交通都市と欲望の迷宮
デーブリーン/ファスビンダーの〈アレクサンダー広場〉

1.

1928年2月のある日。アレクサンダー広場では、あちらこちらから路面電車やバスや歩行者が流れ込み、いたるところで建物の解体作業が進行している。また、地下で進む地下鉄工事のために、そこここで地面が掘り返されている。そんな広場の雑踏の直中で、一人の老人が体重計を隣に椅子に腰掛け、広場を行き交う人々に呼びかける。「5ペニヒで体重を計ってみないかい。おお広場に群がる親愛なる兄妹たちよ! ちょっと立ち止まって、体重計の横の隙間から、この瓦礫の広場を眺めてごらんよ。(…)私たちの前にあるのはゴミの山だ。お前は土から生まれたのだ。土へと還るがよい。私たちは素晴らしい建物を建てたけれど、いまや出入りする人間はだれもいない。ローマ、バビロン、ニネヴェ、ハンニバル、カエサル――すべてはそうやって滅んだのだ。ああ、それについて考えてご覧よ。私が言わなきゃならないのは次の二つだ。第一に、それらの都市はいままた発掘されつつあるということ、そして第二に、それらの都市はすでにその目的を果たし終えたのだということだ。ひとはいままた、新しい都市を作ることができるのさ。ズボンをはきつぶしてしまったからといって、君はその古いズボンを嘆いたりはしないだろう。新しいズボンを買うだろう。世界はそれで成り立っているのだからな。」

あらゆるものが運動し、建築物さえもが堅固さと重みを失い跡形もなく姿を消すように見える広場の直中で、とどまることを知らぬ軽やかな運動の場に捉えられ、自分の身体の重みすら忘却しているかのように見える人々に向かって、老人は、しばし立ち止まり体重計に乗ってみよと語りかける。これは認識せよという呼びかけだ。体重計の上で運動がしばし停止するとき、大都市の儚さとみずからの存在の有限性が意識に立ちのぼることになる。それだけではない。建設と破壊が同時進行する大都市を突き動かしているものが資本の運動であることも、そのときひとは認識するのである。

冒頭の段落で引用したのは、アルフレート・デーブリーンが1929年に発表した長編小説『べルリン・アレクサンダー広場』の一節である。この一節はまた、1980年に初めてテレビ放映されたライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの同名の大作でも引用されている。虚構のなかの一節であるとは言え、そこでデーブリーンが描いている場面は、当時アレクサンダー広場を舞台に現実に進行していた都市改造への鋭いコメントであった。1926年、べルリン市の建築監督官に就任したマルティン・ヴァーグナーは、まったく新しいコンセプトにもとづく都市計画をべルリンに導入した。それは単に一地区の公共の利益を守るために条令や許可によって個々の建築物のあり方を規制するのではなく、都市空間の全体を単一の機能的システムとして構成することを目指すものであった。アレクサンダー広場の改造計画は、そのような都市計画の最初のモデルケースとなったのである。この計画が本格的に実行に移されるのは1929年以降であるが、その準備としてべルリン市は1928年にすでにアレクサンダー広場周辺の土地を買収し、建物の解体に着手していたのである。デーブリーンの描く広場で建物が壊され、中身が空っぽになっているのは、そのためである。

このアレクサンダー広場改造計画の背景には、当時すでにはっきり現れていたべルリンの中心の西への移動を押しとどめたいという市当局と経済界の思惑があった。伝統的に政治・経済・文化の中心であったフリードリヒ通り周辺に代わって、1920年代にはクアフュルステンダムを中心とする西べルリンが経済と文化の中心として台頭した。イルムガルト・コインによる都市小説の傑作『偽絹の女の子』(1932年)では1931年のべルリンが舞台となっているが、そこでも華やかな輝きで主人公を魅了するクアフュルステンダムとは対照的に、アレクサンダー広場はぞっとするほど多くの失業者がうろつく侘しい場所として描かれている。ヴァーグナーの計画は、1920年代後半にはすっかり定着していたこのイメージを刷新し、観光客をひきつけ、活発な消費活動が営まれる都市空間を作り出そうとしたのである。

