コンテンツへスキップ

cinema

映画が姿をあらわすとき
『FUGAKU』シリーズのためのいくつかの補助線

青山真治監督が多摩美術大学で教鞭を執っていたときに学生たちと制作したした『FUGAKU』シリーズが、ストリーミングサイト GHOST STREAM で配信されることになりました。配信開始に合わせて、3つの中編からなるこのシリーズのユニークな魅力について、いくつかの切り口から考察しました。作品鑑賞と合わせてご一読いただければ幸いです。

ポン・ジュノ or ホン・サンス? – ポン・ジュノ and ホン・サンス!
『ドライブ・マイ・カー』&『偶然と想像』

ナンニ・モレッティの『親愛なる日記』にとても好きな場面がある。それは三部構成の第一部「ベスパに乗って」の一場面で、モレッティが交差点で信号待ちをしていると隣にオープンカーがやってきて停車する。この車とそれを運転している男を見たモレッティは、不意にベスパから降りて男に近づき、一方的… 続きを読む »ポン・ジュノ or ホン・サンス? – ポン・ジュノ and ホン・サンス!
『ドライブ・マイ・カー』&『偶然と想像』

傾きゆく世界に立つ /『彼女はひとり』

地方都市に住んでいると新作映画についてタイミングよくTwitter でつぶやくのが難しい。ハリウッドや邦画のメジャーな作品を除いて新作映画の公開日は東京から数週間から数ヶ月遅れるのが普通なので、ようやく見た時点ではたいていTwitter での盛り上がりの時期を過ぎている。もちろん… 続きを読む »傾きゆく世界に立つ /『彼女はひとり』

アメリカのミュージカル映画のスタイル(リック・アルトマン)

授業で使用するために日本語に訳した文章を公開します。今回翻訳したのは、Rick Altman: The American Film Musical. (Indiana University Press, 1987) の第4章 The Style of the American Film Musical にある “Audio Dissolve” と題された1節です。訳出した部分では、ミュージカル映画における音楽の機能的特徴、そして歌・音楽・ダンスの結びつきが明晰に論じられています。

メディア技術に媒介された文化におけるライヴ・パフォーマンス(フィリップ・オースランダー)

授業用教材として翻訳したフィリップ・オースランダーの文章を公開します。 Philip Auslander: Liveness. Performance in A Mediatized Culture (Second Edition, 2008) の第2章 “Live performance in a mediatized culture” の部分訳です。オースランダーの著作は複製技術メディアとライヴ的なものの関係を議論するさいの基本文献として、いまなお重要性を失っていないと思います。今回はオースランダーによるライヴ性(Liveness)概念の再検討の中核をなす部分を取り出して訳出しています。

『涙の塩』− ガレルの映画の「見やすさ」について

アンスティチュ・フランセが主催する第三回映画批評月間でフィリップ・ガレルの新作『涙の塩』を見る。 ガレルの映画は基本的に見やすい。とりわけ『ジェラシー』(2013年)以後の一連の作品はとてつもなく見やすい。それらの作品を見ると、映画が映画として成立するために必要なものは何かという… 続きを読む »『涙の塩』− ガレルの映画の「見やすさ」について

〈映画/批評月間 2021〉(ソフィー・ルトゥルヌール特集 @シネ・ヌーヴォ)で上映後トークをします

4月24日〜30日の日程でシネ・ヌーヴォで開催される映画/批評月間で『奥様は妊娠中』(ソフィー・ルトゥルヌール監督)の上映後にトークをします。今回3本の作品(『奥様は妊娠中』、『思い出の船乗り』『セックス・アンド・ザ・フェスティバル』)が上映されるルトゥルヌール監督の映画のユニークで挑発的な魅力についてお話する予定です。
4月25日(日)『奥様は妊娠中』(16:40〜)の上映後です。

『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』のフレーム
戯曲を映画に翻訳するということ

先日、国立国際美術館で開催された「松村浩行 レトロスペクティブ」でようやく『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』を見ることができた。この作品については、ずっと昔から、僕が信頼する知人・友人に話を聞いていて、どこかで見る機会はないものかと思っていたので、唐突に… 続きを読む »『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』のフレーム
戯曲を映画に翻訳するということ

『アウトゼア』(伊藤丈紘監督)上映後トーク @「新世代映画ショーケース2021」(出町座)

関西のミニシアター4館(シネ・ヌーヴォ、元町映画館、京都みなみ会館、出町座)が共同企画し、注目の若手映画作家を紹介する特集上映「次世代映画ショーケース 2021」が今年も開催されます。昨年はコロナウィルスの感染拡大のため開催できませんしたが、2019年度の第1回は大いに盛り上がり… 続きを読む »『アウトゼア』(伊藤丈紘監督)上映後トーク @「新世代映画ショーケース2021」(出町座)

愚か者たちのいない場所で / 『可傷的な歴史(ロードムーヴィー)』

京都のE9で田中功起の『可傷的な歴史(ロードムーヴィー)』を見る。 E9は劇場なので厳密には映画館ではないけれども、今回の上映のフォーマットは完全に映画館と同じだった。大きなスクリーンがあり、それに向き合うかたちで階段状に座席が並べられ、完全に暗転された状態で他のお客さんといっし… 続きを読む »愚か者たちのいない場所で / 『可傷的な歴史(ロードムーヴィー)』

セルゲイ・ロズニツァ 自由裁量の王国

 ロズニツァの『アウステルリッツ』(2016年)でもっとも驚かされるのは、被写体への関与の徹底した欠如だ。この映画には被写体と向きあうという契機がほとんど存在しない。撮影する側が被写体のふるまいや存在の仕方に影響を与え、撮影されることで被写体が変化するというようなプロセスが存在し… 続きを読む »セルゲイ・ロズニツァ 自由裁量の王国

名前のない街、顔のない女 『VIDEOPHOBIA』試論

宮崎大祐監督の新作『VIDOEPHOBIA』について、批評的論考を boid マガジンに寄稿しました。
極端に個性的なランドマーク的景観と極端に没個性な匿名的景観が隣り合う大阪特有の都市空間に、映画がどのようにアプローチしうるのかという点でも非常に興味深い作品になっています。『大和(カリフォルニア)』や『TOURISM』で磨かれた現代の都市空間への眼差しが、大阪を舞台に存分に発揮された魅力的な作品です。