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美しき廃墟の前で
アルノー・デプレシャン 『あの頃エッフェル塔の下で』試論

ポールとエステルは、広々とした美術館の展示室に掛けられた一枚の大判の絵画の前に立っている。そこに展示されているのは、ユベール・ロベールの油彩画「ローマの宮殿のテラス」で、ポール(カンタン・ドルメール)はその絵を一心不乱に見つめている。そんな彼の隣で恋人のエステル(ルー・ロワ=コリネ)は、ポールが見つめる絵に背を向けたまま、展示室の空間に視線をさまよわせる。絵画にすっかり感嘆したポールが思わず「大好きだな」と呟くと、エステルは不意に振り返って絵を見上げ、「じゃあ、私と似ているのね」と彼にたずねる。こう問われたポールは少し慌てながら、眼前の絵画と彼女との類似点を列挙しはじめる。「この左下の部分は時の烈風を示しているけど、君はその烈風のようだ。荒々しくて激しい。僕はこの赤いケープの男で、この赤は君の唇のようだ・・・」。ポールの説明を聞き終えたエステルは、満足そうに彼を見つめて「私は別格の存在よね?」とたずねる。彼が同意するのを確認して、エステルは「じゃ、愛してるわ」と宣言するのだった。

映画の中盤にあるこの場面でユベール・ロベールの絵画が示されるのは、もちろん偶然ではない。「廃墟の画家」として知られるロベールは、古典古代や同時代の建築物を廃墟の光景として描くことを好んだ。「ローマの宮殿のテラス」のような作品では、古典古代を廃墟として示すことによって、永遠性が過ぎ去りゆく時間のはかなさと結びつけられる。それとは逆に、ロベールの代表作のひとつである「廃墟となったルーヴルのグランド・ギャラリーの想像図」では、同時代のルーヴルのギャラリーが廃墟として描かれ、はかなく移りゆく現在に古代的な相貌(威厳と偉大さ)が付与される。遠い過去を現在的なものとして、移ろいゆく現在をとうに過ぎ去ったものとして提示すること。ユベール・ロベールの絵画の根底にあるこの二重の光学が、『あの頃エッフェル塔の下で』にも認められる。この映画で描かれる若い二人の恋愛の日々もまた、どこまでも現在的でありながらとうに過ぎ去ったものとして、またとうに過ぎ去ったものでありながら現在的なものとして、私たちの前に現れる。

このことは『あの頃エッフェル塔の下で』という作品の特殊な時間構造と関係している。この映画の原題(『我が青春についての三つの回想 私たちのアルカディア』)が示している通り、ポールとエステルの青春の日々は、50歳になろうとするポール・デダリュスの回想を通して語られるのである。この作品では『そして僕は恋をする』(1996年)で29歳だった主人公が、約20年後に、『そして僕は恋をする』の10年前(あるいはさらにそれ以前)の出来事を回想する。そのさい、タジキスタンでの滞在を終えてパリに帰還したポール・デダリュスの現在と、ポールがエステルと最初に出会ってからの数年間との間には、『そして僕は恋をする』で描かれたポールとエステルの最後の日々がある。この作品は『そして僕は恋をする』の設定を厳密に引き継ぐ続編ではないとしても(たとえばポールの職業は哲学講師から人類学者に変わっている)、この映画のいわば不在の中心には『そして僕は恋をする』で描かれたポールとエステルの日々がある。したがって、私たちは本作を考察するにあたって、『そして僕は恋をする』とその前作にあたる『魂を救え!』(1992年)へと迂回する必要がある。

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