そのさいヴァーグナーの都市計画のコンセプトのとりわけラディカルな点は、それが明示的に建築の価値の切り下げを含んでいたことである。ヴァーグナーによれば、新しく誕生するアレクサンダー広場は、広場を行き交う人々の消費行動を鼓舞するようなものでなければならず、「消費力のための停止点であると同時に流動する交通を調節する通過堰」の機能を果たさねばならなかった。この機能を最適に満たすためには、広場は大都市の経済的ダイナミズムの発展に柔軟に対応し、適宜姿を変えていくことができなければならない。それゆえヴァーグナーは、アレクサンダー広場にふさわしい建築物は必然的に短命でなければならず、決して持続的な建築的価値など持ってはならないと断言した。高度に発展した資本の流動性に最適化された都市は仮設空間以外ではあり得ないということである。実際、べルリン市がアメリカ資本によって担われたコンソーシアムと広場の建物の運営委託に関して交わした契約には、利益の10パーセントを市に支払うという条項のほかに、1955年に契約を解除しすべての建物を解体する権利を市が保有するという規定が含まれていた。つまり、ヴァーグナーの都市計画において、都市ははじめからみずからの解体を織り込み済みなのである。上に引用したデーブリーンの一節は、ヴァーグナーの都市計画の核心に含まれるこの仮設都市のヴィジョンを鋭く指摘していたのである。

2.

1920年代末に出現しつつあったアレクサンダー広場は、人々が散歩し、集い、そこでゆっくりと時間を過ごすような場所ではない。当時の写真を見ればわかるとおり、それは四方から流れ込む主要道路の合流点にある円形の空間であり、その上には路面電車のレールと車線が縦横に走っていた。さらに地下には地下鉄の駅があり、高架には市電が疾走していた。アレクサンダー広場とは、都市空間を高速で移動するヒト、モノ、情報のネットワークの結節点であり、通過点であった。1920年代後半のべルリンでは、大都市は巨大な機能的ネットワークとして経験された。だからこそ、アレクサンダー広場が時代の象徴とみなされたのである。1929年に出版された長編小説『べルリン・アレクサンダー広場』でデーブリーンが描き出したのも、まさしくそのようなネットワークとしての都市空間であった。少々長くなるが、デーブリーンの小説の特異性を具体的に確認するために、ローゼンターラー広場を描写した有名な一節を引用しておきたい。

ローゼンターラー広場は会話する。
天気は変わりやすいですが、どちらかといえば良好です。気温はマイナス1度。ドイツ上空には低気圧が張り出しており、それが各地のそれまでの天候を変化させましました。気圧の変化が緩慢であることから、低気圧の南への張り出しは遅いものと思われます。(…)
路面電車68番がローゼンターラー広場を横切っていく。ヴィッテナウ、北駅、療養所前、ヴェディング広場、シュテッティナー駅、ローゼンターラー広場、アレクサンダー広場、シュトラウスベルガー広場、フランクフルター通り駅、リヒテンベルク、ヘルツベルゲ精神病院。ベルリンの三つの交通会社(…)は、共通運賃を採用しています。大人乗車券は20ペニヒ、学生乗車券は10ペニヒです。乗車料金割引が適用されるのは、満14歳以下の児童、見習いと学生、収入のない大学生、戦争負傷者、地区福祉局の証明書のある重度の歩行障害者となっています。(…)
ローゼンターラー広場の中央で、黄色い荷物をふたつ持った男が41番の路面電車から飛び降りる。客を乗せていないタクシーがちょうど彼の横を走り過ぎる。保安警官が男の後ろ姿を見送っている。路面電車の車掌が姿を現し、警官と車掌は握手を交わす。「しかし、あの荷物を持った男は運良く助かったな。」
色々な種類の果実ブランデーの卸値販売。ベルゲル博士、弁護士・公証人。ルクターテ、象からとられたインドの若返り薬。(…)
広場から大きなブルネン通りが北へ伸びている。AEG〔電機会社〕は通りの左側、フンボルトハインの前にある。AEGは巨大企業だ。1928年の電話帳によると、AEGに属するのは次の諸施設である。電気照明・動力設備、中央管理棟、NW40、フリードリヒ・カールウーファー2-4番地。近距離交通・遠距離交通、北局4488。総務部、門衛、エレクトリッシャー・ヴェアテ銀行株式会社(…)。
インヴァリーデン通りは、左へ回り込むように分岐している。そこを進むとシュテッティナー駅に至るが、この駅にはバルト海沿岸からの列車が到着する。あなた、すすだらけじゃないですか。–– ええ、ここは埃っぽいですね。–– こんにちは、さようなら。–– 何かお持ちするものはございますか? 50ペニヒでお持ちします。–– すっかり休養したようですね。–– いえ、日焼けなんてすぐに消えてしまいますよ。(…)
南から広場に合流するのは、ローゼンターラー通りである。向こう側ではアッシンガー〔居酒屋〕が人々に食べ物とビールを出している(…)。 エルザッサー通りでは、車道が細い排水溝まで柵で囲い込まれている。建設現場の柵の背後で蒸気ローラーがしゅーしゅー音を出している。ベッカー・フィービッヒ、建設株式会社、ベルリンW35。(…)。
ロートリンガー通りの停留所で、4人の人物が4番の路面電車に乗り込んだところだ。2人の中年女性に憂鬱そうな平凡な男が一人、それに縁なし帽をかぶり耳当てをした少年が一人である。二人の女性は一緒に行動しており、プリュック夫人とホッペ夫人という。彼女たちはホッペ夫人 –– 年をとったほうである –– のために腹巻きを買いたいと思っているのだ。(…)

