Papers

Der Wandel von Kollektivbildern in der Weimarer Republik
Eine Imaginationsgeschichte der Masse und ihre Revision

In diesem Aufsatz soll in komprimierter Weise skizziert werden, wie sich die dominanten Kollektivbilder im Laufe der Weimarer Republik wandelten. Dabei werden die jeweiligen Bilder anhand von vier Gesichtspunkten charakterisiert: (1) Gegensatz von Individuum und Masse, (2) Verhältnis von Mensch und Technik, (3) Polarität von Gemeinschaft und Gesellschaft, (4) Problematik des Führers. Am Ende sollen auch einige Ansätze genannt werden, die Imaginationsgeschichte der Masse neu zu denken.

弁天座の谷崎潤一郎 
昭和初年の「新しい観客」をめぐる一試論

本論文は大阪市立大学都市文化研究センターによる研究プロジェクト「伝統芸能の近代化とメディア環境」の成果物です。
本論文の根底にある問題関心は、近代以降の視聴覚的メディア環境に慣れ親しんだ(そして義太夫の音曲的側面には疎遠な)観客の出現をめぐる歴史的考察であり、とりわけ近代の大都市とメディアの経験によって形作られる感受性(モダニティの感受性)を内面化した「新しい(無知な)観客」と人形浄瑠璃の出会いを跡づけることです。
今回の論文では、特に御霊文楽座焼失と四ツ橋文楽座の開場のあいだ、道頓堀の弁天座で文楽座が興行した昭和初年の数年間を、人形浄瑠璃の近代における重要な移行期とみなし、その当時姿を現しつつあった「新しい観客」と人形浄瑠璃との出会いをモダニティの観点から考察しています。そのさい本論では、谷崎潤一郎を弁天座時代に人形浄瑠璃を発見した「新しい観客」の(必ずしも典型的ではない)一事例として検討します。

「大衆をほぐす」ー シアトロクラシーと映画(館)

大阪大学美学研究室が企画・編集している学術誌『a+a 美学研究』(第12号)に論文を寄稿しました。本号の『a+a 美学研究』では、「シアトロクラシー 観客の美学と政治学」という標題のもと、思想、演劇、オペラ、映画、アートにおける観客の問題を考察する刺激的な論考が集められています。本論文では、従来、演劇との関係で議論されることの多かったシアトロクラシーの問いを、映画(館)とその観客をめぐる考察に導入することが試みました。

群集の行動とディスポゼッションの理論
ヴァイマル共和国時代の群集表象の批判的再検討にむけて

このたび大学の紀要に「群集の行動とディスポゼッションの理論 −ヴァイマル共和国時代の群集表象の批判的再検討にむけて−」というタイトルの論文を執筆しました。これは私が従来から取り組んでいるヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説史的研究に関連し、その理論的枠組をアップデートするために書かれたものです。近年、世界各地の都市で展開した新しいタイプの抗議運動を背景として、人々の「共同行動」や集団のパフォーマンスをめぐる理論的考察が活性化していますが、この論考ではそうした近年の理論的動向から特にジュディス・バトラーの「集会」(assembly)と「蜂起」(uprising)をめぐる考察を取り上げ、そこで提出されている理論的枠組や視座が、ヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説の分析にいかなる寄与をなしうるのかを検討しています。
あくまでも予備的な考察という位置づけの論考ですが、ご笑覧いただけると幸いです。

〈映画都市〉としてのマドリード 
アルモドバルの初期作品における都市表象をめぐって

本論文では、スペインの映画作家ペドロ・アルモドバルの二本の初期作品に描かれる都市の表象を「映画都市」(cinematic city)の観点から考察しています。
「映画都市」とは、映画における都市表象の研究において、特に2000 年以降盛んに議論されるようになった概念ですが、映画と都市との多面的な結びつきを考えるにあたって有益な観点を提出しています。
この論文ではまずアルモドバルとマドリードの関係を概観した後に、映画都市の概念を検討し、それをアルモドバルの初期作品に登場する都市の表象の分析に援用することによって、それらの作品に見られる映画と都市経験の結びつきを具体的に考察することを試みています。『表現文化』第9号所収、36-67頁、2015年。

