1.
車はゆっくりと狭い路地からガザ地区にある広場へと入っていく。そこには他にも多くの車が行き交い、パレスチナ人が立ち話をしたり、露店の開店準備をしたりしているのだが、広場の中央にあるモニュメントの周りには武装したイスラエル兵たちもたむろしている。車に乗せられたカメラはトラヴェリングしながら広場を一周する。そのときカメラはパレスチナ人の歩行者や商人たちのあいだにつねにイスラエル兵たちの姿を捉え続ける。
私たちはやはり、『フィールド・ダイアリー』の冒頭のこのワンシーン・ワンショットからギタイのフィルムへ入ってゆくのがよいだろう。というのも、このファーストシーンは、ギタイのフィルムの運動を凝縮しているからだ。ギタイのフィルム群を規定している運動、それを私たちはとりあえずルントファールト(Rundfahrt:ドイツ語で、ある地域を「ぐるりと一周すること」を意味する)と呼んでみることができるだろう。つまり、『フィールド・ダイアリー』の冒頭のシーンが示しているように、移動しながら元の場所へと戻ってくること(そして再び出発すること)、トラヴェリングしながら運動の出発点へ ––– 厳密には出発点から僅かだが決定的にずれた場所へ ––– と戻ってくること、それがギタイのフィルムにつねに見出される運動なのだ。『フィールド・ダイアリー』は50あまりのワンシーン・ワンショットから構成されているが、ギタイは、エルサレムからヘブロン、ガザ地区を経て、テルアヴィヴ、ナーブルスを通り再びエルサレムへと戻る同じ一つのルートを、撮影期間中、毎日繰り返し車で回りながら、それらのシーンを撮影したという。冒頭のシーンは、その意味で、『フィールド・ダイアリー』という作品をその撮影過程に至るまで規定している運動を描き出している。そして、占領地を歩くイスラエル兵たちを示す冒頭のトラヴェリング・ショット、すなわちパレスチナにおけるイスラエル軍のプレゼンスを示す映像は、このフィルムの最後にも再び現れる。だがそのとき、冒頭のトラヴェリングから最後のトラヴェリングに至る過程を辿った私たちの眼差しのなかでは、その映像ははるかにその厚みを増しているだろう。というのもそのとき私たちは、イスラエル軍のパレスチナにおけるプレゼンスがいかなるものであるのかを、そして、パレスチナの人々(パレスチナ人とイスラエル人)が生きている現実がいかに複雑であるのかを、以前よりも正確に知っているからだ。
2.
ギタイのフィルムの運動であるルントファールトは二重の運動であり、それは一方では移動=トラヴェリングであり、他方では回帰である。まず移動=トラヴェリングに注目するならば、例えば『フィールド・ダイアリー』において、それはフィルムの支配的な撮影技法であると同時に、イスラエルからパレスチナへ(さらにはレバノンへ)、そしてパレスチナからイスラエルへと境界を超えてゆく空間の移動でもある。ギタイはイスラエル占領地を移動しながら、カメラの前で起こったことを直接的に、ワンシーン・ワンショットで記録し続ける。隠され見ることを禁じられた現実を示すこと、そして、見ることを阻止しようと権力が行使する暴力をも示すこと。この点で『フィールド・ダイアリー』は、現実主義的なドキュメンタリーの過激な実践でもある。だが、ギタイのフィルムにおいて、トラヴェリングは単なる空間の移動以上のものである。トラヴェリングはまた一つの場所(パレスチナ)についての二つの視点 ––– パレスチナ人の視点とユダヤ人の視点(『フィールド・ダイアリー』および『エルサレムの家』)あるいはロシア人革命家の政治的眼差しとドイツのユダヤ系詩人の詩的眼差し(『ベルリン・エルサレム』)––– の間の移動でもあるのだ。ところで、この視点の移動にはモンタージュとインタビューが関わっている。たとえば『フィールド・ダイアリー』では、ある未開墾の入植地に移ってきたユダヤ人家族の父親が、周囲の風景の「美しさ」について語り、この土地をアラブ人に返したくないと語るが、このシーンの続いて、ギタイはイスラエル軍によってオリーヴの木が根こそぎにされた土地で抗議の歌を歌うアラブ人女性たちの姿を示す。あるいはまた別のシークエンスでは、イスラエルのレバノン侵攻によって破壊された建物や難民キャンプの映像に、「希望の門」と呼ばれる入植者のグループが現在建設中の新しい町について語るシーンが対置される。このような、主にワンショットで撮影されたシーンの配列によって、これらからユダヤ人の共同体が建設されるべき「美しい」風景にアラブ人の破壊された共同体の荒廃した風景が重なり合い、レバノンの町の破壊された建物の映像は、入植地の建設中の建物と二重写しになるのである。