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戸惑いをもたらす映画の豊かさ 
青山真治監督の仕事

7月31日に出町座で青山真治監督の「北九州サーガ」について話をすることになったので、7月はその準備のため、いま見ることのできる青山監督の長編作品を時系列に沿って順番に見直していた。

 その作業は驚きの連続だった。「自分は当時、いったい何を見ていたのか」と愕然とすることが多かった。『こおろぎ』のように比較的最近に映画館で上映された作品や『名前のない森』のようにお気に入りで大学の授業で繰り返し上映していた作品は別として、多くの作品は公開時に見たきり見直していなかった。久しぶりに見たそれらの作品は、じつに多彩で賑やかで、挑戦的でありながらも愛嬌のある表情を浮かべていた。とりわけ青山監督の代表作とされる「北九州サーガ」から外れる作品群に、そうした魅力を強く感じた。それにしても、なぜそうした作品の魅力に十分に気づかぬままにいたのだろうか? そう自問したときに、自分がある視野狭窄に陥っていたことに気がついた。それは私が2000年5月に行ったロングインタビューにも典型的に表れている視野狭窄である。

 このインタビューの経緯についてはすでに別のエントリーで書いたので省略するが、インタビューを準備しながら、私は無自覚なままに「ユリイカ史観」とでも呼ぶべき態度に凝り固まっていたのだった。『ユリイカ』には、役所広司が刑事役の松重豊に向かって「自分のやり方を見つけるのには時間がかかるんです」というようなことを言う場面があるが、『ユリイカ』を見て感動した私は、この作品で青山監督がついに「自分のやり方」を見つけたのだと決めつけてしまった。それは『ユリイカ』という作品を特権化することを意味し、『Helpless』以後の作品群をすべてこの作品に到達するための「試行錯誤」、「紆余曲折」とみなすことに繋がった。そしてそれは『ユリイカ』以後の作品をも、『ユリイカ』というベンチマークのもとで評価することに通じている。じっさい、当時、インタビューの準備として『ユリイカ』以前の一連の作品を見直したとき、私はそれらの作品をもっぱら『ユリイカ』という「到達点」との関係においてのみ評価する態度をとってしまった。それによって生じた視線の歪みが、あのインタビューには明瞭にみてとれる。今回、あらためて青山監督の作品を集中的に見直すことで、ようやく私はそのことに気がついたのだった。いま同じインタビューを行うなら、私は『WiLd LIFe』や『冷たい血』や『シェイディ・グローヴ』について、まったく異なる質問をするだろう。ただ、それでもインタビュアーの視線の歪みを補正しながら読むならば、あのインタビューには青山監督の映画作りにとって核心的な発言がいくつか含まれているのではないかと思う。

 青山監督が死去してから最初に復活上映されたのは『Helpless』(1996年)、『ユリイカ』(2000年)、『サッド ヴァケイション』(2007年)の3作品だった。いわゆる「北九州サーガ」を構成するこの3本は、間違いなく青山監督の代表作であり、まっさきに見直されるべき作品であることに異論はない。また新しい観客がこの3作品を通して青山真治という映画作家を発見することも、決して悪いことではない。しかし、もしこの3作品に過剰な一体性が付与され、そこになにかしら青山真治の映画に固有の本質のようなもの(独自の主題やスタイルや美学など)が凝縮的に表れているとみなされるなら、当時私が『ユリイカ』を特権視することによって陥ったような視野狭窄が再生産されるのではないかと危惧してしまう。今後、他の青山作品の回顧上映が行われるときに、観客が「北九州サーガ」の3作品をベンチマークとしてそれらの作品を見るならば、おそらく不幸なすれ違いが生じるだろう。それらの作品の多くは、「北九州サーガ」よりも完成度の低い作品として、あるいは監督の意図が十分に実現されなかった作品として受けとられることになるかもしれない。「青山真治を再導入する」ための第一歩が「⻘⼭真治を「『EUREKA』の監督」という決まり⽂句から解き放ち、その他の傑作を救い出す」(葛⽣賢)ことにあるとするなら、そこには、「北九州サーガ」によって青山真治の仕事が代表されることを回避し、他の作品の魅力を感じとれるように観客の視線を解きほぐす作業も含まれねばならないだろう。

