以下に掲載するのは2025年12月14日に水戸芸術館会議場で開催された第35回吉田秀和賞贈呈式で行った受賞者スピーチの採録です。『表現文化』第15号に掲載されました。注を含む完全版(PDF)はこちらからダウンロード可能です。
***
このたびは第35回吉田秀和賞という栄誉ある賞を賜りまして、大変光栄に存じます。審査委員の片山杜秀さま、堀江敏幸さま、また選考作業に従事してくださった方々、そして公益財団法人水戸市芸術振興財団の皆様に御礼を申し上げます。
受賞発表時のプレスリリースにも書かせていただきましたが、人形浄瑠璃の観客史というある意味ではとてもマイナーな主題を論じた拙著(『人形浄瑠璃の「近代」が始まったころ』、和泉書院)を見つけていただき、「芸術評論」として評価していただいたことを大変嬉しく感じています。
人形浄瑠璃もそこに分類される「古典芸能」あるいは「伝統芸能」と呼ばれる芸能は、日本の価値ある文化遺産として社会的に確固たる地位を占めているわけですが、他方ではまた、なにか非常に特殊なものとみなされてもいます。芸術や文化に深い関心を持つ人たちであっても、まったく接点を持たないことも少なくありません。そういう人びとにとって、人形浄瑠璃は私たちの同時代に息づく現代の芸術とは言えない何かなのだと思います。それゆえ人形浄瑠璃を扱う書物も特殊な一部の愛好家のための書き物で、芸術一般に関心を持つ読者に向けられた本ではないとみなされてしまいがちです。このことは、拙著が論じるように、昭和初年に人形浄瑠璃が「古典芸術」になったことの裏面です。私の本は人びとと人形浄瑠璃とのあいだの、そうした互いに疎外し合うような関係の歴史を遡り、その「始まり」の光景を描き出すことを試みていると言えるのですが、同時にそうした関係を解きほぐし、伝統に支えられながらも私たちの同時代のものでもある芸術として、人形浄瑠璃を捉え直す可能性を探求する本でもあります。ですから人形浄瑠璃に関心のある読者にしか読まれないという状況はとても残念なものでした。今回、この栄誉ある賞に選ばれたことで、拙著に対して「芸術評論」として読まれるチャンスが開かれたことに大きな喜びを感じています。
今回の受賞の喜びには、もうひとつ理由があります。それはこの賞が希代の批評家の名を冠した賞であり、批評というものを大変に重視してきた賞であることです。私はかつて映画批評を盛んに執筆し、『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』 という勁草書房から出ていた映画批評誌の編集同人にも参加していました。拙著の第4章で私は同人化後の『浄瑠璃雑誌』の批評を考察していますが、そこではこの経験が活かされています。というわけで、批評は私にとって、つねに重要な活動であり続けてきました。今回の本は基本的には歴史研究です。それでも私自身はこの本にも批評の血が流れていると考えています。本書のなかで私は、『浄瑠璃雑誌』の同人であった祐田善雄氏の仕事を取り上げ、歴史研究の批評性を論じています。祐田氏の歴史研究では、過去の人形浄瑠璃の姿がその変化しつつある動態において捉えられるのですが、そこにはつねに現在を捉え返す眼差しが同時に作用しているのです。こうした歴史研究の批評性は本書が目指すものでもあり ました。
本来、人形浄瑠璃を専門とする研究者ではなかった私がこの本を書くことができたのは、多くの方の助力があったからです。ここですべての方のお名前を挙げることはできませんが心から感謝の意を表したいと思います。
くわえて、出版元の和泉書院の皆様にも感謝申し上げます。この本が和泉書院から出版されることは、私とって大きな意味がありました。というのも、和泉書院は『義太夫年表 昭和編』をはじめとする浄瑠璃史研究の基礎資料や重要な研究書を出版してきた出版社だからです。幸いにも拙著は多くの人形浄瑠璃の研究者に読んでいただき、たくさんの感想をお聞きすることができました。これは和泉書院の本であったことと無関係ではないと思います。