そして、インタビューは、このようなモンタージュが疑問の余地なく提示するイスラエル人の入植とパレスチナ人の難民化との相関をさらに精緻なものにし、メディアが好んで提示する両者の単純な対立の図式にそれを還元することを阻止する。インタビューによって、イスラエル兵たちの間にも、アラブ人に土地を返して共存の道を探ることを希望する者がいることがわかるからである。トラヴェリングはこの意味で、現実に対する複眼的な視線の保証である。だがさらにまた、ギタイのフィルムにおいては、トラヴェリング=移動は、『ベルリン・エルサレム』の場合のように、物語の構造を規定する運動 ––– ベルリンからエルサレムへ ––– でもある。そして最後に、ギタイのフィルモグラフィを一瞥するならば、それはフィクションとドキュメンタリーとの間の移動であると考えることも可能だろう。
他方、回帰の運動もまた、ギタイのフィルムのほとんどに見出されうる。ギタイの作品では冒頭で示されたショットと同じかあるいはそれと類似したショットがしばしば作品の終わりに回帰する。『フィールド・ダイアリー』についてはすでに指摘したとおりだが、『エルサレムの家』では最初のショットは最後のショットとほとんど同じであり、『メモランダム』冒頭の写真家のアトリエのシーンはラストで反復される(セザールが同じ場所で同じ台詞を口にする)。『ベルリン・エルサレム』は ––– 後により詳しく触れるつもりだが ––– フィルム全体が二つの照応し合うトラヴェリング・ショットで枠づけられている。また、『ゴーレム』においては、マラハル(ヴィットリオ・メッツォジョルノ)がゴーレム=亡命の霊(ハンナ・シグラ)を誕生させる冒頭のシーンがラストで二人の役割を変えて繰り返される。あるいはまた、過去に撮った自分のフィルムを新たに撮ったフィルムと組み合わせて一つの作品にした『ラシュミア谷の人々』と『エルサレムの家』について言えば、それらはみずからが撮った過去のフィルムに ––– あるいは過去の人物と場所に ––– 回帰する運動によって動機づけられている。もちろん、これらの回帰はすべて相互に異なっている。つまり、『メモランダム』における反復は、閉塞した世界に暮らす者の苛立ちと疲労を際立たせているが、『ゴーレム』においては、回帰は亡命という精神状態の永続性と関わっている。そして、『ラシュミア谷の人々』では、二つの断絶した世界 ––– あるいは、ひとつの幸福な世界とその喪失 ––– が問題であるがゆえに新旧のフィルムははっきりと切り離されるが、『エルサレムの家』では過去のフィルムは現在のフィルムの間に挿入されて「家」の考古学的地層の一つをなすことになる。
3.
ギタイの多くのフィルムにおいて執拗に繰り返される移動(トラヴェリング)と回帰の運動の多様な軌跡を辿ってゆくと、ひとはそこにある不可視な力がつねに作用していることに気づくだろう。その不可視な力がギタイのフィルムに多様なルントファールトを強いているのだ。その力をあえて一語で名指すとすれば、それはユートピアということになるだろう。つねに単純化され歪曲されるイスラエル / パレスチナの錯綜した歴史と現実に対する複眼的な視線の根底には、現実 / ユートピアに向けられた視線の複眼性がある。
『フィールド・ダイアリー』が提示するパレチスチナの一触即発の緊張をはらんだ現実のなかにも、また『エルサレムの家』が浮かび上がらせるエルサレムという場所をめぐる記憶のポリティクスの直中にも、私たちはユートピアの潜在を感じとることができるだろう。それは過酷な現実を示す映像のなかにではなく、ギタイがインタビューする人物たちが語る言葉のなかにある。つまり、ユートピアとは、これらのフィルムにおいては、彼らが語るユダヤ人とパレスチナ人との共存の可能性なのである。そして、この共存の可能性をめぐる言葉は、かつてエドワード・W・サイードが語っていたように、「アラブ人とユダヤ人との現在のような敵意に満ちた脈絡からすれば、冒険的ともユートピア主義的とも言えるだろうが、知的なレヴェルにおいては現実的なことであり、幾人か ––– パレスチナ、イスラエル双方における ––– にとっては意味をなすことなのだ」(1)。もちろん、ギタイのフィルムは、単にこの知的な現実性としてのユートピアの視点のもとで(政治的な)現実を批判しているわけではない。彼のフィルムは、なによりもまず、現実の直中におけるユートピアの「はたらき」を注視しようとするのだ。