが形作る−−思想史と映画史の境界を横断する−−布置のもとで、フランクフルト学派の思考のアクチュアリティを探求しています。なぜひとはアドルノの文化産業論に今なおムキになって反論せずにはいられないのかという問題をアドルノのテクストに仕組まれたレトリカルな戦略の分析を通して考察する一章も痛快ですが、個人的には、ベンヤミンの複製技術論文の緻密な読解に大いに刺激を受けました。
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また現在も精力的に活動を継続している映画作家アレクサンダー・クルーゲの広範な仕事についての議論を日本語環境に本格的に導入した点も、本書の功績に挙げられるでしょう。同様に重要かつユニークなドイツの映画作家ハルーン・ファロッキの仕事は、日本でもそこそこ紹介されていますが、クルーゲの多面的な活動の全貌はいまだ未知の大陸にとどまっています。この本をきっかけにして、日本でもクルーゲの仕事への関心が高まり、作品を見ることのできる機会が増えていくと良いと思います。

なお今号の『表象』から、私も編集委員の一人として編集作業に関わっています。特集から投稿論文、書評まで、非常に中身の濃い充実した内容になっていますので、お手にとっていただけると幸いです。

3月 182017
 

このたび boid マガジンに空族の最新作『バンコクナイツ』(富田克也監督)のレビューを寄稿しました。
少し風変わりなタイトルですが、「理解すること」の問題性、「理解しないこと」のポテンシャルという観点からこの作品を考察しています。

空族の映画の力は世界を理解しないことにある。空族にとって、このクソのような世界を「理解する」ことは、それ自体ですでに「同意する」ことを意味しており、断じて受け入れることのできない事柄である。「グローバル化した現代世界は理解するのが難しい。普通の人々にも理解できるように、エリートは平明な言葉でグローバル化の恩恵を説明すべきだ」。世界各地でポピュリズムが台頭するのを目の当たりにして、多くの人々がそう語っている。しかし事実はまったく逆なのだ。私たちはあまりにも簡単にすべてを理解してしまう。そして理解することで、同意を与えてしてしまう。この世界がクソであることの原因の一端は、私たちがあまりに「物分かりがよい」ことにある。だとすれば、「世界を理解しない力」を獲得することは、このクソである世界を変える第一歩になるはずだ。何事も140字もあれば説明可能だとみなされている現代では、世界を理解しないことのほうがはるかに難しい。世界を理解しないでいること。それは怠惰であるどころか、途方もない量の労働と、思考のエネルギーを必要とする。空族の実践が示しているのはそのことである。

このレビューでは空族の映画実践への私なりの見方も示していますので、空族論としても読めると思います。関西圏での公開はこれからになります。ぜひ映画館でご覧になっていただきたい作品です。有料のウェブマガジンの配信記事となりますが、ご一読いただけると嬉しいです。ちなみにboid マガジンには空族の『バンコクナイツ』撮影日誌「潜行一千里」(全44回)も連載されていますので、そちらもぜひ。

5月 302016
 

東京でエリック・ロメール監督の特集上映「ロメールと女たち」が始まりました。
今回上映されるのは『コレクションする女』、『モード家の一夜』、『クレールの膝』、『海辺のポーリーヌ』、『満月の夜』、『緑の光線』、『レネットとミラベル/四つの冒険』、『友達の恋人』の6本で、このうち5本は大阪、京都、神戸でも上映予定があるようです。

というわけで2010年に執筆したロメール作品についての論考を蔵出しします。

野生の映画/映画の野生

ここでは今回上映される『レネットとミラベル/四つの冒険』と『緑の光線』を含む4作品について「野生」という切り口から考察しています。ちなみにこの論考が掲載されたnobody33号では、『ハッピーアワー』の濱口竜介監督をはじめ多彩な書き手がロメール作品を論じていますので、今回の特集の副読本にちょうどいいかもしれません。ジャン=マルク・ラランヌの講演も再録されてます。

6月にはアンスティチュ・フランスの特集上映でもロメール作品が数本上映されるようですし、新しい観客がロメール映画の魅力を発見する機会になればよいですねー。

 