最後に、本来の謝辞とは少しずれてしまうかもしれませんが、演劇評論家の渡辺保氏にも謝意を述べさせていただきます。私は古典芸能一般を愛好しているわけではなく、歌舞伎をあまり見ない人間なのですが、それでも渡辺氏の批評と研究からは多くを学んできました。渡辺氏が毎日新聞に書かれた拙著の書評は、批評とは何か、批評家とはどんな人間であるのかを、改めて私に教えてくれるものでした。その分野ではまったくのノーネームである書き手が書いた本を取り上げ、一切の先入見なしにその内容を評価し、明晰な言葉でその核心を浮き彫りにするとともに、著者の想定をも超えたパースペクティブの中に対象を位置づけてみせること。しかも、作品と向き合う「私」の姿がごく自然にくっきりと浮かび上がるような仕方でそうすること。拙著がそうした批評に恵まれたことは僥倖としか 言いようがありません。
さて少し謝辞が長くなりましたが、ここからは私の本について簡単に述べてみたいと思います。まず学術面からみた特徴を要約し、次に本書の問いかけを現在の議論と結びつけて提示してみたいと思います。
本書の特徴
まず私の本のテーマですが、一言で言うと、人形浄瑠璃の「近代」の始まりを「観客」という観点から捉え直すということになります。いつどのようにして人形浄瑠璃は「古典」とみなされるようになったのか、そしてそれはどのような意味を持つ出来事だったのかを歴史資料に基づいて検証しています。それは「古典」という「ものの見方」の歴史性を浮き彫りにし歴史化することでもあります。さらに、そうした考察にもとづいて「古典芸能」としての人形浄瑠璃の現在地を見定めることも、本書の主題だと言ってよいでしょう。
ここでは学術的観点から見た本書の特徴を4点に絞って述べたいと思います。
まず第1点は、本書が観客史のアプローチを人形浄瑠璃研究に導入したということです。明治期以降の人形浄瑠璃の研究では、これまで主に演者・興行者の側に立つ視点から人形浄瑠璃の近代への歩みが検証されてきました。それに対して本書では演者や興行主ではなく、劇場で人形浄瑠璃の舞台を体験していた観客たちに焦点を合わせ、彼らの観劇体験の歴史的変容を明らかにしようとしています。
ちなみに歌舞伎研究や映画研究では、これまでにも観客史的な研究はなされてきました。とりわけ映画研究では初期映画研究が隆盛した1990年代以降、観客史が非常に盛んで、日本でも近年多くの研究成果が刊行されています。私が本書を書くにあたってもっとも刺激を受けたのは、ドイツ出身でシカゴ大学で教佃を執った映画研究者ミリアム・ハンセン(Miriam Hansen)の著作でした。彼女が1991年に刊行した Babel and Babylon: Spectatorship in American Silent Film(Harvard University Press)という本は、まだ見世物的要素を残していたニッケルオデオンの時代から今日の映画館の形が整った1910年代後半の物語映画の時代への移行期に、観客の鑑賞態度がどのように変化したのかを論じています。この書物は通常の通時的かつ実証的な映画史研究とは異なり、章ごとに視点をガラリと切り替えて観客の映画体験の変容を多面的に描き出しています。この本のコンセプチュアルな構成は、私にとってひとつのお手本になりました。
