10月 292019
 

2019年7月7日(日)に京都大学で開催された第14回表象文化論学会でのパネル発表「ベルリン、大都市のポリフォニー──群衆の夢/個の記憶」の報告が掲載されています。私はコメンテーターとして参加しました。報告は山口庸子先生(名古屋大学)が執筆しています。

パネル報告「ベルリン、大都市のポリフォニー──群衆の夢/個の記憶」

ご覧ください。

3月 062018
 

かつてドイツ学術交流会(DAAD)の「友の会」の年報『ECHOS』に寄稿した小文のことを思い出したので蔵出しします。

この年報はDAAD東京事務所開設30周年を記念して、DAADの給費留学生としてドイツの大学に留学した人が自身の留学体験を振り返るという体裁の文章が集められた小冊子ですが、そこで私はベルリン・ジャンダルメンマルクトで体験した出来事について書いています。私が群集という主題に取り組むことになったきっかけのひとつです。ご笑覧ください。

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6月 182017
 

3月に続いて boid マガジンに映画評を寄稿しました。

今回取り上げたのは、昨年のカンヌ映画祭で大いに評判を呼び、国際的に批評的成功を収めたドイツ映画『ありがとう、トニ・エルドマン』(マーレン・アーデ監督)です。劇場公開前の掲載ということで、普段はまったく意に介さないのですが、一応ネタバレしないように配慮して書いています(少なくとも本人としては、そのつもりです)。私はこの見事な作品の根底に、gnadenlos あるいは knallhart というドイツ語で形容するのがふさわしい感触を得ました。それはコメディの外観によって巧みに隠された眼差しの厳しさです。今回のレビューはこの感触をめぐって書かれていますが、同時にこの作品を背後で支える「コンプリーツェン・フィルム」という制作会社のこと、そして近年のドイツ映画に観察される才能豊かな女性監督の台頭についても触れています。

『ありがとう、トニ・エルドマン』で、マーレン・アーデが断固として拒否していることがひとつある。それは改心と和解の物語を語ることである。家族との絆も人生の幸福も顧みることなく世界中を飛び回り、ビジネスエリートとしてのキャリアを追求している一人の女性が、突然生活に介入してきた父親との衝突を通して改心し、ついには家族の価値と人間らしさを取り戻すという物語。『ありがとう、トニ・エルドマン』は、そうした物語から最大限の距離を取ろうとする。この映画でイネスはまったく改心しない。彼女は彼女のままであり、父親の生きる世界と娘の生きる世界との懸隔が解消されることもない。この事実をアーデは誤解の余地のない仕方で観客に示している。イネスがマッキンゼーに転職し、シンガポールに移住する予定であることを、私たちは映画の最後で知るのである。
ここにいたって私たちは、『ありがとう、トニ・エルドマン』のもうひとつの容赦のなさに触れることになる。すなわち、父と娘の関係を見つめるマーレン・アーデの眼差しの容赦のなさに。父と娘の人生は、二人の人間の別々の人生であり、父親が何を望もうと勝手だが、それで娘の人生を変えることなどできはしない。父と娘が選びとったそれぞれの人生の軌跡がいつしか乖離し、二人の生きる世界が隔絶してしまうとき、彼らにできるのは、その事実を肯定することでしかない。父親が娘に与えたものがあり、娘が父親に与えたものもある。父と娘はそれを携えながら、それぞれの人生を歩むしかない。

有料のウェブマガジンの記事ではありますが、ご一読いただけると嬉しいです。

ちなみに同じ号に掲載されている青山真治監督の連載日記「宝ヶ池の沈まぬ亀」が素晴らしい読みごたえです。この日記を読むためだけでも十分に講読の価値があると思います。是非。

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5月 172017
 

このたび大学の紀要に「群集の行動とディスポゼッションの理論 −ヴァイマル共和国時代の群集表象の批判的再検討にむけて−」というタイトルの論文(研究報告)を執筆しました。これは私が従来から取り組んでいるヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説史的研究に関連し、その理論的枠組をアップデートするために書かれたものです。近年、世界各地の都市で展開した新しいタイプの抗議運動を背景として、人々の「共同行動」や集団のパフォーマンスをめぐる理論的考察が活性化していますが、この論考ではそうした近年の理論的動向から特にジュディス・バトラーの「集会」(assembly)と「蜂起」(uprising)をめぐる考察を取り上げ、そこで提出されている理論的枠組や視座が、ヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説の分析にいかなる寄与をなしうるのかを検討しています。

あくまでも予備的な考察という位置づけの論考ですが、ご笑覧いただけると幸いです。

群集の行動とディスポゼッションの理論(機関リポジトリ)  

4月 012015
 

germanyこのたびミネルヴァ書房の世界文化シリーズ第4巻として刊行された『ドイツ文化 55のキーワード』(宮田眞治、畠山寛、濱中春 編)に「ベルリン映画祭 都市の歴史とともに」という文章を寄稿しました。短い文章ではありますが、映画祭の誕生から今日までの歩みをベルリンという都市の歴史的変転と結びつけて記述しています。

本書は多数のキーワードを糸口にしてドイツ(語圏)の文化の多面性を生き生きと描き出しています。ひとつひとつの文章は短いですが、全体としては学問的知識に裏打ちされた密度の濃い読み物に仕上がっています。手に取っていただけると幸いです。