 具体的な表現に即して見比べるなら、『Helpless』、『ユリイカ』、『サッド ヴァケイション』で際立っているのは同一性ではなく差異であり、それらの作品はまったく異なるスタイルで演出され、撮影され、編集されている。そして、それはこの3作品に限ったことではない。今回あらためて監督の作品を見直して気づかされたのは、青山真治が、みずからの作品のなかで同じことを繰り返すのをよしとせず、新しい作品を撮るたびごとに、もう一度始まりの地点に立ち戻り、みずからの映画を発見し直すことを自分に課した映画作家だったということである。青山作品を見ると、監督がつねに別の仕方で場面を演出し、カットを割ろうと試みていたことがわかる。青山監督のフィルモグラフィーは、「すべての映画は撮られてしまった」という認識のもとで、それでもなお、そのつど新たに映画を作り始めるという試みの連続であって、「北九州サーガ」もそうした相対的に上手くいったりいかなかったりした試みの一部をなしている。二世紀目に入った映画に何が可能なのかを探求した多種多様な試みの軌跡として青山監督の作品と向き合うときにこそ、ひとつひとつの作品の面白さやそこでなされたチャレンジが見えてくるのではないかと思う。

 ここではそうした作業の糸口として、青山監督の作品における「作家性」の問題を取り上げてみたい。たとえば『シネマの大義』に収録された短い文章で、廣瀬純はこう書いている。

フィルムであっても、批評文であっても、たったワンシーンを観るだけで、あるいは、たった一文を読むだけで、それが彼のものに違いないと誰しもが直ちに確信せずにはいられない。ときおり聴かせてくれるギターの演奏ですら、彼が二、三の音をつま弾くだけで、我々はそれが彼の指先からこぼれ出るものであると直ちに気づかずにはいられない。青山真治の偉大さは、映像であれ言葉であれ音であれ、そこから直ちに、彼の名が著された世界を構成してみせるその驚くべき力に存する。

「青山真治『地球の上でビザもなく』 到達し得る最も遠くの「無人島」へ」、『シネマの大義』所収、フィルムアート社、205頁。

まったくその通りだと思う。しかし、意外なことにと言うべきか、「それでは青山真治の作家性はどこに見いだされるのか?」、「青山真治の署名とみなせるような視聴覚的特徴、すべての作品に通底する固有の映像美学や演出のスタイルはいかなるものなのか?」と問うと、途端に答えに窮することになる。作品の手触りとしては「ああ、青山真治の映画だなぁ」と確かに感じられるのに、いざ美学的な特徴を指摘しようとするとイメージが不鮮明になってしまう。誰が見ても分かりやすく再認可能な作家性の徴を見いだすことは、思いのほか難しい。

 たとえば『Helpless』をはじめて見た観客は、度肝を抜くようなワンシーン・ワンショットによる演出こそが、青山映画の根幹をなす美学であると思うかもしれない。確かに『ユリイカ』までの作品では、かなり複雑な長回し撮影を用いた演出が多用されており、作品の見せ場のひとつになっている。しかし『月の砂漠』以後、そうした高度に複雑なワンシーン・ワンショットは影を潜めていく(長回しそのものはなくならない)。『ユリイカ』がカンヌで好評を博したとき、青山監督はシネスコで広大な風景をフレームに収めつつ、カメラと役者を複雑に動かす長回し撮影をさらに洗練させることで、みずからの「作家性」を分かりやすく仕立てることもできたはずだった。ところが、次作の『月の砂漠』では、それまですべての作品で用いてきたワイドスクリーンを放棄してスタンダードサイズを採用し、画面の中央に女優(とよた真帆)の身体を堂々と配置する切り返しショットを軸とした演出で観客を驚かせることになる。『冷たい血』における石橋凌と永島暎子のホテルの場面で初めて試みられた俳優との濃密な共同作業が、この作品で一気に開花したと言えるのだが、それは初期作品には見られなかったものだ。あるいはまた「北九州サーガ」を見た観客は、ボイスオーバー(ナレーション)を用いずにもっぱら俳優の演技だけで物語を語るのが青山監督のやり方だと思うかもしれない。しかし『チンピラ』から始まって『共喰い』まで、青山作品ではしばしばボイスオーバーが多用される。演出のスタイルという点で言えば、『Helpless』と『東京公園』は対極的であり、まったく似ていない。『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』のどこまでも軽やかな音楽的構成は、2台のカメラを用いて俳優の演技の持続を生々しく描き出す『レイクサイド・マーダーケース』の演劇性とは似ても似つかない。さらに作品が描き出す世界を比較するなら、『サッド ヴァケイション』と『シェイディ・グローヴ』の間に共通点を見いだすのは難しい。長回し撮影や切り返しショットのような特定の技法に注目して作品を見ていったとしても、見いだされるのは首尾一貫したスタイルであるよりは、むしろバリエーションの豊富さ、多彩さである。そういうわけで、どの作品にも必ず見いだされ、ただちに再認可能な「青山印」と呼べるような要素を見つけるのは容易ではない(作品を隅々まで精査するなら、そうした要素を見いだすことは可能だろう)。