そういうわけで私の本の第二の特徴と言えるのは、方法論の多元性です。本書が対象とする昭和初年の新しい観客たちは、無名の人びと、大衆です。彼らの中には観劇の感想をノートに書き留めていた人もきっといたと思いますが、そうした記録は現在まったく残っていません。谷崎のようにすでに書き手であったか、吉永孝雄のように後に書き手に回った人を除いて、証言は残されていないのです。したがって、当時の観客の観劇体験を実証的な資料のみに基づいて再構成することはほぼ不可能です。そのため本書では、無名の観客たちの経験に間接的に接近するために複数の方法論を使い分けています。それぞれの章で用いられている方法論をざっと述べてみると、まず第1章(「弁天座の谷崎潤一郎」)では、文学研究のテクスト分析と映画研究のモダニティ論の知見が援用されています。続く第2章(「四ツ橋文楽座の「無知な」観客たち」)は、映画観客史研究のプログラム分析の手法や演劇学の劇場史研究の知見を活用しています。第3章(「「古典芸術」としての人形浄瑠璃と新作の行方」)の中核をなすのは、全文検索可能なデータベースを用いた用例調査と文献調査です。そして「新しい観客による新しい批評」と題された第4章では、文学史研究や批評メディア論の知見が用いられています。本書は全体として見ると通時的な構成になっていますが、章ごとに視点を切り替え、新たな角度から歴史のプロセスを提示するように構成しています。章が改まるたびに読者の目にする風景が変わるのです。そして序章と終章は、本論で扱う時代と現在を結びつける役割を果たします。
ちなみに私自身は本書のこうしたアプローチを表象文化論的だと考えているのですが、その主題ゆえに私が所属する表象文化論学会ではそのようなものとして認識されていませんでした。今回の受賞をきっかけとして、表象文化論の研究者にも読んでもらえるようになるといいなと期待しています。
本書の三つ目の特徴は『浄瑠璃雑誌』の悉皆調査です。『浄瑠璃雑誌』は明治32年に創刊された大阪の浄瑠璃専門誌で、昭和20年に廃刊になるまで46年間に425号が刊行されました。元々は義太夫節の愛好者、つまり文楽座で観劇するだけでなく自分でも趣味で義太夫節の稽古をしていた人びとの雑誌でした。それが昭和14年に同人体制に移行して先鋭的な批評誌に変貌します。かつての愛好者とは異なり、この同人たちは、みずからは義太夫節を趣味として語ることをしない人びとでした。つまり、もっぱら「古典芸術」として人形浄瑠璃を鑑賞する観客たちだったのです。そういうわけで、大阪の観客の二つの世代(旧来の観客と新しい観客)を架橋する媒体が『浄瑠璃雑誌』だったのです。この雑誌の記事はこれまでも浄瑠璃史研究のなかで散発的に参照されてきましたが、観客史の資料としてシ ステマティックに活用したのは本書が初めてだと思います。
最後にもうひとつ、モダニティという観点を本書の特徴として挙げたいと思います。従来の研究では、明治期以降の人形浄瑠璃の展開は「近代化」の観点から論じられてきました。「近代化」とは、ある事象が近代社会にふさわしいあり方に変化するプロセスを意味しています。人形浄瑠璃における近代化とは、興行体制の近代化(松竹への興行の一元化)や興行方式の近代化(上演時間の短縮など)、さらに芸の近代化(山城少掾の仕事)などを指しているのですが、近代化論には、どうしても単線的な発展を描く目的論的な歴史記述になりやすいという欠点があります。 目的論的とは、現在の状態を目的地とみなして、そこから逆算して過去を現在に至る発展の必然的なプロセスとして再構成してしまうということです。人形浄瑠璃の観客史という観点から見たとき、そうした近代化論のひとつとして挙げられるのが「古典化の仮説」です。古典化の仮説は、人形浄瑠璃の上演が「古典芸能」という近代にふさわしいあり方に移行する過程を説明する点で近代化論のバリエーションです。「古典化」は演目の変化(優れた新作の途絶と演目の固定化)、演者の意識の変化(風の継承の意識の高まり)、観客の意識の変化(ドラマから芸の鑑賞への関心の重心の移動)を伴うとされます。この仮説の問題点は、「古典」という近代に固有の観念を江戸末期の観客の芸の受容のあり方にまで遡及的に適用することで、観客の観劇態度に時代を超えた連続性を想定してしまう点にあります。それによっ て、本書が検討した昭和初年における新しい観客たちの登場とそれに伴う観劇態度の根底的な変容が見逃されてしまうことになります。この「古典化の仮説」の 批判的検討は、ひょっとしたら、従来の人形浄瑠璃研究に対して本書が提示するもっとも大きな問題提起かもしれません。
