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宇宙映画上映会 Vol. 4「量への抵抗」
対談採録 松村浩行監督 × 海老根剛

以下に掲載するのは、2024年12月22日に開催された松村浩行監督特集上映(宇宙映画上映会 Vol. 4 量への抵抗、京都大学西部構堂)で行われた対談の採録です。このたび関係者の許可を得られましたのでウェブ公開します。「松村浩行監督 特集上映 講演録」(宇宙映画上映会発行)17-31頁を底本としていますが、私の発言のみ冗長だったところに若干手を入れています。また講演録に付された注およびルビは本文中の〔 〕内に記載しました。なおこの日はこの対談に先だって、松村監督と行田洋斗さんの対談も行われました。

 

***

海老根剛 どうもお疲れ様でした。今回この環境で見てみると全然印象が違っていて、僕自身もかなり発見がありました。この映画(『TOCHKA』)についてよく言われることのひとつに、トーチカが映画館を思わせるというのがあります。銃眼のところがスクリーンのように見えるという話をよく聞くんですね。僕なんかは「いやそうは言っても、トーチカには座り心地のいい椅子もないし、冷暖房もないから、ちょっと違うんじゃないの」と思ってたんですけど、今日ここでこの映画を見て、本当にトーチカの中で見ているような気分になりました(笑)。この寒さのなか、外気も入ってくる環境で見たことで、かなり得難い『TOCHKA』体験になったかなと思います。
 さっき監督と少しお話をして、今日はまず私のほうでいくつかテーマみたいなものを出したうえで、監督にはそこから自由に選んで答えてもらう形にしようかなと思います。この『TOCHKA』については、錚々たるメンバーがすでに監督と対談をしていて、その記録も結構活字化されていますし、監督としても語り尽くしている感もあるんじゃないかと思います。ですので今回は、今から振り返ってみて監督自身にこれらの作品がどんな風に見えているのかも聞ければと思います。当時の見方は今も揺るぎなく変わっていないのか、今だったら違うようにするかもしれない点もあるのか、時間があれば、そういう話もできたらと思っています。