その結果、『フィールド・ダイアリー』では、個々のイスラエル兵たちの思考の多様性と彼らのうちの幾人かが表明する共存の希望は、彼らが集団としてもつ画一性とその政治的実践にたいして著しい矛盾をなすものとして現れてくるのであり、『エルサレムの家』では、ユダヤ人がアラブ人との共存を望みながらも、彼らが暮らす場所(家=エルサレム)に付随する他者の記憶の(なかば意図的なかば無意識的な)忘却 ––– これは自己のルーツに関わる記憶への彼らの関心と表裏一体である ––– によって、アラブ人の存在をめぐる記憶を抑圧しているのが明らかになる。その場所にアラブ人がかつて住んでいたことを想起することの拒否は、アラブ人共同体の存在の否認であり、イスラエル軍事組織による虐殺を恐れて国外に逃亡したアラブ人の家を取り壊し、新たにイスラエル人用住宅を建てることと直接的に結びつく。『エルサレムの家』におけるギタイの試みとは、この点から見るならば、アラブ人の側とユダヤ人の側に拡散したヘテロジーニアスな記憶をもう一度結びつけることであり、とりわけユダヤ人の側、イスラエル国家の側でせき止められていた記憶をヘテロジーニアスな記憶が共存する場へと開くことであったとも言えるだろう。
しかし、それらのフィルムのなかでただ人物たちの言葉のなかにその脆弱な存在を示していたユートピアは、ギタイのフィルムにおいて、つねに現実の世界のなかには見出しえぬものとして現れるわけではない。1981年にラシュミア谷を訪ねたギタイは、そこに思いがけなくユートピアが、ほとんど奇跡のように、紛れもない現実として存在しているのを発見した。そこでは周囲の社会から追放された貧しい人々 ––– ユダヤ人もいればアラブ人もいる ––– が粗末な家を建てささやかな共同体を作り上げていた。彼らは、例えばユセフとアイシャのカップルのようにゴミを集めることで生活し、廃物を使って家を建てているが、生活を豊かにする創意も持ち合わせている。彼らはテラスを作り、庭を造り、小さな畑を耕し、小さな船で漁をする。アラブ人のイスカンダルとユダヤ人のミリアムのカップルの幸せそうな様子を見ればわかるように、ここではアラブ人とユダヤ人を永遠に共存不可能なものとして対立させるような抽象的なイデオロギーは、なんの役割も果たしていない。ギタイはこの谷で思いがけず幸福感と希望に満たされたにちがいない。彼は『ラシュミア谷の人々』の第一部をきらめく光線と陽光に輝く木々の緑色で覆いつくした。そして、彼はこの谷を周囲の世界から完全に切り離して ––– 谷とその外部の世界との空間的な連続性を示すショットを徹底的に排除して ––– 描き出した。彼はこのささやかな幸福感に満ちた世界を近くから見つめ、手仕事的な繊細さで周囲の世界からとりのけたのである。
だが、彼が10年後に谷を再び訪れたとき、この小さな世界は危機に瀕していた。ここにはもうあの陽光も緑の輝きもなく、一つの世界の喪失を語る悲痛なトーンでフィルムは彩られている。アイシャと別れたユセフの顔には、この10年間に彼を襲った苦悩の痕跡であるかのように深い皺が刻まれている。ミリアムとイスカンダルの夫婦は離婚し、イスカンダルは病気の末にもうこの世を去っていた。第二部に登場する人物のほとんどは孤独である。ユセフには新しい家族がいるはずなのだが、その家族は映画に登場することはなく、ユセフは一人きりで薄暗い部屋のベットに座っている。ミリアムもまた、その場違いな華やかさがかえって孤独を際立たせる大きな赤い花飾りのついた帽子をかぶって、一人でテラスに腰掛けている。そして、道路際の小屋には老人がひとりで住んでいる。ギタイは『ラシュミア谷の人々』の第二部の冒頭に、第一部では徹底して排除されていた谷の全景ショットをはじめて挿入している。谷を外部から見たこのショット ––– 他者の視線 ––– によって、谷と外部の世界との回路が開かれるのだ。事実第二部では、第一部とは対照的に、海岸の町から谷へと上昇しながら移動するショットや家の窓越しに谷の外側に建つ高層マンションが見えるショットによって、谷への外部の世界の侵入が、繰り返し示される。あたかも、第一部の谷の幸福な世界が失われたのは、谷と外部の世界とが通底し、外部の世界が谷に侵入してきたからであると、フィルムが主張しているかのようなのだ。