Alfred Döblin: Berlin Alexanderplatz, München 1965, S. 51-53.

ここでローゼンターラー広場は、いくつもの通りが合流する交通ネットワークの結節点として描かれている。アレクサンダー広場と同様、ローゼンターラー広場でも、あらゆるものが運動状態にある。しかも、そこで運動しているのは、路面電車やタクシーや駅に到着する列車、それらに乗降する乗客や工事現場で動く機械だけではない。広場を忙しく行き交っているのは、なによりもまず、無数の言説である。空間の具体的な描写は、十分に展開されることなくただちに無数の小さな言説の断片(ラジオ放送、新聞記事、駅の掲示、店舗の看板や広告、電話帳の記述、街頭で交わされる会話)のなかに消え去っていく。ローゼンターラー広場とは、人や事物の流れだけでなく、情報の流れが合流する場なのである。しかも、それらの人物、事物、情報の諸断片は、緊密な統一を作り上げることなく、差異と距離を介して緩やかに結びついている。広場は一見混沌とした印象を与えるが、決して機能不全に陥っているわけではない。乗客も事物も情報も、同時にそれぞれの方向に向かってよどみなく動いている。散漫さの印象は、都市空間を構成するネットワーク(交通機関や情報メディア)の円滑な機能の効果なのである。

1920年代後半のべルリンを描くためには、それ以前の都市文学のように、ただ物理的空間(街頭)を描写するだけでは不十分である。デーブリーンはそのことに気がついていた。べルリンの都市空間は、物理的空間とデータ空間の重合として成立している。しかも交通システムや大企業の組織などは、データのレベルでしか把握され得ない。したがって、べルリンを描くためには、なによりもまず、そこで作用している不可視の情報ネットワークをこそ記述しなければならない。このような認識のもと、『べルリン・アレクサンダー広場』では、都市空間の現実主義的描写がデータ処理にとって代わられる。空模様の描写の代わりに天気概況が、AEGの建物の描写のかわりに電話帳から読みとれる組織構成が記述されるのである。デーブリーンがこの小説で導入したモンタージュの手法は、物理層と情報層からなる機能的ネットワークとしてべルリンを記述するために選ばれた方法であった。上に引用した一節からもわかるとおり、デーブリーンのモンタージュの特徴は、ラディカルな並置性にある。異なる諸要素を高次の統一に導くことも、一方を他方に従属させることもなく、すべてを平準化しつつ隣接性において結びつける。そのようなモンタージュによる都市空間の記述においては、たとえ名前を持っていようとも、あらゆる人物は匿名的存在 –– 機能的システムの相関項 –– に還元されてしまう。