松村浩行監督 はい。

海老根 最初に上映されたのは処女作の『よろこび』でした。僕は今回はじめて見たんですけど、驚いたのは、最初の作品ですでに「労働」というテーマが描かれていることでした。ですので、まず「労働」という観点から話を始めてみたいと思います。映画を作ることを「労働」と捉えることは、映画を単に美学的な対象として見るのではなく、美学と政治と経済の交点で作られるものとして見ることです。そういう視点から松村監督の作品を見ていく場合、先ほどのトークで行田さんがお話しされたように、一方ではストローブ=ユイレの映画があるわけですよね。彼らの映画は単に美学的に優れているのではない。彼らの映画が重要なのは、彼らが美学と政治と経済の交点において映画の可能性を探究したからだと思うんです。彼らの映画がいまここに存在しているということが、この資本主義社会の中で映画を撮ろうとする映画作家にとって、ひとつの可能性であり、目の上のタンコブでもある。そういう存在ですよね。彼らがいることによって、ただ普通に商業映画を撮ればいいのだという意見に対して、「いや、そうじゃない仕方で仕事をした人たちがいますよ、それで二十数本優れた作品を撮った人たちがいますよ」と言うことができる。それがストローブ=ユイレの存在だと思うんです。そうしたことが可能であることを、彼らの作品は証明してみせている。そこにあるのは、映画作家なら誰もが直面する問題です。商業映画は映画に対する情熱と欲望を持った人たちが集まって作っているわけです。そこには映画を愛する人たちがいて、お金の関係を越えた共闘みたいなものが息づいている。しかしそれはまた同時に、商業映画である限り、必ず賃労働でもあって、搾取の構造が紛れもなく存在している。映画の現場というのは、搾取などの賃労働の現実と、映画に対する欲望や連帯がせめぎ合う場所だと思うんです。これは抽象的な話ではなく、個々のショットや画面に表れていて、それが映画の形を作っていく。だから、もし今撮られている映画とは違う可能性を探究しようと本気で考えるなら、美学と政治と経済が交わる地点で考えざるを得ないわけです。それは商業映画を撮る人が多かれ少なかれ直面しているだけでなく、そこから離れている人もまた直面する問題だと思います。松村監督の作品というのは、いま見た『TOCHKA』もそうですけど、度外れな作品を撮るために美学、政治、経済のいかなる組み合わせが必要なのかを熟考して作られているような気がします。監督はそうした熟考のもとで、一本一本の作品をゆっくり——ゆっくりかどうかは知りませんけど(笑)——作っているように思えます。だからこそ、松村監督の作品は神出鬼没的に再浮上する。『TOCHKA』は作られてからもう15年くらい経っているわけですが、それでも人々は忘れないわけです。監督に声をかけて上映会をしてしまう。この作品が存在するということを定期的に確認したくなってしまう。そんな作品なのだと思います。そういうわけで、まずは「労働」という観点から見てみようと思いました。
 それで『よろこび』ですけど、ここで描かれる「リズム社」の仕事をブルシット・ジョブと呼ぶこともありますが、デイヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ」はホワイトカラーの中間管理職とかロビイストの仕事が典型なんですよね。『よろこび』は英語タイトルが「Factory Girl」になっていますし、「労働者」という視点で見るほうが射程が広いかなと思います。映画の冒頭でまず2種類の演奏行為が示されます。笛の若者たちはお金をくれた人間を殴る、つまり演奏行為を商品化するのを拒む非常に過激な人たちとして登場してきますが、リズム社の人たちのほうは「はい君、千円」みたいな感じで露骨に賃金労働者として描かれています。そういう二つの演奏のモデルが最初から対置されていて、そこで主人公が賃労働から脱出するという話になっていたように思います。これは美学校の修了制作で、商業映画の現場に出ても大丈夫なように、そういう座組で作られたんですよね。そのことに非常に戸惑いがあったと監督が仰っているのを読みました。そこで修了制作のときに「労働」というテーマに至った経緯を聞いてみたいです。それともうひとつは、これを『よろこび』と名づけたことですね。そこが面白いと思っていて、実際この映画には見ていて笑っちゃうところがたくさんあります。遠山さんのカメラの前での存在感が素晴らしいで作品ですが、たとえば冒頭で彼女と隣の女性のカットが目線で切り替わるところや、遠山さんと後ろにいる西山さんのあいだでピントを送り合うところなど、非常にユーモラスです。『TOCHKA』にはあまり笑えるところはないですが、この一本目には「よろこび」を感じるんですよね。主人公は労働によって搾取されているんだけど、作品そのものには映画を作ることのアナーキーな楽しさが漲っている。だから『よろこび』というタイトルは良いなあと思うんですが、このタイトルにした理由もお聞きしたいです。
 次に2本目の『YESMAN/NOMAN/MORE YESMAN』です。この作品はブレヒトの翻案ですけど、『よろこび』とは全然違う挑戦だったと思います。『よろこび』はプロの俳優ではないにせよ、映画志望の人たちが出演していました。それに対してこの作品は、プロの俳優じゃない素人を使っている。しかも外国人のネイティヴじゃない人に日本語をしゃべらせている。つまり二つのハードルがあったわけです。監督がお書きになっているように、それは二つの制度的な抑圧であり、出演者は映画の演出・制作という制度および日本語という制度と向かい合わねばならなかった。やはりここでも監督と演者の関係という形で映画における労働が問題になっている。ちなみに『よろこび』には、西山さんが滅茶苦茶にドラムを乱打して社長にビンタされる場面がありました。あれも見ようによっては、監督が「お前いいかげんな演技してんじゃねえよ、バシバシ!」とやっているように見えなくもない(笑)。それが『YESMAN/NOMAN』では、もっとベーシックなレベルで問題になっていると思います。さきほどの対談でも、演出時にどういう点に注意したかお話されていましたが、僕の興味は、出演者がやったことに対してNGを出したのかということです。それとも原則的にNGは出さなかったのか。もし出したとしたら、どういうところで出したのかということを知りたいです。
 3本目の『つかのまの秘密さ海の城で~水無月蜜柑試篇』は少しイレギュラーな作品だということですね。元々、あがた森魚さんに『TOCHKA』に出てもらおうというアイデアがあって話を持っていたところ、一緒にできるかどうかの確認も兼ねて、ライブの前に上映する映像作品を撮ることになったという話を読みました。それでなのかなと思うんですけど、この作品を見て一番驚くのは、あがたさんが歌い出すと音が切れるという点です。「いよいよ歌うぞ」っていうところになると急に無音になる。かと思うと、教室みたいなところでフィックスで撮ってるところでは、たっぷり演奏を聞かせています。この選択もすごくおもしろといと思いました。ライヴ演奏では音を消して、打ち合わせや雑談の合間になされる演奏行為をじっくり見せる選択をしたのはどういうことなのか聞ければと思います。
 最後『TOCHKA』ですが、ここでは第一線で活躍しているプロの俳優さんを主演に据えて映画を撮るということにチャレンジしています。ただしそこで撮られた映画は、いま見たように、度外れなものなわけです。照明の作り方も普通の劇映画とは全然違うし、カメラのポジションも違う。カット割りもちょっと尋常じゃない。音もそうです。商業映画の基準からしたらかなりイレギュラーなものに、プロの女優さんと男優さんが出演してもらうためには、相当な準備というか、現場に行く前の段階でのかなり周到な作業があったんじゃないかと思います。この二人が参加するようになるまでのプロセスと、出演が決まってから彼らにこの映画をどう理解してもらったのか、そして演じてもらったのかということを伺いたいです。俳優さんからしたら「お前、そんなところから撮るのか?」みたいなカットもあったと思いますし、「こんなに暗くて俺見えんのかよ……」と思ったりしたんじゃないかなと。そのあたりで、どんな準備作業のもとでプロの俳優との仕事が可能になったのか、このあたりをまず聞いてみたいです。

松村 ありがとうございます。いま海老根さんが最初に切り口として提示してくださった、政治、美学、経済の3つの交点という問題は、こうしたアフタートーク的な場ではあまり話題にはならないので、ありがたいなと思っています。どうしてかというと、僕が日頃考えているのもやはりそういうことなのであって。ストローブ=ユイレとか、作品そのものの素晴らしさはもちろんですが、それ以上に、その三つの交点に立って困難な仕事をし終えた人たちが実際にいたっていうことが重要で、目の上のタンコブという言葉を使われましたけど、自分にとってはまさにそれで。自分に突きつけられた刃というか宿題というような気がしています。そういうことも関係させながら、色々お答えしていきたいと思うんですけど。
 まず『よろこび』について言うと、労働という問題をどうして主題として選び取ったかというのは、ちょっと曖昧模糊としていまして、たぶんいくつか源流になるような自分の中の出来事があったと思います。一つは、僕の実体験として。『よろこび』は大学を出て2、3年くらい経ってからの作品なんですが、映画美学校に入るまでの間、食品工場の夜勤でレーンに立ってコンビニのサンドイッチとか作ったりしていたんです。そういう個人的な、けっして楽ではない労働の現場を経験して身に沁みて感じたことも、必ずあると思います。もう一つは、これは映画寄りのことで、この映画を撮る1、2年前かな、ゴダールの『二人の子どもフランス漫遊記』〔アンヌ=マリー・ミエヴィル、ジャン=リュック・ゴダール、1979年公開〕を見る機会がありまして。その中で「カンパニー」という言葉をゴダールが取り上げていて、それは要するにダブルミーニングなんですよね。「仲間」としてのカンパニーと「会社」としてのカンパニーという、ゴダール的な言葉遊びなんですけど、それが印象に残って、見た後ノートにメモした記憶があります。『よろこび』の中で「カンパニー」という言葉が出てくるのは、その痕跡だと思います。もう一つは、もっとくだらない理由で、僕の地元に中古アナログ専門の、年配のおじさんがやっているボロボロのレコード屋さんがありまして、そのお店が「リズム社」だったんですが、面白い名前だなって思って。もしそういう名前の会社が本当にあったら、いったいどんな仕事をしているんだろうと。自分で話を考えるとき、そういったことが入り混じっていたように思います。あと、これは実際にプロットを書いている段階なんですが、ブレヒトの戯曲のようにこれから起こることをまず最初に見出しで書いて、そこから出来事を書くっていう。新聞の見出しのように最初の1行で内容を要約しているような書き方をしていたんです。そういうチャプターを何個か作って全体を構成するっていう。だからブレヒトの影響もあったのかなと思います。