ギタイみずから演じる主人公ゴールドマンの「父の死」から始まる『メモランダム』においては、ユートピアは全く異なる姿で現れてくる。ゴールドマンの父親の世代にとって、イスラエルとは絶滅の危機に瀕したヨーロッパ・ユダヤ人の避難所であり、ショアーの体験を補償するべき約束の地であった。だが、たまたま生まれた場所がイスラエルであったにすぎないゴールドマンの世代にとって、そのようなイスラエルのユートピア的ヴィジョンはもはや空虚なものでしかない。そして、その空虚さは絶えず彼らの生存を脅かす。ゴールドマンの二人の友人セザール(アッシィ・ヤダン)とイスラエル(アモス・シュブ)はゴールドマンの父の葬儀に出席しようとタクシーで墓地に向かう。だが二人を乗せたタクシーは、広大な敷地に整然と立ち並ぶ白い墓石の間をさまようばかりでゴールドマンの墓を見つけられない。別の墓地に移動した彼らは、タクシーを降りて、墓石の間を歩いてみる。真夏の厳しい日差しのもとサングラスをかけて。しかし墓地は見つからず、彼らは疲れ果ててしまう。だが一体、彼らは何故あの時、あれほどまでに疲れ果てていたのだろうか。墓を探すために周囲を見回すこともせず、ただ一直線に墓石の間を横切っただけなのに、彼らは何故帰りのタクシーのなかで精根尽き果てたように眠っていたのか。そして、何故あれほどまでに彼らは、あたかも墓地が彼らの生存を脅かす危険な場所であるかのように、タクシーの外へ自分の足で踏み出すことを恐れていたのか。墓地にひしめく膨大な記憶、建国の歴史=物語と一体化した「父」の世代の記憶によって、押しつぶされ、その中で身動きがとれなくなり、方向を見失い、自分がどこにいるのかも、どこに行ったらよいのかもわからなくなったイスラエルのある世代の肖像。彼らは逡巡し続け、無意味な行為を繰り返し、自殺の誘惑にとりつかれている。『メモランダム』は彼らの希薄で困難な生を描いたささやかなフィルムだ。
『メモランダム』の登場人物たちの生存を脅かす空虚化したユートピアの前史を『ベルリン・エルサレム』は提示する。この作品では、ユートピアはまさにトラヴェリングと回帰の運動のなかに現れる。すでに指摘したように、この作品では、二人の女性のベルリンからエルサレムへの移動(移住)––– ベルリンからエルサレムへのトラヴェリング ––– が物語の骨格をなしているのだが、フィルムそれ自体もまた厳密に対応する二つのトラヴェリング・ショットによって開かれ、閉じられる。このフィルムのファーストショットは、パレスチナの砂漠のトラヴェリング・ショットである。そこでは建物はおろか草木一つ見えない真っ白な砂漠の風景が示される。この無人ショットは、まるで白いスクリーンのようにそこにさまざまなユートピアが投影される場として、パレスチナの地を提示しているのだ。このトラヴェリング・ショットに続くベルリンの地下室のシーンでは、見事なワンシーン・ワンショットによって、パレスチナというスクリーンに投影される二つのユートピアが明らかになる。資本主義の打倒を訴え、理想的な社会の建設を求めてパレスチナに赴くのだと語るロシア人女性革命家タニア(リブカ・ノイマン)の演説に、ドイツ人の女流詩人エルゼ(リザ・クロイツァー)が「約束の地」を幻視する詩で応える。このシーンで交錯する政治的なユートピアと詩的なユートピアの行方を、ギタイは対照的な仕方で ––– イスラエルにおけるタニアの実験とその挫折は叙事的に、ベルリンでのエルゼの彷徨と追放は彼女の眼差しを通して抒情的に ––– 描いていくことになるだろう。
しかし、これら二つのユートピアが辿った歴史を凝縮的に形象化するのは、このフィルムの最後になされる長いトラヴェリング・ショットなのである。背後に建設中の建物が見える瓦礫のなかを歩いていたエルゼは突然、爆音を耳にする。彼女は咄嗟に爆音の聞こえた方向に歩き始める。長いトラヴェリング・ショットが始まる。動揺した彼女は、もはやどこに行けばよいのかもわからず銃声の響くエルサレムの街路を歩き続ける。するといつの間にか、舞台は第二次大戦期のエルサレムから現代のエルサレムに変わっている(過去から現在へのトラヴェリング)。彼女が詩句を呟きながらなおも歩き続けていると、冒頭のベルリンの地下室のアジテーションの声や集合農場の歌などこれまでのさまざまなシーンの音声が、パレスチナ人とイスラエル人との間の紛争を報道するラジオのニュースと混じって聞こえてくる。そして、ある大通りの角でエルゼは右に曲がる。しかし、カメラは彼女を追わない。カメラは彼女と別れ、さらにスクリーンの左方向へとトラヴェリングを続けることになる。この瞬間、フィルムはフィクションからドキュメンタリーへと移行するようにみえる(人気のない街路のショウウインドウには、車上からカメラを回しているスタッフの姿が反映する)のだが、まさにここに、あのフィルムの冒頭でなされた無人のトラヴェリング・ショットが回帰しているのである ––– しかも同じパレスチナの映像として。ただし、この最後のショットは、ユートピアとはかけ離れた現実の世界、もはや二人の女性のユートピアを受け入れる余地などないように見える世界を突きつける。ギタイは、イスラエルの起源ににはらまれていたユートピアが辿った歴史を、たった一つのトラヴェリング・ショットのなかに凝縮してみせたのである。
4.
