群集の行動とディスポゼッションの理論
ヴァイマル共和国時代の群集表象の批判的再検討にむけて

PDF版(機関リポジトリ)

 ペーター・スローターダイクは、2000年に出版された小著『群集の侮蔑』(Die Verachtung der Massen)のなかで、ヘーゲルの『法の哲学』(1822年)の一節を参照しながら、群集という主題が近代社会に固有の「文化闘争」と結びついていたことを指摘している(1)。『法の哲学』のなかでヘーゲルは、「みずからの君主を欠いた人民、したがってまた全体の必然的かつ直接的に連関し合う編成を欠いた人民は、形のない群集にすぎない。それはもはや国家ではなく、(…)自己のうちで形作られた全体が持つとされるいかなる規定も欠いている」(2)と述べている。このように指摘することでヘーゲルは、君主を廃し人民を主権者として位置づける民主政に立脚する近代社会が、群集を主体として展開するというプロジェクトと不可分であることを明言したのだった。そして、このプロジェクトは、不可避的に近代社会に固有の文化闘争を呼びさますことになる。「群集が主体となり、意志と歴史を手に入れるとき、観念論的な慇懃無礼さの時代は終わりを告げる(…)。群集に主体性あるいは主権が可能であるとみなされると、意志、知、精神などの主人の形而上学的な特権の数々が、以前には単なる材料でしかないように思えたものの中へと浸透していき、隷属させられ、誤認されてきた側に、反対側にいる者たちが享受してきた尊厳を要求する権利を与えたのである」(3)。したがって、近代社会に固有の文化闘争は、群集の主体性の承認をめぐって争われることになる。そこでは身分制社会において秩序化の原理であった垂直的な差異を保持しようとする勢力と、そうした所与として「見出される」差異を原理的に解消可能な「作られた」差異へと水平化しようとする勢力が対峙する(4)。スローターダイクが語る「群集の侮蔑」とは、群集に対して主体性の承認を拒否する身ぶりを意味している。
 すでに19世紀には群集が学問的言説や文学作品の主題として注目を集めたイギリスやフランスと異なり、ドイツにおいて群集が本格的に主題化され始めるのは20世紀初頭になってからである(5)。そして、群集に関する学問的言説と文学的表象が大量に生み出されることになったのは、ヴァイマル共和国の時代(1918年–1933年)であった。敗戦と革命によって突然身分制国家から民主政に移行したヴァイマル共和国時代には、上述の文化闘争が先鋭化するとともに、群集が多くの知識人や芸術家にとって切迫した問題として浮上したのである。したがって、たとえ群集があらゆる近代社会に付き物の文化闘争と結びついた形象であるとしても、ドイツにおける群集をめぐる言説と表象の発生および展開は、ドイツに固有の歴史的文脈の中で生じている。ドイツ語におけるMasseの概念が孕むことになった意味の広がりや機能は、それをドイツの歴史的・社会的文脈の中で考察するときにのみ、十全に把握可能となる。こうした問題意識から、筆者はこれまでヴァイマル共和国時代のドイツに時間と空間を限定して、群集をめぐる理論的言説と文学的表象の展開を考察してきた。そこで目指されたのは、歴史的に限定された言説空間にフォーカスすることで、群集という主題をめぐって演じられる、学問的言説と文学的実践との緊張に満ちた相互作用を解明することであり、さらにそうした緊張関係にも関わらず両者に共通する思考の枠組みの変転を明らかにすることであった(6)
 一方、近年、世界各地の大都市において、多くの人々を巻き込んで展開する新たなタイプの抗議運動が生まれ、社会に対して大きなインパクトをもたらしている(7)。そして、そのような現実に呼応するかのように、政治哲学や社会理論だけでなく、美術史、映像論、パフォーマンス研究をも含む幅広い研究分野で、多数の人々が共同で行う行動とその政治的ポテンシャルに対する関心が高まっている(8)。そうした近年の研究では、「群集(大衆)」(Masse, crowd)ではなく、「マルチチュード」(multitude)、「集会」(assembly)、「集団」(Kollektiv)、「(蜂起する)人民」(the people)といった概念が用いられることが多いものの、いくつかの議論では明示的に群集(大衆)が論じられ(9)、ル・ボンの群集心理学やカネッティの群集論の読み直しが試みられている(10)。こうした一連の理論的考察は、ヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説の主要な論点のいくつかに触れながらも、決定的な点でそれらの言説から一線を画し、新たな理論的観点を導入している。そうした観点は、群集をめぐる言説の歴史研究にとっても、生産的な意義を持っている。というのも、それら近年の理論によってもたらされた観点からヴァイマル共和国時代の群集言説を振り返るとき、当時の言説が依拠し、またそれよって拘束されてもいた理論的布置の特徴がより鮮明に浮かび上がってくるからである。本論考で試みられるのは、近年の理論に由来するいくつかの観点や概念的区分を確認したえうで、それらがヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説の分析に対していかなる寄与をなし得るのかについて予備的な考察を行うことである。
 本論考ではまず、ヴァイマル共和国の群集論の前提をなしていたル・ボンの群集心理学の特徴を概観し、それがヴァイマル共和国初期の群集をめぐる言説においてどのように受容されたのかを確認する。次にジュディス・バトラーの「集会」(assembly)と「蜂起」(uprising)をめぐる考察を、特にディスポゼッション(dispossession)の概念に注目して整理し、それをヴァイマル共和国の群集をめぐる思考、特に『群集とその行動』(1926年)で革命的群集を分析したテオドール・ガイガーの考察と関係づける。