海老根 「よろこび」というタイトルはどうしてですか?

松村 それも記憶がやや曖昧なんですが、確か最初から「よろこび」というタイトルをつけていたんですね。ベルナノス〔1888-1948, フランスの小説家〕に同じタイトルの小説があって(原題はLa Joie)、その翻訳の題がひらがな表記の「よろこび」だったんです。それが頭に残っていたのかなと思います。ベルナノスはご存じの通り、『処女ムシェット』や『田舎司祭の日記』を原作にしてロベール・ブレッソンが映画を撮っていて、そういうこともあってベルナノスの著作集を古本で買って読んでいたので、そこから出てきた言葉だったのかなと。と言っても、タイトルに話を寄せていくというよりは、内容とは直接関係のない、一定の距離を取ったところにある言葉として、映画全体が対象化するような言葉として良いかなと思って、つけたような記憶があります。

海老根 なるほどそうだったんですね。『YESMAN/NOMAN/MORE YESMAN』の素人俳優との作業はどうでしょうか?

松村 演出の現場で言うと、僕がNGを出したのはこちらで用意していたテキストを完走できなかった時がほとんどだったと思います。それ以外のニュアンスというか、テキストを発話するときにそこに込めたものに関しては、特にそれを弾くようなことはしてなくて。ただ、やっぱり読み上げてもらうテキストにはそれなりに長くて難しいものもあったので、そうなるとどうしてもテイクが重なってしまって、例えば黒板の前で先生がカメラを向いてしゃべっている最初のカットは、たぶん60テイクくらい…

海老根 それは途中で詰まっちゃうということでしょうか?

松村:はい。東京の池袋にあるフランク・ロイド・ライトが設計した自由学園〔1921年竣工、自由学園明日館〕で、一日で撮らせてもらうつもりだったんですけど、結局2日かかってしまいまして。でもそれは、先ほど行田さんとも話したように、先生役のフィリップさんのモチベーションが非常に高くて、できない自分を許せないというような熱意を持っている方だったんですね。だからこちらもとことん付き合おうと思って2日間で計50-60カットはいったかなと思います。ちょっとその話の続きで言うと、海老根さんがもう見抜いてくださっていたと思うんですけど、映画の演出として僕が強制するものというのは、決してキャラクターを作るとかではなくて、テキストを読み上げるというのに特化していたので、それについてはやっぱり厳しく拘るわけですね。加えて、カメラポジションがきっちり決まっている映画だったので、フレームの中での立ち位置も厳密に定まっていて、そういうことにも不自由を感じていた方がいたんじゃないかと思います。それは特に3人の弟子の中の1人で中心的な役割をしていた、先生にいつも意見を聞く方ですね、ボル・マーローさんという、彼はドイツ・フランスにルーツを持つ、美術や音楽をやっているアーティストなんですけど、そのような演出に対して彼が一番ストレスを感じていまして。特に山、先ほど言ったように電気・水道がないところに閉じ込められて、あれをやれ、これをやれと指示されていいたので、ちょっともう爆発していたわけです。僕のことを陰で「ヒットラー」と呼んでいまして、まさに政治と美学の交点というか、「このヒットラーみたい奴が、なんてことさせやがるんだ」というような感じでした(笑)。でも山の撮影も映画最後まで投げ出さずにやってくださって、さらに、スクリーンプロセスっぽい山登りの、尾根越えのカットがあったと思うんです、あれは山での撮影後、少し時間が経ってから撮っているんですね。正直もう来てくれないんじゃないかなんてと言っていたんですが……そこもちゃんと来てくれて。ボルさんは、まさに海老根さんがさっき言われたように、制度を強制する意味での演出の犠牲者というか、告発者であったというふうに今も胸に刻まれています。

海老根 あの斜面のところは、3人が画面内できれいに並びます。そのとき彼が真ん中で立ち止まらないとハマらないですよね。

松村 はい。

海老根 彼としてはそれが相当ストレスだったと。

松村 もう、すごいストレスを感じていたと思いますね。「ヒットラー」ですから。

海老根 (笑)やはりそういう局面もあったということですね。

松村 そうですね。

海老根 あがたさんとの作品ですが、歌うところで音を消していたのはどんな感じでしょうか。

松村 さっき海老根さんが言われたように、元々ライブ前に上映するために作った映像だったんです。お客さんはこれからライブが始まってあがたさんの音楽を聴くんだから、映像の中で音楽を聴く必要はないだろうという思いがあったんですね。もう一つ、これは僕のちょっとひねくれているところで、そうそう簡単に聴かせてたまるかっていう。ゴダールの『ワン・プラス・ワン』〔ジャン=リュック・ゴダール監督、1968年〕の延々作りかけのバージョンばかり聴かされるストレス、最後まですっきり行かない感じというのは頭にあって、先ほど言われた、引いた画〔え〕のリハーサルのところなどは、まさにそういう意図で撮っていたのかなという気がします。

海老根 それに関して、あがたさんのほうからは別に何も反発はなかったんですか?