私はこうした近代化論に代えて、モダニティという観点を打ち出しました。モダニティとは、簡単にいうと、近代の大都市生活者が内面化している意識と感受性のありようです。新しい観客の出現とはモダニティの感受性を内面化した観客の出現であり、「新しい観客」の新しさとはモダニティの感受性との親密さです。片 山先生が選評のなかで、「映画というモダンを経なくては人形浄瑠璃の古典性は発見されなかった」とお書きになっていますが 、まさしくその通りなのです。当時、モダニティの感受性を代表したメディアが映画であり、だからこそ本書では、人形浄瑠璃とモダニティの出会いを媒介するものとして映画が繰り返し話題になっています。
さてここからは大急ぎで、本書の問いかけとアクチュアルな議論との接点を二つに絞って紹介したいと思います。
「古典芸術」の現在:国立劇場再建問題
まず第1点目です。私は本書の序章で、人形浄瑠璃の現状について、こう書いています。「そういうわけで、人形浄瑠璃は、少数の熱心な愛好者を持ちながらも、分厚い無関心の壁に取り囲まれているというのが実情である」 。また終章では、この文章を受けて、「序章で述べた今日の人形浄瑠璃をとりまく状況(中略)は、そ うした古典のアポリアの必然的な帰結に他ならない」と書いています 。ここで言う「古典のアポリア」とは、普遍的価値の認定が不可避的に対象を特殊化してしまうという事態を指しています。私たちの社会では、日々、新しい音楽、新しい小説、新しい映画、新しい演劇が生み出されているわけですが、それらは、どれひとつとして普遍的価値など認定されてはおりません。同時代的な表現であることの証は普遍的価値を認められていない点にある、と言ってもいいでしょう。ところが、そんな同時代の有象無象の表現のなかで、人形浄瑠璃は普遍的価値を持つ(とされる)ものとして存在している。それが人形浄瑠璃を特殊なもの、他の同 時代の表現とは異なるものにしてしまうのです。そして「古典」とは、本質的に過去の作品に対してなされる認定であるがゆえに、人形浄瑠璃を「古典」とみなすことは、それを「過去の芸術」とみなすことにほかなりません。そして「過去の芸術」だとすると、それを楽しむには「予備知識」が必要だということになり がちです。こうして人形浄瑠璃は、どんどん人びとから遠ざかっていきます。
ただ急いで付け加えると、「古典」になることは、人形浄瑠璃が近代の荒波を乗り越えるための生存戦略でした。そして、それは実際に機能しました。「古典」になったおかげで、国家の保護を得て、人形浄瑠璃は今日まで生き延びてきたわけです。しかし、現在、この生存戦略が機能しなくなっているように思います。
その徴候として、私が本のなかで論じたのは、 2012年の大阪市による補助金削減騒動でした。当時、新聞を始めとするメディアでは、大阪市長を批判する報道が盛んになされました。ただ東京方面の方はお気づきにならなかったかもしれま せんが、大阪市民の間で市長に対する抗議が大きな盛り上がりを見せたわけではありませんでした。むしろ大半の市民にとって、文楽座の危機はそれほど重大な問題ではなかったのです。もし市民の大多数から反対の声があがっていたなら、「民意」を察知することに長けた市長のことです、即座に方針を撤回していたことでしょう。しかし、そうはならず、市長の方針は完全に実現されました。演者たちはあのとき、自分たちの足場がどれほど脆弱なものであるのかを痛感したはずです。この出来事が、 2010年代後半から多方面で積極化する演者たちの活動に繋 がったと私は考えています。
