〈映画都市〉としてのマドリード 
アルモドバルの初期作品における都市表象をめぐって

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 本論文の主題は、スペインの映画作家ペドロ・アルモドバルの二本の初期作品に描かれる都市の表象を「映画都市」(cinematic city)の観点から考察することである。後に確認するように、「映画都市」とは、映画における都市表象の研究において、特に2000 年以降盛んに議論されるようになった概念であるが、映画と都市との多面的な結びつきを考えるにあたって有益な観点を提出している。本論の関心のひとつは、この概念を具体的な映画作品の分析に導入することにあるが、そうした試みにとって、アルモドバルの作品群は魅力的な対象だと言うことができる。というのも、デビューから現在にいたるまで一貫してマドリードを拠点に映画を作り続けているアルモドバルの作品群は、ひとつの同じ都市をめぐる表象の豊かなバリエーションを示しているからである。本論文では、アルモドバルとマドリードの関係を概観した後に、映画都市の概念を検討し、それをアルモドバルの初期作品に登場する都市の表象の分析に援用することによって、それらの作品に見られる映画と都市経験の結びつきを具体的に考察することにしたい。

1.アルモドバルとマドリード

 ペドロ・アルモドバルは、1980年に『ペピ、ルシ、ボン、その他の娘た ち』でデビューして以来、今日までマドリードを拠点にコンスタントに作品を作りつづけている。アルモドバルにとって、マドリードは単に活動の拠点であるだけでなく、映画が語る物語の中心的な舞台でもあった。デビュー作から現時点での最新作『アイム・ソー・エキサイテッド』(2013)にいたるまで、アルモドバルの映画にはつねに何らかの仕方でマドリードが登場している。しかしながら、アルモドバルのフィルモグラフィーにおいて、マドリードという都市はつねに同じ仕方で表象されてきたわけではなく、物語世界の中で同じ重要性を帯びてきたわけでもなかった。本論が重点的に扱うのはアルモドバルの初期作品であるが、それに先だってまずはアルモドバルとマドリードとの関係の変遷を概観しておきたい。

 カスティーリャ=ラマンチャ州のシウダー・レアル県にある小さな村(カルサーダ・デ・カラトラーバ)に生まれたアルモドバルがマドリードに移住したのは、まだフランコ独裁体制下にあった1960年代末であった。アルモドバルは、スペインの国営電話会社テレフォニカの社員として働くかたわら、1970年代後半から8ミリカメラを使って短編映画を発表しはじめる(1)。マドリードでは1975年のフランコの死後、民主政への移行期に「モビダ」(2)と呼ばれるアンダーグラウンドな文化運動が盛り上がったが、アルモドバルはこの運動に参加し、その立役者の一人として一躍注目を集めることになった。本論で考察する『ペピ、ルシ、ボン、その他の娘 たち』と『セクシリア』(1982年)には、当時モビダに参加していたミュージシャンやアーティストが多数出演している。本論では扱わないが、マドリードのコンセプシオン地区にある集合住宅に暮らす主婦の日常を描いた『グロリアの憂鬱』(1984 年)も含めて(3)、これらの初期作品におけるマドリードの表象を特徴づけているのは、ドキュメンタリー性と様式性の奇妙な混合であった。

 その後、アルモドバルは『欲望の法則』(1986年)の制作時に、より自由な映画作りの環境を確保するべく、弟のアウグスティンと共同でみずからの映画制作会社エル・デセオを設立する。エル・デセオがアルモドバル作品の制作を全面的に担うようになったのは、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1987年)からであるが、この作品の成功によって、アルモドバルは個性的なスタイルを持つ映画作家として国際的に認知されることになる。これ以降、アルモドバルはエル・デセオのサポートのもと、作家性と商業性を兼ね備えた映画監督として国内外で独自の地位を築いていくが(4)、都市表象の点でも初期とは異なるスタイルを確立する。『神経衰弱ぎりぎりの女たち』から『キカ』(1993年)に至るこの時期の作品では、映画の大半の場面がスタジオのカラフルなセットで撮影され、現実の都市空間は人工的に構築された表象のシミュラークルの中に消え去っていくことになる。初期の作品に見られたようなドキュメンタリー的な都市の映像はほとんど姿を消してしまう。『私の秘密の花』(1995年)と『ライブ・フレッシュ』(1998 年)は、そうしたアルモドバルの都市の表象に新たな局面をもたらすことになった。これらの映画では、マドリードの現実の都市空間が再び重要な要素として、つまり、単なる物語の背景をなす書き割りとしてではなく、出来事に介入する要素として、決定的な役割を演じることになる。現実とフィクションの関係そのものを主題にした『私の秘密の花』では、マドリードの街頭で演じられるいくつもの場面が物語に転換をもたらす重要な機能を果たしており、『ライブ・フレッシュ』では、主人公の人生の物語がフランコ独裁制末期から 1990年代末のバブル経済に至るマドリードの都市の歴史と密接に結び合わせられている(5)