松村 ライブの音を消したことに関してはなぜかなかったんですよね。他の思いがけないところでは色々あるんですけど。リハのパートに関しても、ご自分で演奏しているからなのか分かりませんが、なかったですね、特に。

海老根 ではどういうところで二人の感覚が合わなかったんでしょう?

松村 要するに「あんなに楽しい旅だったのに、おまえの映画を見ていてもそれが伝わってこない!」ということですね。僕がどちらかというと内省的な、内に籠るようなニュアンスを強調して編集していたということがあって。だから途中でお菓子屋さんでお菓子を見ているところとかは、ダメ出しを受けて半ば無理やり入れたんです。土俵の話をしている飲み屋のご主人とかも。地元の人たちとの触れ合いみたいなところは、「もっと賑やかで楽しい旅だったじゃないか!」って言われた後に入れたので。最初のバージョンはそういった要素をほとんど入れずに、教室でのリハーサルのようにある距離をもってじっと見つめている、というような感じでしたね。

海老根 旅のエピソードっぽいところが悉くなかったということですね。

松村 そういうことですね。字幕を入れるのもあがたさんからのリクエストで、ご自分のノート、日記帳からのコラージュみたいなものなんですけど、ああいう字幕を入れることで映像を自分の側に近づけようとされていたんだと思います。もっとあがたさん寄りに、あがたさんの色に染めたかったということだと思います。

海老根 最後に『TOCHKA』ですけど、『TOCHKA』はユーロスペースで最初に公開されたんですよね。僕はよく知らないのですが、元々はどういう企画だったんでしょうか。プロの俳優さんが出ることになった経緯もお聞きしたいのですが。

松村 そもそもの企画の立ち上がりは、「映画美学校映画祭」っていう……

海老根 ありましたね。

松村 あの頃は生徒も多かったので、アテネ・フランセで割と盛んにやっていて、ゲストで黒沢清さんとかも来てくださって上映後に色々話をしたり、という催し物をしていたんですね。その1、2回目だったと思うんですけど。『よろこび』で得たオーバーハウゼンの映画祭の微々たる賞金を元にして、『YESMAN/NOMAN』を作って、その映画祭に出したんです。その時はまだ美学校も余裕があったのか、スカラシップみたいなものがありまして、何本か作品を選んで「次撮れよ」という意味で応援してくれるというのがあったんですね。それを頂いたことが、じゃあ何か撮ろうかというきっかけになったんです。プロフェッショナルの役者さんを使うというのは、自分の中でどこかにあったとは思うんですけど、最初はあまり考えていなくて。むしろ『YESMAN/NOMAN』のキャスティングとそんなに変わらない意識で。今度は北海道で撮る映画だったので、特に男性役のほうは、初め北海道という括りで色々探していたんです。タレント名鑑をめくって探すという方法じゃなく、役者とは違う畑の人であったり、周辺から攻めていくようなアプローチの仕方をしていたんですけど、あまり上手くいかなかったんです。あがたさんともその過程でお会いして、色々あったんですが、結局それも実らなくて、八方塞がりになった時に、どうしようかなという状態があって。
 最初に藤田陽子さんが決まったんですけれど、藤田さんのほうのきっかけは、まだ藤田さんが『犬猫』などの作品に出られる前で何の予備知識もない時に、女性向けのファッション誌を見ていて顔とお名前が記憶に残っていた、という感じですね。その後、幸運にも紹介していただく機会があったんですが。それから数年の紆余曲折の末、菅田さんが決まったわけなんです。だからプロフェッショナルな役者さんでやるということを意識的なハードルにしていたわけでは必ずしもなくて、そういう方法もアリなのかなって考えているうちに自然にそっち方向に向かっていった、というのが正解なのかもしれませんね。役者さんとの撮影については、海老根さんは本当に鋭くご覧になられていて(笑)、ポル・マーロさんとはまた違う意味で、菅田さんにも戸惑いや違和感はあったと思います。藤田さんもおそらくそうだったと思います。事前に2人とリハーサルをするとか本読みをするという機会がほぼなかったんです。スケジュールの都合もあったんですけど、ほぼ現場でのぶっつけに近い形で。もちろん「この映画でこういうことをしたいんです」という、ミーティングのような場は東京であったんですけど、それも本当に限られた時間だったので、お互いどういう手を出してくるかというのは、実際あそこの場所に行ってみて、衣装を着てもらって、「じゃあリハーサル」というところで初めて分かるという、結構な博打をしてしまいました。そうなると菅田さんは「動けない」というんですかね、立ち位置も定まっていて、しかもカメラの向きも限定的なので、ストレスを感じられていたというのは、直接にも聞きましたし、間接的にも聞きました。あと暗すぎるっていうのは、藤田さんが当時いらっしゃった事務所の社長さんが、初号を見た後しきりに言われていましたね。「暗くて何も見えないじゃない!」って(笑)。それは覚えています。

海老根 「こんな感じで撮ります」って周到に根回しをして現場に入ったのかと思ったら、そういうわけではないんですね。

松村 そういうことをできれば良かったんですけど……たぶん藤田さんは、出来上がったものを見て初めて何をやらされていたのか分かったところもあったと思います。撮影の狙いを一つひとつ説明するほどには、こちらが至っていなかったので。カメラ割りなどに関しては事前に結構きっちり決めていたんで、撮影に大きな混乱はなかったんですけど、まな板の上に乗っかる立場としては、戸惑いとか違和感とかは非常にあったんだろうなというのは今になってよく分かります。

海老根 それでもプロフェッショナルに対応してくれた?