5月 042016
 

これまで日本で紹介されることのなかったドイツの映像作家、クラウス・ウィボニー監督の上映会が同志社大学で開催されます。

物理学者・数学者・音楽家でもある映画作家クラウス・ウィボニーは、映像とは抽象的で時空間に出現し消滅する何ものかであり、現実を記録するイメージではないと言っている。ウィボニーは自作を「時間における印象主義的」作品と呼ぶ。ポール・シャリッツに捧げた『西洋の没落のためのエチュード』を始めとする『大地の歌シリーズ」や劇映画『オープン・ユニバース』で使われるフィルム断片の加工(赤青のフィルター、オーバーラップ、フェードアウト、ネガ反転等)と音楽的モンタージュにズレを伴う変調リズムの自作曲のコンビネーション、デジタル映像とドイツを代表する詩人ドリュス・グリューンバインとのコラボレーション作は、観客を尋常でない視聴覚体験に耽溺させる。(赤坂太輔)

監督自身も来日し、作品上映後には赤坂太輔さんとの対談が行われます。私も通訳としてサポートする予定です。ウィボニー監督の作品に触れる貴重な機会ですので、ぜひご来場ください。

開催日 2016年5月17日(火)
場所 同志社大学寒梅館クローバーホール

<当日のプログラム>
17:00 開場
18:00『オープン・ユニバース』(Das offene Universum. 1986-1900, 94min)
19:45 トーク:ウィボニー監督、赤坂太輔、通訳・海老根剛

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なお神戸と東京でも上映会があります。
詳細はこちらのページをご覧ください。

追記(2016年6月24日)
今回の上映会で行われたトークの採録が赤坂太輔さんのウェブサイトに掲載されました。
こちらもご覧ください。

クラウス・ウィボニー トーク&インタビュー(PDF)

 

1月 152016
 

nobody2016東京では昨年末に公開され、関西ではこれから公開になるアルノー・デプレシャンの新作『あの頃エッフェル塔の下で』について、批評的な文章(「美しき廃墟の前で」)を雑誌『nobody』最新号に寄稿しました。

この作品は国内外の映画批評家が選ぶ2015年のベストテンにもたびたび登場した秀作ですが、デプレシャンのこれまでの映画作りのエッセンスを凝縮したような、とても魅力的な作品になっています。私の論考ではデプレシャンの初期作品(特に『魂を救え!』と『そして僕は恋をする』)と関係づけならが、この作品が描き出す豊かな時間のイメージを考察しています。

なお今号のnobodyではデプレシャンの新作とならんで、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』、鈴木卓爾監督の『ジョギング渡り鳥』、そして21世紀のマノエル・ド・オリヴェリラ作品(『アンジェリカの微笑み』ほか)が特集されています。いずれも関西では現在上映中、またはこれから公開の作品ばかりです。まだすべて読んだわけではありませんが、読みどころの多い充実した記事がならんでいます。
ぜひ鑑賞のお供にお手にとっていただけると幸いです。

nobody  #44(オンラインストア)

 

11月 252015
 

Symposium15このたび大阪市立大学文学研究科では国際シンポジウム「文化接触のコンテクストとコンフリクト EU諸地域における環境・生活圏・都市」を開催します。私は企画運営に関わっています(当日、司会もします)。ヨーロッパの諸地域と日本における都市や環境をめぐるコンフリクトの事例を取り上げながら、異なる文化や社会集団に属する人々の共生可能性(conviviality)の場としての共同生活圏が対立や葛藤を通して形成される文脈を考察します。特別ゲストとしてドイツから環境史学者ヨアヒム・ラートカウ氏(ビーレフェルト大学名誉教授)と都市民族学者ヴォルフガング・カシューバ氏(ベルリン・フンボルト大学教授)を招聘し、日本の気鋭の研究者を交えて発表と議論を行います。ぜひご参加ください。

日時 2015年12月4日(金)−12月6日(日)

会場 初日は大阪歴史博物館講堂、二日目・三日目は大阪市立大学田中記念館

プログラム こちらのチラシをご覧ください。

事前申込不要・参加費無料