エクセレンスの大学、人文学、都市

このたび『都市文化研究』第17号に標題の論文が掲載されました。これは大阪市立大学文学部創立60周年記念シンポジウム「市大文学部と〈都市文化研究〉再考」で行った発表をベースにした論考です。大阪市立大学文学研究科(文学部)における「都市文化研究」への重点化の歩みをグローバルに進行する高等教育の構造変化と人文学の危機という文脈の中で考察しています。「エクセレンスの大学」(ビル・レディングズ)、日本とドイツにおけるエクセレンスの追求の政策的展開、人文学の危機と「リスクをはらんだ思考」(ハンス・ウルリヒ・グンブレヒト)といった論点を扱っていますので、国内外の大学改革をめぐる状況と人文知の可能性にご関心をお持ちの方にお読みいただけると光栄です。(追記 2018年6月18日 リンク先を機関リポジトリに変更しました。)

すれ違うふたつのメディア映像
−映画とヴィデオを再考する−

イヴォンヌ・シュピールマンの『ヴィデオ 再帰的メディアの美学』(三元社)の翻訳刊行に合わせて、2012年に立教大学ドイツ文学研究室の学術誌『Aspekt』に寄稿した論考です。ここでは近年のデジタル映像をめぐる議論におけるヴィデオ(ヴィデオアート)の欠落を指摘したうえで、映画とヴィデオにおける自己反省の形式の違いをゴダールとスタイナ・ヴァスルカの作品の比較を通して検討しています。

Erfindung von „Girl-Kultur“
Eine vergleichende Betrachtung des Amerikanisierungsdiskurses der Zwischenkriegszeit in Deutschland und Japan

In diesem Aufsatz geht es um eine komplexe, kulturspezifische Dynamik der “Amerikanisierung”. Im Aufsatz soll eine vergleichende Betrachtung der Amerikanisierungsdiskurse in Deutschland und Japan in den 1920er und früheren 30er Jahren unternommen werden. Hier werden die Amerikanismusdebatte und die Thematisierung von „Girls“ als Sinnbild der amerikanischen und auch amerikanisierten Kultur in den beiden Ländern skizziert. (In: Transkulturalität. Identitäten in neuem Licht. 2012 Iudicium Verlag München, S. 543-549.)

忘我・交通・形象
ヴァイマル共和国時代のドイツにおける群集論の展開

ようやく二冊の大著の翻訳が終わるので、ずっと放置していた博士論文の加筆修正および出版に向けた作業を始めようと思います。ここではひとまず論文目次(詳細版)を掲載してみます。論文の詳細な内容について、ご関心をお持ちの方はご連絡ください。

群集と〈交通〉
ヴァイマル共和国中期における群集論の変容

本論文は、20世紀前半のドイツ語圏において生み出された群集をめぐる思考の展開を考察する研究の一部です。ここでは、1920年代の中頃に形成された群集論の新たなパラダイムについて考察しています。
『表現文化』(大阪市立大学大学院文学研究科表現文化学教室) no. 2.、2007年に掲載。

群集・革命・権力
1920年代のドイツとオーストリアにおける群集心理学と群集論

Neue Beiträge zur Germanistik(ドイツ文学)130号(2006年)の特集「群集と観相学/群集の観相学」(平野嘉彦責任編集)のために執筆した論文です。
特集は近代の群集論を「ベンヤミン・モデル」と「カネッティ・モデル」に分類し、ドイツ語圏の作家・思想家を中心にそれぞれのタイプの群集論の歴史的展開を考察しています。扱われている作家・思想家は、江戸川乱歩、萩原朔太郎、ルソー、ボードレール、ル・ボン、タルド、ポー、ホフマン、グリルパルツァー、ベンヤミン、デーブリーン、クライスト、ティリヒ、ガイガー、フェーデルン、フロイト、H・ブロッホ、カネッティなどです。かなり充実した特集になっております。私は群集心理学の章を担当しました