松村 本当にそうですね。現場では大人の対応をされていました。

海老根 リサーチなど準備の段階で結構時間をかけたというお話をされていますけど、撮影自体は事前に作った日程通り進んだんですか?

松村 はい、途中で大雪が積もった以外は特にトラブルもなく、ほぼ香盤(その日に撮影するシーンやキャストの出番などを記した一覧表)通りに。数年に及ぶ準備期間とは対照的に、作業日程に従ってやっていましたね。監督の立場から無いものねだりを言うと、もう少し粘れたんじゃないか、ということになるのかもしれませんが。

海老根 そうなんですね。あまり時間もないので、話題を変えたいと思います。今日ここで『TOCHKA』を見て一番印象に残った音のことです。僕が最初にこの作品を見たのは2018年のシネマ・ロサで、宮崎大祐さんがあまり上映される機会のない日本の若手監督の秀作を集めて上映会をやった時でした。次に国立国際美術館で田中晋平さんが上映企画をされた時にも見に行っていて、今回が3回目ですけど、最初にも言いましたが、前2回の鑑賞体験が完全に上書きされてしまった気がします。あらため強烈な音の映画だと思いました。この映画については反復構造がよく指摘されていて、たしかにストーリーや登場人物のアクション、銃眼からのショットなど、いろんな点に反復を指摘できると思います。でも今日ここで見て思ったのは、この映画は音楽的な構造で捉えたほうがいいんじゃないかということでした。
 それでいうと、最初に印象的なのは、風の音とトーチカに入ったときの静寂ですよね。あのコントラストがすごくて、そこでグッと引きこまれるというのがまずあります。ここが言わば第一楽章。その後、主演のお二人が出会って対話します。この対話の場面、特に菅田さんがドラム缶に座っているあたりの話もできたらと思うんですけど、あの対話は同時録音ですよね。それでこの同録での対話を第二楽章とすると、第三楽章は海岸の小さいブロックみたいなところにお二人が反対の向きで座っているところです。前回見たときもここはちょっと不思議な感じがしました。それで神戸映画資料館のサイトで吉野さんがしたインタビューを読むと、監督は「あそこはアフレコでやった」と話していて、「あ、やっぱりそうだったんだ」って思ったんですね。今回見てみて、あそこが最も印象的たったんですね。すごい波の音がしている中でお二人が語る。そのとき、特に藤田さんの台詞にそれを感じたんですけど、この声はどこから聞こえているんだろうというような奇妙な浮遊感がある。それがある種の親密さをもって僕には響いてきました。じっさい、あそこで二人は秘密を打ち明けるわけですよね。藤田さんの恋人が死んだということ、菅田さんのお父さんがあそこにいたということ。二つの死の記憶が同じトーチカで交差する。そこにアフレコの声の魅力が関わっている。その後に、いわば第四楽章として、二つモノローグがあります。菅田さんが突然外からトーチカの中に向かって、自分の父親がどうやって死んだかを語る場面ですが、外で語っているんでしょうけど、一種のナレーションみたいに声だけが闇の中に響く。その後、藤田さんがそれを引き継いで一人で語る。女性の声のナレーションですよね。夜をぐるぐる歩いていた「死の記憶」が語られる。このナレーションのパートが終わると、藤田さんがまたトーチカに帰ってくるところで風と静寂が戻ってきて、最後は菅田さんのトーチカ内の場面で謎めいたノイズが響く。こうしてみると、この作品は本当に音楽作品のような構成になっているのではないかと思いました。
 まず冒頭の風と静寂ですけど、インタビューでは実際にトーチカに入るとそうなるんだとお話されていましたけど、本当にそんなに静かになるものなんですか?

松村 そうですね。録音を担当していたのが黄永昌くんなんですが、多少の誇張はあるけれど、あのオンとオフの感じは現場のリアリズムに近いっていうところでは、僕と見解が一致していると思います。

海老根 どちらかというと静寂と風の音のリズムを意識して編集した感じなんでしょうか。もちろんアクションは起っているわけですけど、その長さは変えられますよね。例えば移動しているところだったら、その移動中は風の音が聞こえて、トーチカの中に入ると音がしなくなる。この両者の配分は、アクションから発想して結果的にでき上がったものなのか、それとも最初から静と動の音のコントラストを意識してなされたのか、ということなんですが。

松村 それははっきりとは分けられないんですが、というのも準備段階で僕は何度も現場に行っているので、ここでトーチカの中に入ったら静かになるとか、外に出たらまた風や波の音が聞こえるということは、すでに感覚的に分かっているんですね。なのでシナリオを書いている時も、音のコントラストというかオンとオフの呼吸のようなものは、いつも無意識に頭にあったと思います。編集段階では主に人物のアクションを考えて画を繋いでいるんですが、それ以前に音を踏まえて脚本〔ほん〕を書いているわけなので、そういう意味では音ありきなのかなという気がします。

海老根 次にアフレコのところですけど、あそこは黄さんの仕事がすごいんだと思うのですが、必要に迫られてアフレコにしたのでしょうか? それともアフレコの効果を重視しようということだったのか……

松村 防波堤のシーンでは録音の菊池信之さんからお借りしたワイヤレスマイクを使わせてもらったんですけど、風や波の音が騒がしいので同録オンリーはしんどいかもしれないという話は、撮影の時からしていたんですね。可能な限り同録で通そうということは話していたんですけど、もしかしたらここはダメかもね、というつもりでいました。編集してみてやっぱり厳しいということになって、じゃあアフレコで、ということになって。ただ、スケジュールの都合で二人同時にはできなかったんですね。本当は二人で話しているところを一連で録っていきたかったんですけれど、それぞれ別に録らせていただきました。