だがもしそうだとしたら、いかにしてべルリンを舞台に物語を語ることができるのだろうか? どうやって小説が可能となるのだろうか? というのも、ベンヤミンが的確に指摘したように、小説はまさに個人の生の通約不可能性に依拠しており、情報ネットワークの記述に含まれる匿名化・平準化の力学と鋭く対立するからである。

もちろんデーブリーンの小説でも、物語は語られる。それはフランツ・ビーバーコプフという中年男を主人公とする物語である。簡単に要約すると次のような話だ。元運搬労働者フランツ・ビーバーコプフは、恋人イーダを殴り殺した罪で4年間服役した後に出所する。フランツは、これからは品行方正に生きようと決意し、ネクタイ留めや新聞を売って生計を立てようとするがうまくいかず、信頼していた同僚のリューダースにも裏切られ深く失望する。どうにか失意の底から立ち直ったとき、フランツはラインホルトという若者と知り合いになるが、ある晩、ひょんなことから犯罪組織の盗みに巻き込まれ、逃亡の途上でラインホルトによって車から突き落とされる。命は取り留めたものの右腕を失ったフランツは、元恋人のエーファの紹介でミーツェという若い女の子と出会い彼女を愛するようになる。しかし、幸せな日々も束の間、ミーツェは彼女に目をつけたラインホルトによって森に連れ出され殺されてしまう。絶望したフランツは、飲み屋の手入れのさいに警官に発砲して逮捕され、ついには精神病院に収監されることになる。フランツはそこで神秘的な死と復活を経験し、フランツ・カール・ビーバーコプフとしてべルリンに舞い戻る。そして小説はこのビーバーコプフが工場で守衛補佐として働き始めたことを述べて終わりを迎える。

しかしながら、デーブリーンの『べルリン・アレクサンダー広場』において、主人公の人生の軌跡を辿る物語は、上に述べたような仕方で都市空間を提示するモンタージュによって、絶えず中断され、断片化され、相対化される。私たちは都市空間を忙しなく行き交う情報の断片の錯綜のなかで、しばしば主人公の姿を見失ってしまう。そこでは語り手の声さえもが、交錯する無数の言説のひとつとして扱われる。モンタージュと物語という二つの原理の緊張関係が、デーブリーンの小説の構成を規定している。この構成がもたらす第一の効果は、主人公と彼の人生の月並みさが一瞬たりともごまかされないということである。フランツ・ビーバーコプフには特筆すべきところは何もない。彼は他の多くの人々が持っているのと同じ偏見や意見や好みをもつ人間に過ぎない。ローゼンターラー広場で路面電車から飛びおりる男、アッシンガーでビールを飲んでいる男、二人の中年女性と乗り合わせた男から、フランツを区別するものはなにもない。ビーバーコップフを世界の中心に据える物語が繰り返しモンタージュによって相対化されることによって、彼もまた広場を行き交う人間たちの一人にすぎないことが絶えず示唆されるのである。

ところが小説が進展するにつれて、最初は鋭く対立していた物語とモンタージュの関係が変容していく。まず語り手の声が多声的になる。終始主人公にたいしてアイロニカルな距離を維持し、小説冒頭ではビーバーコップフの出所を「刑の始まり」と呼んだ語り手の声に混じって、親友や我が子に語りかけるように主人公に呼びかける語り手の声が現れる。そしてそれらいくつもの声は、物語の進展と共鳴するアレゴリカルな描写と入れ替わる。そこではもはや、どの部分が物語でどの部分がモンタージュなのかをはっきりと区別することができなくなる。そのようにして、フランツ・ビーバーコプフとミーツェの物語は、せいぜい大衆新聞の三面記事のネタになる程度のよくある話として、しかし同時にまた残酷で悲痛な愛の物語でもあるものとして、描かれることになる。「月並みにも、ましてや厳粛にもならずに、月並みなことが本当のことであり、すなわち厳粛なことでもあるということを受け入れるのを助けてくれた」とファスビンダーが語るデーブリーンの小説の力は、そのようなモンタージュと物語との錯綜した関係に多くを負っている。

3.