現在の国立劇場再建問題は、 2012 年の補助金削減騒動の第二章だと私は見てい ます。今回も新聞やメディアを通して、この問題への早急の対応を求める声が識 者や演者たちから上がっていますが、国民の関心はそれほど高くありません。そ れも当然です。ほとんどの人びとは、国立劇場とも、そこで上演される伝統芸能 とも、何ら接点を持っていないからです。今回は文楽だけでなく、伝統芸能の全 体が分厚い無関心の壁に直面していると言っていいでしょう。
2025年9月に公表された文化庁の資料では、再建の基本的な考え方として「(1)伝統芸能の伝承と創造に係る機能強化、(2)文化観光拠点としての機能強化、(3)周辺地域との調和等」が挙げられています。(1)は国立劇場法(1966年制定)に規定された国立劇場の任務です。今回の再建がややこしいことになっているの は(2)の観点が入ってきたからです。そして、なぜ(2)の観点が入ったかと言 えば、「国立劇場が伝統芸能の殿堂であるだけでは、国費の投入を正当化できない」という認識が国の側にあるからでしょう。 2024年5月に自民党の国立劇場再建プロジェクトチームが公表した提言でも、国立劇場の問題点として「人々が上演される公演を観るために訪れる程度の「場」」でしかないことが指摘されています 。すなわち、伝統芸能の愛好者だけが足を運ぶような施設では困るというわけです。
私の本の第二章では、昭和五年一月に開場した四ツ橋文楽座が開場前から新聞などで「古典芸術の殿堂」と呼ばれていたことを確認していますが、昭和42年に開場した国立劇場もまた演者や観客にとっては「伝統芸能の殿堂」であったのだと思います。ところがいまや、国立劇場はただそうした「殿堂」であるだけでは再建に値しないと言われているのです。こうした状況の変化に呼応するように、独立行政法人日本芸術文化振興会が公表した最新の計画では、「飲食とともに芸能を楽しむ舞台付きレストラン」の設置が盛り込まれています。このような観劇空間の導入は、本書で議論した近代的 な「鑑賞」を特徴づける観劇と社交の機能分化を相対化することを意味しています。ここでは話を人形浄瑠璃に限定しますが、四ツ橋文楽座の時代に成立し、東京国立劇場で確立した「正しい古典鑑賞」の規範から逸脱する観劇体験を、国立劇場が提供しようとしているのです。こうした変化のうちに、私は「古典芸術」 の現在地を見ることができると考えています 。
「無知な観客」の現在、そして「方法」としての「無知な観客」
私の本と現在の議論との二つ目の接点に移ります。2025年はなんといっても、映画『国宝』(李相日監督)の大ヒットが話題でした。この映画のおかげで歌舞伎座の観客動員も増えているという報道がなされています。つまり、いままた「新しい観客」が出現しているわけです。実は『国宝』ブームと四ツ橋文楽座開場時の 文楽ブームには共通点があります。それは「誰にもその理由がわからない」ということです。四ツ橋文楽座の開場時の大盛況の理由について、私は本のなかでまったく言及しませんでした。というのも、もっともらしい説明はできるとしても、最終的には、理由がわからないからです。近代建築の劇場は四ツ橋文楽座が最初ではないですし(松竹座の開場は大正12年)、文楽座はずっと大阪で公演しており、外国の一座のように「目新しい」見世物であったわけでもありません。同様に、映画『国宝』のヒットについても様々な考察がなされていますが、東宝の専務の方が新聞のインタビューで仰っている通り、「理由はわからない」というのが一番正確な事態の描写だと思います。「新しい観客」が出現するときには、こうしたことが起こるのかもしれません。