海老根 それが独特の浮遊感を生んでいるのかもしれないですね。お互いにリアクションしていない感じで声がポンポンポンと続いていく。

松村 それぞれが一つの画を見ながらそれぞれが別の解釈をしている、新しくお芝居をし直したという感じだったので、現場で撮っていた生の台詞のニュアンスとはちょっとだけ変わっていると思います。

海老根 そうなんですね。その後の場面でも、たとえば藤田さんのナレーションを使ったりして、声を響かせていますよね。声というものにフォーカスしていこうということは考えていたのでしょうか。

松村 菅田さんがトーチカの外から中に向かって話すというのはかなり初期の段階からそれに近いことを書いていたんですが、藤田さんのほうのナレーションは書いていなかったんです。すっぽりなくて。ここに何か足りないんだけど、じゃあ何で埋めればいいのかなということがずっと分からなくて。それで、さっき海老根さんが仰った音楽的な構成ということでいうと、藤田さんのソロがないということに気づいたと思うんです。菅田さんの一人語りに対する切り返しとして、藤田さんの独唱、アリアが必要なんだとある時やっと気づいて、今のような形になったんですけど。構成上の必要性みたいなことを感じていたということですね。

海老根 もうあまり時間がないのですが、音に関してもうひとつ。これは『TOCHKA』だけじゃないと思うんですけど、ショットが変わる時に音をブリッジさせないことが結構多いと思うんです。

松村 そうですね。

海老根 『YESMAN/NOMAN』でもそうで、子どもと先生が部屋の外で話すくだりで、先生が振り返って話すところは直前のショットと明らかに音が違う。先生が室内でお母さんと話すところでも、先生の姿がスクリーンに映っているときと、お母さんが映っているカットでは、先生の声の響きが全然違っている。『TOCHKA』の風もそうですよね。同じ風の音でも、ショットが変わると聞こえ方がガラッと変わったりする。音で映像を繋ぐというのは常套的で、すごく便利な手段です。本当は繋がっていなくてもノイズとか車の音とかをバックで流すと何となく繋がっちゃうところがあると思うんです。音でショットをブリッジさせないというのは、どういう選択なんでしょう。

松村 今年、黄永昌くん——彼は録音・音響技師として一線で活躍されているんですが——と話していて面白かったんですけど、みんな音は後からどうにかなると現場でも思っていると。撮影におけるNGが録音にはない、ということに対する憤りがあると言っていて。画は独立したものとして扱われるのに、音は後で形を変えられる都合のいい2次的な存在、画が主役であって音はその下にあるものとして扱われることが、非常に不満であると。横くんとは立場が違うんだけれど、僕もそれに近い印象があって。画と音は平等でなければならないのに、みんなどうしても画にばかり意識を奪われて、音に注意が向かなくなってしまっている。撮影素材を大量に用意して、それを元にカットとカットの間をシームレスに、見やすく自然なものにするっていう傾向もどこかでそれと繋がっていて、音を画に従属させて可変的なものとして取り扱う風潮がその背景にあると思うんです。そこに対する抵抗ということでは、僕と黄くんで一致しているので。音の物質性というか頑固さというか。ただ、『YESMAN/NOMAN』に関しては黄くんは全くタッチしていなくて、彼は『つかのま』からなんです。『つかのま』は僕一人で撮っていたので、ビデオカメラのマイクで撮った音を整音してもらったんですが、そこで共有した経験を、今度は彼が自分でマイクを持つ『TOCHKA』の方で色々試してみたという感じでした。

海老根 それはある意味、ショットというものが画だけじゃなくて、その時に鳴っていた音によっても成り立つということですよね。

松村 そうですね、音にもショットがある。

海老根 滑らかに繋がないということで言うと、映像面で、登場人物がフレームインしたりフレームアウトしたりする時に、松村監督が——絶対って言っちゃっていいのかもしれないけど——やらないのがアクション繋ぎですよね。アクションの途中で切って、次のカットに繋げるということは、たぶんしていないんじゃないかと思います。松村さんの映画では、登場人物がフレームインする前に既にショットが始まっていて、そこに人物がフレームインして、その後、完全に人物がフレームアウトしても、なおしばらくはショットが続きます。『TOCHKA』でも、藤田さんが遠くに行くのを延々見えなくなるまでやっていますよね。このあたりも、同じような考え方、思想の現れなんでしょうか。

松村 はい。だから、あんまり自然なものにしたくないのかもしれないです。ワンカット、ワンカットの独立性というか。滑らかな視聴覚体験にしたくない。映画って元々不自然なことをやっているよっていうことを強調したい思いが根っこにあって。あと音楽的ということについて言うと、その方が心地いいんですよね。一つひとつのショットを見届ける、聞き届けるっていうことから生まれるリズムみたいなもの。そういう音楽的な感覚で一貫している映画に心地よさを覚えるというか。

海老根 一つひとつのショットが一つのブロックのような感じになる。

松村 そうですね、それに近いと思います。

海老根 そしてそれが繋がっていく。要するに、繋がっていないものの出会いが、ショットとショットの間の一回的な出会いが、その都度起こる。そういう映画ならではの面白さをすごく感じます。
 そろそろ時間なので最後に一つだけ。これはたぶん誰もが聞きたいことだと思うので聞かせてください。菅田さんが自殺をしようとするところをずっと長回しで撮っていますよね。あの場面の撮影では、段取りだけ役者さんに伝えて、どういうペースでそこまでいくかは役者さんにお任せしていたんですか。