 ファスビンダーによる『べルリン・アレクサンダー広場』は、1979年7月から1980年4月まで主にミュンヘンのバヴァリア・スタジオで撮影され、1980年の末にシリーズものとしてテレビ放映された。ただし、この15時間に及ぶ大作は16ミリフィルムで撮影されており、深い明暗を生み出す照明や縦の構図によるワンシーン・ワンショットが多用されていることからもわかるとおり、あくまでも映画作品として作られた。そしてまさにそれゆえに、当時まだ白黒テレビが主流だったドイツでこの作品が放映されたとき、画面が暗すぎて何が起こっているのかわからないという非難を浴びることになったのだった。1931年に作られたフィル・ユーツィによる映画化が原作の大胆な脚色を行っていたのとは対照的に、ファスビンダーの映画は原作の物語にかなりの程度まで忠実である。デーブリーンの小説の読者ならば、15時間という上映時間にも過度に話が引き延ばされているという印象を持つことはないだろう。

しかしながら、話の筋ではなく、語りのスタイルという点からみると、当然のことながら小説と映画には大きな違いが存在する。ファスビンダーの映画では、前節で私たちが確認したような、モンタージュを駆使した都市空間の記述は試みられていない。これは後で確認するように、ファスビンダーの映画において、作品世界としてのべルリンが小説とは全く違った仕方で構成されていることと密接に関係している。そして、デーブリーンの小説においてモンタージュと物語との緊張関係が作品の構成原理だったとすれば、ファスビンダーの映画では、言葉と映像との多様な関係が語りのスタイルを決定している。ここで映像に対置される言葉とは、登場人物が語る台詞以外の言葉、つまりファスビンダー自身が担当しているナレーション、ラジオやレコードから流れてくる声、そして字幕である。これらの言葉はすべて、映画の登場人物たちが閉じ込められている空間の外部から由来する。たとえば、第一話でフランツ・ビーバーコプフ(ギュンター・ランプレヒト)がイーダ(バーバラ・ヴァレンティン)を撲殺する場面で、フランツの暴力をニュートンの法則で説明する新即物主義的なナレーションが語られるとき、その言葉は映像にたいして強烈な異化効果を発揮する。他方、映画全体を通して何度も繰り返されるべルリンの屠殺場についてのナレーションは、私たちが見つめる映像にアレゴリカルな意味を付与している。またフランツが墓地でミーツェ(バーバラ・スコヴァ)と再会する場面では、べルリンの年間死者数の統計が淡々と語られる。ミーツェの死もそれら無数の死のひとつにすぎない。これらのナレーションでは、デーブリーンのテクストにおける異なる文体のモンタージュが、映像と音の関係として再構成されている。また、選挙演説を伝えるラジオ放送は外部から隔絶されているように見える室内空間を外の世界と結びつけ、字幕は比較的短い原作の一節によって場面にコメントを加えていく。

すでに述べたように、ファスビンダーの『べルリン・アレクサンダー広場』では、デーブリーンの小説で試みられていたような都市空間の表象は見出されない。そこではローゼンターラー広場もアレクサンダー広場も描かれることがない。ファスビンダーの『べルリン・アレクサンダー広場』の特徴は、ほとんどの場面が室内で展開する点にある。このことは、単にスタジオ撮影という制作条件にだけでなく、ファスビンダーがフランツ・ビーバーコップフの人生をどのような視点から描いているかに関係している。

