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『夜光』について

ぎりぎりになってしまいましたが、大阪から参戦する桝井監督の『夜光』を応援します。

『夜光』は特権的な個人ではなく、「普通のひと」の映画です。仕事は生活費稼ぎと割り切って、休日に趣味の音楽に没頭しようと思って就職したのに、いつの間にか仕事に追いまくられて気がつけば楽器に触ることもなくなってしまっていたり、研究が続けたくて非常勤講師や塾講師をしていたのに、いつの間にか疲弊して研究へのモチベーションが失われている自分に気がづいたり、マッキンゼー流処世術のカッコ良さに惹かれて勝間本を読んでみたものの、「こりゃ自分には無理だわ」と内心思ってしまったり、いつ終わるとも知れぬ長期間の就職活動でへとへとになってしまったりしている、そんなわたしやあなたの現在がこの映画には描かれています。じっさい、この映画に出演しているのは、大阪の中崎町周辺で働き暮らしているひとたちです。

しかしだからといって、『夜光』はわかりきった日常を退屈に反映するだけのリアリズム映画ではありません。むしろその対極にあるといっていいでしょう。厳格なショットのひとつひとつのなかで、登場人物たちはじつに堂々とした存在感をもった立ち姿で現れ、決して日常的ではない言葉遣いで会話を交わします。アクションも発話も、奇妙な感触を強烈に残します。

特にこの映画で話される言葉のありようは、唯一無二と言っていいでしょう。前作では原作小説の言葉がそのまま台詞として用いられていたのに対して、『夜光』では、桝井監督がインタビューでも語っている通り、現実から採集した言葉をもとに構成された台詞が用いられています。この話し言葉でも書き言葉でもない言葉の魅力をぜひ味わってほしいと思います。映画における言葉のありようにはまだまだ私たちに未知の可能性が潜んでいるのだと知ることになるでしょう。

したがって、『夜光』は私たちの普通の生活を描いていますが、それを強烈に異化してもいるわけです。そして、この映画に登場する普通の人々は、自分の現実を変えようとして、迷い、考え、最初の一歩を踏み出します。それはどんなにささやかなものであろうとも、現実を「いまあるものとは別のもの」として想像=創造しようとする試みです。まさにこの点でこの映画の形式と内容は厳密に一致しているわけです。そのとき、私たちの眼前で、見慣れたものだったはずの世界の相貌が一新されていくことに、私たちは深い感動を覚えることでしょう。夜の闇のなかに光が瞬き出すのです。

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