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複製芸術論文を脱アウラ化する
書評『ベンヤミンの映画俳優論』

日本映像学会の学会誌『映像学』115号に書評を執筆しました。取り上げたのは、長谷正人氏の著書『ベンヤミンの映画俳優論──複製芸術論文を読み直す』(岩波書店)です。これまで多くの論者によってうんざりするほど論じられてきたとも言えるベンヤミンの複製芸術論文を、従来の多くの研究とは異なる角度から読み直す刺激的な論考です。この書評では、著者のアプローチの独自性を従来のベンヤミン研究やベンヤミンを論じた映画研究との違いに注目して整理するとともに、著者の議論の射程がベンヤミン自身が複製芸術論文で論じなかった事柄にまで届いていることを指摘しています。

海老根剛「複製芸術論文を脱アウラ化する」(『映像学』115号)

複製芸術論文を脱アウラ化する

長谷正人著『ベンヤミンの映画俳優論——複製芸術論文を読み直す』(岩波書店、2025 年8 月)

海老根 剛

 2003 年の論集Mapping Benjamin の序文で、編者のハンス・ウルリヒ・グンブレヒトとマイケル・マリナンは、「複製芸術論文は(…) 20 世紀の学術的人文学の歴史上、もっとも頻繁に引用され、もっとも活発に議論されてきた論考である」(Gumbrecht and Marrinan, 2003, p. xiii)と述べている。21 世紀に入ってもこの趨勢は続き、日本では複製芸術論文の読み直しを掲げる単著が複数刊行されてきた。多木浩二著『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』(岩波現代文庫、2000 年)、遠藤薫著『廃墟で歌う天使——ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』を読み直す』(現代書館、2013 年)、山口裕之著『現代メディア哲学——複製技術論からヴァーチャルリアリティへ』(講談社選書メチエ、2022 年)がそれである。だが複製芸術論文への、こうした異例とも言える関心の持続は、筆者のような局外者に疑念を抱かせもする。この論文を精読することでしか論じ得ないような事柄がいまだ存在するのだろうか? 映画研究はこの論文にいまなお十分に汲み尽されていない論点を見いだせるのか?

 長谷正人氏の新著『ベンヤミンの映画俳優論——複製芸術論文を読み直す』(岩波書店、2025 年)は、2000 年以降、日本語で書かれた4 冊目の複製芸術論文読み直しの書である。だが、いま述べたような疑念を抱きつつこの著作を手にとった読者は、新鮮な驚きを感じるにちがいない。というのも、本書は先に言及した3 冊の先行書(および他の多くの論文)とはまったく異なるアプローチで複製芸術論文を扱っており、従来の映画研究におけるこの論文の理解を刷新してもいるからである。簡潔にまとめると、本書の特色は次の4 点にある。(1)複製芸術論文を執筆当時の政治的・社会的文脈に位置づけ直すこと(第1章)、(2)複製芸術論文の脱アウラ的読解を推し進めること(第2章、第3章)、(3)映画観客の知覚経験をめぐる議論(映画観客論)に注目する従来の研究とは一線を画し、映画俳優の経験に関する考察(映画俳優論)に照準すること(第3章)、(4)ベンヤミンのラジオでの仕事を映画俳優論の背景として捉え直すこと(第4章)。すなわち、本書では各章ごとに新たな視点が導入され、従来の議論が更新されていく。そうした考察を通して著者が私たちに示すのは、第一に、映画の持つ政治的ポテンシャルの中心を俳優の仕事に見いだす視点であり、第二に、今日の私たち自身の映像との関わりに含まれるオルタナティブな可能性である。

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