ファスビンダーの『べルリン・アレクサンダー広場』に登場する様々な室内空間は、そのほとんどが高度に自己完結的な閉鎖性を帯びており、あたかも登場人物たちを閉じ込める牢獄ででもあるかのように造形されている。確かにデーブリーンの小説でも、ビーバーコプフは何度か室内に「退却」する。しかし、彼はそこに留まることができない。遅かれ早かれ再び街路に出て行かざるを得ないのだ。というのも、小説の主人公フランツはいわば〈街路に投げ出された者〉であり、どこにも自分の居場所を見出せない存在だからである。彼の苦境はテーゲルの刑務所の壁の外に放り出されたときに始まる。彼がべルリンで出会う連中はそれぞれ自分の役をきちんと演じているようにみえるのに、彼自身は右翼にも左翼にも、ヘテロセクシャルにもホモセクシャルにも、失業者にもギャングにもなることができない。そういうわけで、デーブリーンの小説では、街頭がビーバーコプフの苦境と幸福の源泉となる。それにたいして、ファスビンダーの描くフランツ、そして彼の周囲の登場人物たちは、〈空間に捕らえられた者たち〉である。この映画に登場する室内空間には確かに窓があり、しばしば登場人物が窓辺に立つこともあるのだが、窓越しに戸外の風景が見えることはほとんどない。この点でもっとも印象的なのは、ラインホルト(ゴットフリート・ヨーン)も属する窃盗団のリーダーであるプムス(イーヴァン・デスニ)のオフィスである。プムスが座る椅子の背後には大きな窓があるのだが、それは光の壁となって視界を遮断している。また、この映画でファスビンダーは、ほとんど偏執的とも思えるまでに、フレームの二重化を追求している。フランツやラインホルトの部屋で私たちが視界を全く遮られずに登場人物を見つめることは、例外的な瞬間にのみ可能である。フレーム内の人物は柱や家具によって狭められた空間に押し込められ、鏡や格子などによって枠をはめられ、さもなくば不透明なガラスの向こう側にのみ姿を現す。ベッドの柵や鳥かごや猿の檻は、その向こう側に人物が配置されることで人物を拘束する檻となる。ファスビンダーのべルリンは、ばらばらの閉じた部屋からなっている。デーブリーンにおいても、物語は省略的に語られ、明確な動機づけを欠いたエピソードの連なりとして構成されていたが、ファスビンダーの映画では互いに切り離された空間の配列が、そのような語りの構造に対応している。そしてファスビンダーが描くのは、みずからを枠づける諸力に拘束されて自由を奪われた人間たちの関係である。

ファスビンダーの『べルリン・アレクサンダー広場』における敷居の決定的な重要性は、このような空間構成に由来する。映画の冒頭、監獄から出る場面が示しているように、フランツ・ビーバーコプフは、敷居を前にして躊躇する人物である。監獄の出口の敷居を越えようとした途端、耳を聾する街頭の騒音がフランツに襲いかかり、彼は思わず監獄のなかに逃げ込もうとする(ちなみにデーブリーンの小説ではすでに壁の外にいるところから小説は始まる)。この場面は、この映画における内部空間の両義性を見事に描いている。それは人物を外部の世界から守ると同時に自由を奪うのである。フランツは、自分の部屋でもラインホルトの部屋でも、窓辺に立って不安げに外の世界を眺める。とりわけ感動的なのは、右腕を失ったフランツがエーファ(ハンナ・シグラ)とヘルベルト(ローガー・フリッツ)の住居を去ることを決意し、再び外の世界に足を踏み出すそうとする場面である。そのときフランツはまず住居の扉という扉を次々と開いてまわり、敷居を越えるレッスンを繰り返す。すべての部屋の扉を開け放った後で、彼はようやく玄関の扉を開き、外へ出て行くことができるようになるのである。

フランツの住居の大家であるバスト夫人(ブリギッテ・ミーラ)は、デーブリーンの小説には登場しない人物であるが、まさしくフランツの部屋への敷居を守護する存在である。フランツの部屋に入ろうとする者は、誰でもまず彼女のチェックを受けねばならないのだ。ただし、ひとりだけ例外が存在する。ミーツェである。エーファに呼ばれて階段を上がってきたミーツェは、バスト夫人の仲介を受けることなく、いつのまにかフランツの部屋に入り込み、彼の前に立つ。その姿を見たフランツは思わず、「まるで太陽が昇ったみたいだ」とつぶやいてしまう。彼女を膝に乗せた彼は、この少女をミーツェと命名する。この命名によって彼女はフランツのミーツェとなるのである。このときカメラはふたりを見つめながらゆっくりと左から右へ移動し、それに続いて字幕が示される。そして字幕が消えると、視界は一気に開け、私たちは湖でボートに乗るふたりを見つめることになる。フランツ・ビーバーコプフとは対照的に躊躇うことなく敷居を越えるミーツェの登場とともに、映画はそれまでの閉塞から解放されるのである。以後バスト夫人に代わって、ミーツェがフランツを外部の世界から守る存在となる。そしてそのために、彼女はラインホルトに殺害される。