ミネルヴァ書房HP

11月 212012
 

ドイツ反原発運動小史このたびヨアヒム・ラートカウ著『ドイツ反原発運動小史 原子力産業・核エネルギー・公共性』がみすず書房から翻訳出版されました。『自然と権力』に続き、今回も私と森田直子さんとの共訳です。本書は昨年秋に『みすず』に掲載され話題になった論考「ドイツ反原発運動小史」を含む4つ文章とオリジナルのインタビューから構成されています。

4編の論考の内訳は、フクシマ後1年の節目に新聞に寄稿されたエッセイ「あれから一年、フクシマを考える」(2012年3月)、福島の原発事故とドイツの政策転換を受けて執筆された「ドイツ反原発運動小史」(2011年)、1983年に出版された大著『ドイツ原子力産業の興隆と危機 1945-1975』の「結論」、そしてその続編的な内容を持つ論文「核エネルギーの歴史への問い 時代の趨勢における視点の変化(1975-1986)」(1993年)です。

みすず書房の書籍紹介ページ

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6月 082012
 

"Erfindung von „Girl-Kultur“. Eine vergleichende Betrachtung des Amerikanisierungsdiskurses der Zwischenkriegszeit in Deutschland und Japan." Verfasst von EBINE Takeshi (Osaka City University).

In diesem Aufsatz geht es um eine komplexe, kulturspezifische Dynamik der "Amerikanisierung". Im Aufsatz soll eine vergleichende Betrachtung der Amerikanisierungsdiskurse in Deutschland und Japan in den 1920er und früheren 30er Jahren unternommen werden. Hier werden die Amerikanismusdebatte und die Thematisierung von „Girls“ als Sinnbild der amerikanischen und auch amerikanisierten Kultur in den beiden Ländern skizziert. (In: Transkulturalität. Identitäten in neuem Licht. 2012 Iudicium Verlag München.)

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3月 262012
 

ようやく二冊の大著の翻訳が終わるので、ずっと放置していた博士論文の加筆修正および出版に向けた作業を始めようと思います。ここではひとまず論文目次(詳細版)を掲載してみます。

この博士論文では、ヴァイマル共和国時代の群集(Masse)をめぐる言説の展開を、文学、思想、社会学、精神分析学などの言説ジャンルの境界を横断する視点から考察しています。このような領域横断的アプローチを採用することにより、この論文はヴァイマル共和国時代の群集をめぐる膨大かつ多様な言説の根底にある共通の理論的枠組み(パラダイム)を指摘し、さらにそのパラダイムが共和国の社会的状況の変化とも連動するかたちで二度にわたって大きく変容したことを明らかにしています。さらにまた、ヴァイマル共和国時代についての文学研究として、この論文は当時群集というテーマを媒介として文学作品と同時代の理論的言説とのあいだに生じた多様かつ密接な諸連関を照らし出すことを目指してもいます。これまでの文学作品に限定された研究においては見逃されがちであった当時の文学的実践の力学の一側面が明示されています。

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1月 192012
 

大阪市立大学文学研究科では、ドイツ・ビーレフェルト大学名誉教授ヨアヒム・ラートカウ氏によるレクチャーを下記の日程で開催します。一般の方の参加も歓迎しますので、ご関心をお持ちの方はお気軽にご来場ください。

Germany, Japan and the Atom: a Nuclear Approach to Comparative History
Prof. Joachim Radkau (Bielefeld University, Germany)

主催:大阪市立大学文学研究科重点研究
共催:大阪市立大学文学研究科インターナショナルスクール
日時:2012 年 1 月 31 日(火)18:30-21:00
場所:大阪市立大学文化交流センター(大阪駅前第2ビル 6 階)、大セミナー室

*参加費無料/事前申込不要/一般来聴歓迎
*使用言語:英語(ただし質疑応答には通訳がつきます。)

講演概要:日独両国の戦後史には目立った共通点がある。ともに破滅的な敗戦から立ち直り、「経済の奇跡」を経験し、ともに核保有を求めながら核保有国とはならなかった。両国は核をめぐって長く似たような歩みを経験してきた。ドイツでは当初「平和的な核」への熱狂は日本より大きかったが、その後核をめぐる論争は世界のどの国よりも熱を帯びて持続した。福島原発事故も、ドイツでは日本よりも大きな反響を呼んだように思われる。核エネルギーの歴史はパラドックスに満ちている。日独の相互比較から見えてくるものを考えたい。

講演者紹介: ヨアヒム・ラートカウ(Joachm Radkau)。原子力技術・産業史、環境史、森林史、技術史、マックス・ウェーバー研究で活躍中。環境史の大著『自然と権力』(海老根剛・森田直子 訳)がみすず書房より刊行予定。講演に関係する文献として「ドイツ反原発運動小史」(上)(下)(森田直子・海老根剛 訳)『みすず』599号(2011年11月号)、600号(2011年12月)がある。

講演会案内(PDF)

ラートカウ氏の原子力の社会技術史的研究については、こちらの拙訳およびこちらのエントリー()もご参照ください。

12月 302011
 

先月号に続いて、ドイツの環境史家ヨアヒム・ラートカウ氏の論考を『みすず』(12月号)に訳出しています(森田直子さんと共訳)。この後編では、1980年代から現在にいたる運動の展開が論じられています。キーワードは、緑の党、原子力と核武装、チェルノブイリ、最終処分地問題、新しい啓蒙などです。関心のある方はぜひ読んでみてください。

『みすず』12月号

なおラートカウ氏の主著『自然と権力』は来年早々にもみすず書房から刊行の予定です。