(1) Peter Sloterdijk: Die Verachtung der Massen. Versuch über Kulturkämpfe in der modernen Gesellschaft. Frankfurt a. M. (Suhrkamp) 2000, S. 9ff.

(2) Georg Wilhelm Friedrich Hegel: Grundlinien der Philosophie des Rechts. Frankfurt a. M. (Suhrkamp) 1985, S. 477. 強調原文。

(3) Peter Sloterdijk: a. a. O., S. 9-10.

(4) Ebenda, S. 54ff.

(5) ギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理学』がウィーンの哲学者ルドルフ・アイスラーによって最初にドイツ語に翻訳されたのは1908年のことである。同じ年にジンメルは『社会学』の中で群集の問題を論じている。また社会民主党の中心的な理論家の一人カール・カウツキーは1912年に革命と群集の関係を論じた「群集の行動」を発表した。文学作品では、革命的群集を主題にしたゲオルク・ハイムの短編小説「10月5日」が1911年に執筆され、大都市の群集を主題化した一節を含むライナー・マリア・リルケの『マルテの手記』は1910年に発表されている。

(6) 老根剛「忘我・交通・形象 ヴァイマル共和国時代のドイツにおける群集論の展開」(博士論文)、東京大学、2008年。同様にヴァイマル共和国の群集表象に対象を絞った数少ない研究として、次の二つを挙げることができる。Anette Graczyk: Die Masse als Erzählproblem unter besonderer Berücksichtigung von Carl Sternheims »Europa« und Franz Jungs »Proletariat«. Tübingen 1993. Regine Zeller: „Einer von Millionen“ Masse und Individuum im Zeitroman der Weimarer Republik. Heidelberg 2011.

(7) 代表的なものとしては、スペインの15M運動、いわゆる「アラブの春」と呼ばれたチュニジア、エジプトなどの一連の民主化運動、アメリカ合衆国のオキュパイ・ウォールストリート運動、トルコのタクスィム・ゲジ公園における抗議運動などがある。

(8) 例えば、以下の著作を挙げることができる。Judith Butler, Notes toward a Performative Theory of Assembly, Harvard University Press, London, 2015. Judith Butler and Athena Athanasiou, Dispossession: The Performative in the Political, Polity, Cambridge, 2013. Jodi Dean, Crowd and Party, Verso, London New York, 2016. Bojana Cvejić, Ana Vujanović, Public Sphere by Performance, b_books, Berlin, 2012. Kai Van Eikels: Die Kunst des Kollektiven. Performance zwischen Theater, Politik und Sozio-Ökonomie. München (Wilhelm Fink) 2013. George Didi-Huberman, Uprisings. With Essays by Nicole Brenez, Judith Butler, Marie-José Mondzain, Antonio Negri, Jacques Rancière. Gallimard/Jeu de Paume, Paris 2016. 廣瀬純(編著)『資本の専制 奴隷の反逆 「南欧」先鋭思想家8人に訊くヨーロッパ情勢徹底分析』、航思社、2016年。アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート 『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』(水嶋一憲、清水知子訳)、NHK出版、2013年(原著2012年)。

(9) フアン=ドミンゴ・サンチェス=エストップ 「「大衆」は突破口を探し求めている —— ギリシャとスペイン」、廣瀬純編著『資本の専制 奴隷の反逆』所収、144-184頁。

(10) Jodi Dean. Crowd and Party, pp. 73-159. George Didi-Huberman. By the Desires (Fragments on What Makes Us Rise Up), in Uprisings, pp. 322-327.


続きをPDF版で読む

Related Posts