松村 どうしてたかな……他のインタビューで答えたことがあるんですけど、元々楽曲を使う予定だったんです。

海老根 そうお話されてますね。

松村 灰野敬二さんの『手風琴/The 21st Century Hand-Y-Guide-Y Man』を使いたかったんですけど。十数分もあるんですが、その楽曲の長さに基づいて映画の時間を構想していたんです。もちろん今その音楽は乗っていないんですけど、その間合いというか、藤田さんが去って菅田さん一人になってから映画のおしまいくらいまでっていうのは、大体その曲の尺に近くて。厳密にではないですけど。だから、それくらいの間〔ま〕は必要だということはお伝えしていたと思います。ただ厳密にきっちりと時間を区切って、ここでカバンを開けるとか、ここで灯油を被るとか、そういうことまでは指示してないですね。大体これぐらいの時間の固まりであるということはお伝えしたんですけど、その中の細かい段取りに関してはほとんどお任せしていましたね。

海老根 あそこで犬が出てきますよね。普通に見ると、あれはお父さんの経験の反復ですよね。ただ僕は、それまでのすごく長い持続が断ち切られたっていうことの方にむしろ感じるものがありました。そしてパパッと子どもが出てきて何食わぬ顔でそのまま散歩を続ける。そこに反復構造の切断を感じました。単なる感想ですが。
 みなさんの方でも聞きたいことがまだ沢山あると思います。ぜひこの機会にご発言ください。どうでしょうか。

質問者1 本日素敵な映画の上映、ありがとうございました。私がこの4本を通して見て一番感じたのは、監督の「ことば」というものへのこだわりです。特に1本目、2本目は、人が言葉をしゃべっているという言葉の重みをすごく感じて、ある種不自然なというか、一連の行動の中に言葉が流れているというよりは、言葉を聞かせたいというメッセージ性が強かったように思います。3本目、4本目からは、人の動きの流れや会話の様子はだいぶ自然になった一方で、字幕というものが付いてきた。一つ具体的に気になるのは、最後の映画で英語の字幕が付いていたというのは意図があったのかなということ。2本目の映画だと、日本語を外国の人に喋らせて、言葉の異化を起こしていたのが、逆に日本人が日本語を喋っているけど、[最後の映画では]英語の字幕が付いているというのが、言葉を言葉としてある種不自然に認識させられるような不思議な感覚というところから、映画って表情とか間合いとか音・映像、色々ある中でも「ことば」という要素へのこだわり・思いとか、逆に無音の時間、言葉がないからこそ演出できる空気感とか、というところで、ことば・言語に対する思い、こだわり、特に意識してらっしゃる部分とか、強い思いなどありましたら教えていただきたいです。

松村 ありがとうございます。英語の字幕に関して言うと、無いバージョンというのもありまして、今回上映したのは東京国際映画祭の時に映画祭側が英語字幕を入れるということで作ったバージョンなんですね。なので、この英語字幕入りで見てほしいというよりも、上映の場に合わせて選択しているという感じで、無いバージョンを見ていただくと、また違う印象があるのかなというのが一つ。
 言葉に対する意識というのは、なかなか一口ではお答えしづらいんですけど、先ほどお話ししたように、人がお芝居をして、それをカメラが撮っているということのある種の不自然さというか、日常の地続きでは起こり得ない、何かすごくおかしなことをやっているよという目線で僕は映画を見ているような気がしているんですね。その中に出てくる言葉っていうのも、ナチュラルな方向に寄せていこうっていう意識があまりなくて——そういう映画がダメだと言っているわけではないけれど——、シナリオを執筆している段階からすでにそういう態度を取っていると思います。それは、映画の中で人がものを発するということが、どこか日常を切断するようなことであるということですね。先ほど名前が出ていた、ストローブ=ユイレの作品も相当不自然な朗誦の仕方をしていて、あれはもう極限だと思いますけど、どちらかというと僕もそういうものにシンパシーを感じるところがあるのかなと思います。舞台が日常的なものであっても、決してなだらかなものではなくて、そこに垂直に屹立しているような台詞に憧れを持っているところがあります。
 その一方で、世界は言葉じゃないと思っているところもあるんです。世界は言葉だけでは到底覆い尽くせない。むしろ言葉が小島のように浮かんでいて、その周りには豊かなスープみたいなもの、鳥の鳴き声であったり木々の葉音であったり、人間の言葉に分節化できないものが海のように拡がっていて。もしそっちの響きにだけマイクのフォーカスを合わせると、台詞にかぎって言えば、サイレント映画、「無音」と同じになるわけですよね。でも人間の言葉は聞こえなくても、マイクが拾っている豊かな音は決してサイレントではない。さらに極端なことを言えば、仮に映画から完全に音を切ってしまったとしても、上映会場の音があるわけですから、ジョン・ケージみたいですが。ですから、言葉が無いということと言葉が在るということは、どちらも尊く考えたいというか。海に浮かんでいる小島のようなものが言葉だと思います。

質問者1 それは、言葉が強調されていた1作目の当時から、思い始めたことでしょうか。

松村 当時は何も知らなかったので、今こうして整理して語っていることと同じことを考えていたのかは分かりませんが……でも、意外と近いことは考えていたような気もしますね。映画を作ったことはなくても、見ていた体験はあったので、全く同じではなくても似たようなことは考えていたと思います。

質問者1 ありがとうございます。

質問者2 面白く見させていただきました。ありがとうございます。『TOCHKA』の細かいところについて二つお聞きしたいことがあります。一つ目が、トーチカはエンドロールで「根室」と書いてあって、風景が明らかに北国なんですけど、映画の中で「アメリカがやってくるのに備えて作ったけど結局使われなかった」と言っていたと思うんですけど、北海道という地理的な状況のもと、アメリカよりもソ連がやってくるから作ったというのが元々だったと思うんですね。それをソ連からアメリカに変えたというのが一つ気になるところです。