 1999年に公開された『オール・アバウト・マイ・マザー』は、アルモドバルの映画作家としてのキャリアを新たな段階へと導いただけでなく、映画とマドリードとの関係にも大きな変化をもたらした。カンヌ国際映画祭監督賞、アカデミー賞外国語映画賞をはじめとする数々の賞に輝いた本作によって、アルモドバルは世界的な水準で批評的評価と商業的成功を手に入れることになった。そして、これ以後、アルモドバルとエル・デセオは、これまで以上にグローバルなマーケットと観客を意識した映画作りを押し進めるとともに、作家アルモドバルをひとつのブランドとして確立することに尽力するようになる(6)。こうした変化は、作品のスタイルや内容だけでなく、映画とマドリードの関係にもはっきりと反映することになった。すなわち、本作以降、マドリードは、アルモドバル作品にとって特権的な都市であることをやめ、バルセロナ(『オール・アバウト・マイ・マザー』)、セビーリャ(『トーク・トゥ・ハー』)、トレド(『私が生きる肌』)、ラマンチャの村(『ボルベール』)などの場所が、マドリードと同等に重要な映画の舞台となったのである(7)

 本論文では、アルモドバルのフィルモグラフィーに見られるこうしたマドリードの都市表象の多彩な変転のなかから、初期に撮られた二本の作品を考察する。『ペピ、ルシ、ボン、その他の娘たち』と『セクシリア』は、いずれもモビダと密接な関係にあり、ドキュメンタリー性と様式性の混 合という共通点を持ちながらも、それぞれにまったく異なる都市の表象を提出している。しかし、これらの作品の具体的な分析に入る前に、そのための前提として、映画作品における都市表象の分析のための基本的な視点を確認しておく必要があるだろう。映画において都市の表象が問題になるのは、それが単なる現実の空間の反映でも、純然たる物語の背景でもない場合である。本論ではそうした都市の表象を分析するにあたって、「映画都市」(cinematic city)という観点を導入する。


(1) Alberto Mira, “A Life, Imagined and Otherwise. The Limits and Uses of Autobiography in Almodóvar’s Films”, in A Companion to Pedro Almodóvar, Ed. Marvin D’Lugo and Kathleen M. Vernon. West Sussex: Wiley-Blackwell, 2013, pp. 96-102.

(2) スペイン語の「モビダ」(movida)は、本来、「騒ぎ、混乱、(文化的な)活動」などを意味する。

(3) Paul Julian Smith, Desire Unlimited. The Cinema of Pedro Almodóvar. Second Edition. London and New York: Verso, 2000, p. 55.

(4) Alberto Mira, op. cit., pp. 101-102. 映画制作会社エル・デセオ(スペイン語で「欲望」を意味する)の成立経緯と発展については、次の論文も参照のこと。Marina Díaz López, “El Deseo’s “Itinerary”. Alomodóvar and the Spanish Film Industry”, in A Companion to Pedro Almodóvar, pp. 107-128.

(5) 筆者は両作品について詳しく考察したことがある。以下の論考を参照のこと。海老根剛「フィクショナル・シティー マドリードの消滅と回帰」、『カイエ・デュ・ シネマ・ジャポン』(第24号)、勁草書房、1998年、82-95頁。 また、次の論考も参照のこと。Juan Carlos Ibáñez, “Memory, Politics, and the Post-Transition in Almodovar’s Cinema”, in A Companion to Pedro Almodóvar, pp. 153-175.

(6) Marina Díaz López, op. cit., pp. 110-111. エル・デセオのプロモーション戦略については、次も参照のこと。Paul Julian Smith, “Almodóvar’s Self-Fashioning. The Economics and Aesthetics of Deconstructive Autobiography”, in A Companion to Pedro Almodóvar, pp. 21-38.

(7) 『トーク・トゥ・ハー』の物語はマドリードでも進行するが、マドリードは単なる書き割りにとどまっている。おそらく2000年以降の作品群における唯一の例外は、『抱擁のかけら』だろう。この作品では盲目の主人公が息子(ただし本人はそのことを知らない)とマドリードの街を散歩する場面が繰り返し描かれる。そこでは歴史の折り重なったマドリードの都市空間を歩くことと、主人公によるみずからの人生の回想が結びつけられるのである。

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