本書の第二章で私は、四ツ橋文楽座に現れた新しい観客たちを「無知な観客」と呼びました。彼らは「二重の無知」によって特徴づけられます。すなわち、演目に対して無知なだけでなく、人形浄瑠璃の形式自体についても無知だったのです。ただし、私はこの「無知」という言葉をネガティブな意味で用いているわけではありません。この「無知」は「知識」の欠如であって、「知性」の欠如ではないのです。無知な観客とは、とりわけ知的好奇心旺盛な、知的活動性の高い観客たちです。この新しい観客たちはモダンな都市文化に親しみ、モダニティの感受性を内面化した人びとでした。そして、こうした人々こそが人形浄瑠璃を「古典芸術」として鑑賞し始めたのです。 映画『国宝』を見て、歌舞伎座に足を運ぶ「新しい観客たち」も、同様の意味で「無知な観客」だと言えるでしょう。そして、彼らもまた、私が考察した『蓼喰ふ虫』の主人公のように、歌舞伎座の客席で映画のイメージを想起しながら舞台を見つめているはずです。『蓼喰ふ虫』の主人公が吉田文五郎の遣う小春の人形 にアメリカ映画のイメージを重ね合わせることで、人形浄瑠璃の魅力を発見したように、現代の新しい観客も映画のイメージを歌舞伎役者に重ね合わせることで、歌舞伎の魅力を発見しているのかもしれません。
ただ、この「無知な観客」という存在には、それ固有の陥穽があります。私は終章で、いま述べたような「無知な観客」の経験が、もうひとつの「無知な観客」のあり方によって抑圧され、否定されることを指摘しました。すなわち、「予備知識」を学ぶことで「無知」を克服し、「正しい古典の鑑賞者」たらんと努力する観客たちによって、『蓼喰ふ虫』の主人公のような観客は否定されてしまうのです 。「正しい古典の鑑賞者」にとって、人形浄瑠璃は本質的に18世紀の芸術であり、現代の感覚で理解すべきものではないからです。しかし、実を言うと、これは二人の別々の「無知な観客」の対立ではありません。むしろ、この二つのタイプの「無知な観客」は、同じひとりの観客のなかで共存しています。「予備知識」を学び、 「無知」を克服する努力をすることで、観客は、みずからの当初の感動を初心者に特有のウブな反応とみなすようになり、その価値を切り下げてしまうのです。そのとき、当初の経験のうちに存在していたはずの人形浄瑠璃と観客の現在とのあいだの結びつきも、見失われることになります。これは私自身、身に覚えがある事柄です 。
そこで登場するのが、「方法」としての「無知な観客」というコンセプトです。 それは、知識を学び、鑑賞経験を深めながらも、人形浄瑠璃と観客の現在とのあいだの結びつきを見失わないために、あえて「無知な観客」であり続けるということです。本書を執筆しながら、人形浄瑠璃を「伝統に支えられた現代の芸術」として捉え直すには、この方法が有効なのではないかと考えるようになりました。 私にとって、本書の執筆はそれ自体がオルタナティブな学びのプロセスであり、「無知な観客」という「方法」の探求でした。「方法」としての「無知な観客」。これが本書の根底にある知的態度です。
もう時間ですので、最後に一言だけ今後の仕事について述べて終わりにしようと思います。私は本書の末尾でこう書いています。「伝統に支えられた現代の芸術という観点のもと、人形浄瑠璃の活動の全体を注視し、そこに見いだされるであろう「新しい、生への胎動」に批判的に伴走する言葉を、私たちは必要としてい る」。しかし、それがいかなる言葉であるのかは、まったく示せておりません。やはりそれを具体的に示すような仕事をしなければいけないだろうと感じています。現在、人形浄瑠璃について語る言葉を眺めると、非常にアンバランスだと感じます。「解説」が氾濫する一方で、「批評」がほとんど存在しないのです。「予備知 識」の欠落を埋めるには「解説」が役に立ちますが、人形浄瑠璃と私たち一人一 人の現在との接点を見いだし、更新していくのは「批評」の役目だと思います。私自身は、劇評を書くことはできませんが、批評性をもった研究を行うことで「人形浄瑠璃を語る新しい言葉」を探求していきたいと考えています。御静聴ありが とうございました。