松村 根室は北方四島が間近ですし、対ソ連用だと僕も思っていたんですけど、色々資料を読んでいくと、アメリカが南下してくるということを日本の軍隊は想定していたらしいんですよ。劇中で藤田さんが言っているように、その目論見が外れてしまって、アメリカはここには来なかった、ということがあって。そこは僕が意図的に書き換えているというよりは、史実に則っているという感じですね。

質問者2 あともう一つが、女性の方が持っていらしたカメラなんですけど、通常のカメラはファインダーと視点が同じ方向になっていると思うんですけど、通常の視点と直交する方向に視線が向かうカメラを選ばれた理由をお聞きしたいです。

松村 あれは二眼カメラなんですが、おっしゃる通り二眼カメラはファインダーが上なんですね。なのでファインダーを上からじっと覗き込む表情を撮りたかったというのが一つと、二眼カメラの暗箱というか、小部屋のような単純な構造が、トーチカという、やはり暗箱のような構造物の中に置かれることで、両者が入れ子みたいになる。その二つの理由があったかと思います。

質問者3 例えば『YESMAN』の最初の黒板では無限の情報が書き換えられている。で、『TOCHKA』では切り返しで壁があって、人間じゃない無限の情報が詰まっている。海とか波とか風景というものを撮る態度ですが、どう向き合っているのか。

松村 いまご指摘くださったことと重なるかは分からないんですが、劇映画は物語を進めることにばかりどうしても意識が向かってしまうけれど、そこからはみ出してしまう余剰として、壁のように無表情な平面であったり、何も起こらない風景を、物語に収まらないもの、物語に無関心なものとして写したいという気持ちが僕の中にあると思うんですね。それはページの余白みたいなもので、余白を設けないと自分が息苦しくなってしまう。自分が物語を語りたいだけの人みたいになってしまうことに、不自由さを感じている気がします。物語に対する切り返し、物語に奉仕しない、物語の役に立とうと思わないものを入れたいという気があります。

質問者3 動物も出てきますね。

松村 そうですね、それとも繋がるのかもしれないですね。『TOCHKA』の犬はやや物語に寄っているんですけど、自分のやりたいこととしては、動物という存在もそれに近いのかなという気もします。

質問者3 ありがとうございました。

質問者4 4つの作品を見て、『TOCHKA』は先ほど音楽の話をされていましたけど、前の3作品については、音楽がテーマとして背景にあるのは分かるんだけれども、自分としては音楽みたいなものとの距離感をすごく感じました。『TOCHKA』では、それまでの3作品よりも、もっと音楽を盛り込んでいく印象を受けたんですが、『TOCHKA』を撮る際に音楽との距離感に変化があったのか。上演のための音楽、聞くための音楽は勝手に流れていってしまうもので、「リズム社」で扱われる音楽にはある種の貧しさがあるんだけれども、その設定自体が音楽との距離感を表わしていると思いました。音楽との距離感みたいなものを意識されているのであれば伺いたいです。

松村 『よろこび』からは時間が経ってしまったので定かではないんですけど、いまおっしゃられたような、劇伴のように流れる音楽に対する抵抗感みたいなものは、昔からあったと思います。結果的に後から被せているんだけれど、画面の中に根拠のある音——太鼓の音とか笛の音とかがそうなんですけど——を使おうという意図があって、唯一の例外が凧揚げしているところの笛の音で、あそこだけでその場に根拠がない音を使っているということですね。あえてそうした音の使い方をすることで、あの場面を他のシーンから浮き立たせたかったんですが、それ以外では画面の中に根拠のある音を使うという縛りだったと思うんです。『YESMAN/NOMAN』の尾根越えで流れる音楽は既成の曲なんですけど、いかにも劇伴っぽい劇伴というか、乗せているということがはっきり分かるような形で異化して使いたかったということだと思います。『TOCHKA』に関しても、音についての自分の考えは大きく変わっていないつもりです。もし変わっていったとすればどういう変化があったのかは一言では申し上げにくいのですが、さっきお話ししたように、元々灰野敬二さんの曲を使おうと思っていたんですけど、劇伴的な使い方では全くなくて、十数分ある曲を丸々乗せるという、音源の持っている時間の固まりみたいなものを丸ごと映画の中にガシャンと入れてしまおう、という感じなんですね。もし楽曲を使っていたとしても、映画に寄り添っている音楽とは聞こえなかったように思います。むしろ塊のような異物が映画の中にゴロンとあるというふうに聞かせたかったので。僕の中では『TOCHKA』の時に音楽に対するアプローチを変えたという意識はあまりなくて、結果的に音楽は全く使わなかったけれど、先ほどお話した通り、風の音と静寂とのオン・オフであったり、編集のリズムによって映画全体の構成を音楽に寄せていったという側面もあるかもしれないので……そこはなんとも言えませんね。

質問者4 ありがとうございます。

司会(工藤):最後に一言お願いします。

海老根 僕が『TOCHKA』を見たのは今日で3度目ですけど、初めて見た人はちょっと長いなと思ったかもしれません。ただ僕の経験で言うと、2度、3度と見るうちに短く感じるようになる不思議な映画ですので、ぜひ2度、3度と見てほしいです。

松村 お寒い中ありがとうございました。今日僕も会場で4本見たんですけど、自作をこうしてまとめて見る経験はあんまりないことで。それはこの西部構堂という特殊……特殊と言っちゃ悪いけど(笑)、なかなか他にはない環境なので、ぜひ体験しておきたいなという思いで、一緒に見させていただきました。こういう時間を持てて嬉しかったです。来てくださったお客さんはもちろんですが、工藤さんを初めスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

司会 松村浩行監督と海老根剛先生でした。ありがとうございました。