ラインホルトのせいで右腕を失った後も、ビーバーコプフは何故か彼の部屋を訪ねていく。このふたりの関係において積極的に敷居を越えようとするのは、フランツの方であり、この点でラインホルトとミーツェは対称的な位置にある。じっさい、フランツはふたりを同時に愛しているのだ。そのさいファスビンダーが描くフランツとラインホルトの関係で見る者に強い印象を残すのは、フランツがラインホルトを見つめるときにきまって見せる微笑みである。盗みに入って逃走する車の中でも、その後初めてラインホルトの部屋を訪ねたときにも、フランツは優しい笑みを浮かべていた。それに対してラインホルトは残酷な仕打ちを繰り返す。一度目は車から突き落とし、二度目にはフランツにシャツを脱がせ、傷口を見て「えらく気持ち悪いな」という言葉を投げつける。しかし、その次にフランツが再度ラインホルトのもとを訪ねるとき、フランツはなお同じ微笑みを見せるのである。そして映画の最後、生まれ変わったフランツがラインホルトの裁判で証言するときには、ふたりは微笑みながら視線を交わすことになる。この微笑みは、フランツが信頼した人間に裏切られたり、裏切られることへの不安に襲われたりしたときに経験する無力感と卒倒の対極にある。この微笑みは、憎悪や信頼を越えたところにある感情であり、ファスビンダーが「社会的なことに脅かされていない純な愛」と呼んだものを暗示している。

ファスビンダーは、フランツがイーダを撲殺する場面を何度も示したり、ラインホルトとミーツェの森での密会をフランツとのミーツェのデートの反復として提示したり、エーファがミーツェの代わりにフランツの子どもを生むというエピソードを強調することによって、デーブリーンの小説に潜在していた精神分析的反復構造を鮮明に浮かび上がらせている。だがそのような構造がもっと大胆かつ徹底的に展開されるのは、言うまでもなくエピローグにおいてであろう。そこでは映画に登場したすべての空間が姿を変えて現れる。興味深いことに、雑踏や車の往来が消え去ることによって、街頭すらも室内空間に変貌している。そして、このエピローグにおいて初めて、それまで切り離されて存在していたいくつもの空間のあいだに地下的なネットワークが形成される。フランツ・ビーバーコプフがひとつの部屋から別の部屋へと移動するたびに、彼と関係した人物たちが登場し彼を叱責する。そのさいミーツェ、ラインホルト、リューダース(ハーク・ボーム)、イーダなどの登場人物が一瞬のうちに入れ替わる。夢の論理にしたがって展開するエピローグの中心には、屠殺場のイメージがある。それは現実世界のアレゴリーである。フランツの屠殺は同時に供儀となり、いかにも深みを欠いた磔刑と原子爆弾のイメージで物語はその空虚な終点に到達する。このあとにはもはや語られるべきことは存在しない。映画『べルリン・アレクサンダー広場』のエピローグは、デーブリーンの小説が描いたべルリンの都市空間を、無意識の論理によって統御された欲望の迷宮として私たちの眼前に提示するのである。

主要参考文献
Jochen Boberg u.a. (Hg.): Die Metropole. München 1986.
Alfred Döblin: Berlin Alexanderplatz. München 1965.
Klaus Biesenbach (Hg.): Fassbinder: Berlin Alexanderplatz. Berlin 2007.
Thomas Elsaesser: Fassbinder’s Germany. Amsterdam 1996.
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 『映画は頭を解放する』(明石政紀 訳) 東京、1998年
渋谷哲也・平沢剛 編 『ファスビンダー』 東京、2005年

(初出: nobody #30、2009年)

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