銃声の鳴り響く街路を歩きながらエルゼはイスラエル建国以前のエルサレムから現在のエルサレムへと迷い込んでしまう。壁には「1969(年)」という落書きが見える。ところで、このとき、過去から現在へ移行するトラヴェリングのなかで、おそらく彼女の存在もまた変容しているのではないだろうか。30年近い月日が流れたにも関わらず、かつてと全く同じ姿でエルサレムの街路をさまよう彼女は、そのとき霊的な存在 ––– 亡命の精霊=精神(L’Esprit de l’Exil) ––– へと移行していると考えることができないだろうか。カメラの前から姿を消した彼女は今や亡命の精霊として、エルサレムに生きる亡命者たちを見守っているのかもしれない。そして『ゴーレム』の冒頭で亡命者を守護する存在として創り出された亡命の精霊は、パリで生きる亡命者たちだけではなく、ギタイの他のフィルムに登場する多くの ––– 顕在的あるいは潜在的な ––– 亡命者たちを守護する精霊でもあるだろう。
『ゴーレム』は、したがってギタイの他のフィルム群の中心に位置し、他のフィルムがさまざまな形で描き出している亡命状態を一つのアレゴリーの形で提示しているのだ。亡命者たちは、ゆっくりとパリの上空を上昇するエッフェル塔のエレベータのなかで微笑み合っていたエリメレク(サミュエル・フラー)と妻のナオミ(オプラー・シェーミシュ)のように、つねに天と地上の間の曖昧な中空に住み着き、船にのって旅を続けるナオミとルツ(ミレイユ・ペリエ)のように、二つの岸辺のあいだを漂っている。彼らは家の取り壊しが進む地区の古いアパートの二階に暮らし、工事現場で働いている。彼らはつねにトランジットの状態にあり、彼らの周囲には確かに世界が存在しているのだが、彼らはその世界の秩序に完全には帰属しておらず、周囲の世界から切り離されて、ちょうど車の荷台に乗ってパリの街を通りすぎるときのナオミとルツのように、地面から少し上の中空を滑るように移動していくのだ。彼らにとって、地上との直接的な接触は、地面に倒れたところをひき殺されたナオミの二人の息子の死が示しているように、不吉なものでしかない。このような亡命者の姿は、ギタイの他のフィルムにおいて、ときには悲痛に、ときには希望を持って描かれていた。その意味で、ギタイの他のフィルムの登場人物たちはみな、『ゴーレム』の世界に生きている。だが、ナオミとルツのベツレヘムへの帰郷の物語である「ルツ記」を現代のパリに置き換え、ナオミとルツをボアズのもとからもさらせることによって、ギタイはこのフィルムで亡命という状態を永遠化している。このフィルムの最後でナオミとルツの乗せた船は長い地下水道のなかに入っていく。天井には丸い穴が空いていて、そこから鋭い陽光が差し込んでくる。光と闇が規則的に回帰する空間を船はどこまでも前進していく。亡命の精霊=精神はその空洞の中空を漂っている。フィルムの冒頭のシーン(ゴーレムの誕生)が反復される。移動と回帰、天から射す光と内部空間を支配する闇。この移動と回帰も、光も闇もギタイのフィルムのすべてを満たしていたものだ。私たちはここにギタイのフィルムの最も内奥にある亡命のアレゴリーを見つめているのである。
(1)エドワード・W・サイード、『パレスチナとは何か』、島弘之訳、岩波書店、p56。
(初出:『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』No.27、勁草書房、1999年5月)