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【刊行】『人形浄瑠璃の「近代」が始まったころ 観客からのアプローチ』

このたび和泉書院から書籍を刊行しました。大正末期から昭和十年代にいたる人形浄瑠璃の歩みを観客史の観点から論じた著作です。タイトルが示す通り、演者や興行主ではなく、劇場で舞台を楽しんでいた観客たちの経験に注目して、人形浄瑠璃の「近代」の始まりを描き出しています。古典芸能を愛する人だけでなく、古典芸能なるものに違和感(胡散臭さ)を感じている人にとっても面白く読める本になっていると思います。内容を簡単に紹介します。

文楽座東京公演の照明と国立劇場の現在

 2024年9月に新国立劇場で開催された文楽鑑賞教室はなかなか興味深いものだった。忘れないうちにメモしておきたい。今回、わざわざ東京の公演を見に行ったのは、二つの理由からだった。ひとつは、会場が現代演劇で使われるブラックボックスの劇場(The Pit)だったこと。もうひとつは、新… Read More »文楽座東京公演の照明と国立劇場の現在

新しい始まりの予感
『違国日記』

前回のポストからあっという間に一年以上経ってしまった・・・。去年の5月からのおよそ1年間は、本を書く作業に注力していた。テーマは人形浄瑠璃の観客史で、昭和初年の大阪に登場した新しい観客たちに注目することで人形浄瑠璃の「近代」に新たな角度から光を当てることを試みている。傍目からは突… Read More »新しい始まりの予感
『違国日記』

隠れ家としての書物の「その後の生」
書評『一冊の、ささやかな、本』

表象文化論学会の学会誌『表象』18号に書評を執筆しました。田邊恵子さんの著書『一冊の、ささやかな、本 ヴァルター・ベンヤミン『一九〇〇年ごろのベルリンの幼年時代』研究』です。本書はめでたく第15回表象文化論学会賞(奨励賞)を受賞しました。

2024年度 専門科目シラバス

表象文化構造論研究 今年度も昨年度に引き続き「動画」としてのアニメーション研究の方法論を議論していきます。今年度の授業では、動画としてのアニメーション表現の方法論を探究する手がかりになる基本文献を読んでいきますが、映像表現のデジタル化の進行によって実写とアニメーションの境界が不分… Read More »2024年度 専門科目シラバス

シンポジウム「「群集」を再訪する ーただしパトスなしに」で発表します

日本独文学会秋季研究発表会でシンポジウム「シンポジウム「「群集」を再訪する——ただしパトスなしに / 両⼤戦間期ドイツ語圏の⽂学における群集表象の再検討」で研究発表を行います。
このシンポジウムでは、2000 年代以降に⼈⽂学諸分野で⽣じた群集(Masse)とい う主題の再浮上と、それに伴う 19 世紀末以来の群集をめぐる思考の枠組みの再検討、および集団の⾏動に関する新たな知⾒の形成を念頭において、両⼤戦間のドイツ語圏の⽂学にみられる群集表象を読み直すことを試みます。

若くあることと老いていること
三宅監督の『1999』についてのメモ

すでに5月。2月くらいからここまで猛烈に忙しい。頭はフルに使っているのでまったく退屈することはないけれども、映画について書く時間がなかなか取れない。とはいえ、あんまりなにもしないでいると批評の運動神経が鈍るので、三日前に見た三宅唱監督の作品について簡単に書いてみよう。 三宅監督が… Read More »若くあることと老いていること
三宅監督の『1999』についてのメモ

2023年度 専門科目シラバス

表象文化構造論研究 今年度も昨年度に引き続き「動画」としてのアニメーション研究の方法論を議論していきます。日本のアニメーション(アニメ)を研究するトーマス・ラマールは、2009年の著書『アニメマシーン』の序論において、現在のアニメ研究はアニメーションが「動画」からなることを看過し… Read More »2023年度 専門科目シラバス

『青山真治クロニクルズ』(リトルモア刊)に文章を寄せています

昨年3月に逝去した青山真治監督の人生と仕事を、監督本人と監督の人生と関わりのあった人々の言葉で再構成した書籍が出版されました。まだ全部読み通したわけではないですが、この本、本当にすごいです。映画本の傑作だと思います。この本のページをめくりながら様々な人々の言葉に触れていると、いつしか「青山真治」という固有名はひとりの実在した人間の身体に帰属することをやめ、多くの人々の思考と行動が形作るひとつの動的な布置、ひとつの星座であるかのように思えてきます。そしてこの星座は大きな星をひとつ失ったあとにも、監督の作品を見て、その言葉を読み続ける人がいるかぎり、また監督と作品に関わった人々のあいだの繋がりが続いていくかぎり、これからも形を変えながら存在し続けるのでしょう。

シンポジウム「ダンスと人形」で発表します

2023年3月18日に名古屋芸術文化センターで開催されるダンス・スコーレ特別講座・公開シンポジウム「ダンスと人形」で発表を行います。第二次世界大戦以前の歴史的アヴァンギャルドにおける「動き」の表現 を、「人形」あるいは「人形的なもの」との関係で考察することがシンポジウムの全体テーマであるようです。私は人形浄瑠璃の動きの表現と歴史的アヴァンギャルドにおける人形的なものへの関心との接点とすれ違いについて報告する予定です。

隔てる音と架橋する声 / 『ケイコ 目を澄ませて』

三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)が音の映画であることはすでに各所で論じられているし、監督自身も音の重要性について語っているけれども、この映画の「音声」において、「音」と「声」が対極的とも言える機能を担っていることは、あまり語られていないように思う。私が映画館(い… Read More »隔てる音と架橋する声 / 『ケイコ 目を澄ませて』

描出と再現(ミシェル・シオン)

授業で使用する教材として日本語に訳した文章を公開します。今回訳出したのは、ミシェル・シオン『オーディオ-ヴィジョン』(L’Audio-Vision)第1部・第5章にある「描出と再現」と題された一節です。ここでシオンは「描出」という概念に基づいて映画の音を再考しています。映像と音声の全面的なデジタル化の進展の初期に書かれた文章ですが、「実写」映画とアニメーション映画を区別することなく映画の音声を考察する視点を提示しており、映画映像のインデックス的リアリズムの再検討に対応する作業を音に関して行っていると言えるでしょう。