 こうした青山作品の作家性の錯綜したありようは、青山監督と同時期に長編デビューし、現在、商業的にも、批評的にも、社会的にも成功している3人の映画作家と比較するとき、さらに明瞭になるだろう。その3人とは、是枝裕和監督(『幻の光』1995年)、岩井俊二監督(『Love Letter』1995年)、河瀬直美監督(『萌の朱雀』1997年)である。この3人の監督は、デビュー以来、今日までコンスタントに長編劇映画を撮り続けている。是枝監督と岩井監督は、ほとんどの作品で監督・脚本・編集をみずから担当し、河瀬監督はほぼすべての作品で監督と脚本をみずから担っている。この3人に共通しているのは、その作品に監督個人の美意識が非常にくっきりと反映されていることである。彼らはいずれも「美しい映像」を撮る監督であり、それぞれの「美しさ」の物差しは異なっているとしても、作品を通してみずからの美意識を表現することへの躊躇いのなさという点では非常によく似ている。したがって、この3人の監督の作品には、誰もが容易に再認可能な作家性の徴、固有の映像美学が備わっている。是枝作品のトレードマークは、社会的現実への抑制された関心と葛藤を抑えた物語、そして登場人物たちをひとつの気分で包み込む情景ショットの組み合わせであり、そこに順番に主役を務める常連俳優たちのアンサンブルを加えることもできる。岩井俊二監督の場合には、ベタな現実認識とどこまでもプライベートな美意識に貫かれた(「映画史など存在しない!」と宣言しているかのような)撮影と編集、そして場面を覆い尽くす音楽の使用法が一貫している(特権的な被写体としての美少女はひとまず措くとしても)。河瀬監督の映画を見たことのある観客なら、人物に肉迫する手持ちカメラの映像、しばしばレンズフレアを伴う逆光の撮影、人物の顔を照らす独特な照明、神話性を帯びた自然風景のロングショットを忘れることはないだろう。すなわち、この3人の監督は、デビュー以来、あからさまに「作家主義的な」映画を撮り続けており、そうすることで成功を収めているのである。この3人に関する限り、作家性は、観客とプロデューサーの双方にとって、経済的リスクを軽減してくれる一要素になっている。彼らの映画を見る観客は、どんな映像と出会うことになるのかをあらかじめ予想できるし、プロデューサーも、これから撮られる映画がどんな外観の作品になるのかを、ある程度、計算することができる。

 青山監督の作品には、そうした分かりやすい作家性が存在しない。戦略的にそうした作家性を装うことすらしなかった。だから、もし青山監督が業界内で「ややこしいやつ」と思われていたとするなら(『キネマ旬報』No. 1852 の対談での監督の発言)、その理由は青山監督がみずからの作家性に固執していたからではなかったはずである。そうではなく、青山監督が作家主義的に自己の美意識に閉じこもることをかたくなに拒み、そのつど新たにみずからの映画を発見し直そうしていたことが、青山作品のイメージを不鮮明にし、観客を戸惑わせ、おそらくは資金を出す人々にリスクを感じさせることになったのである。そのさい、青山監督が作品を自己の美意識の反映にすることを拒否し続けたのは、監督にとって、映画は個人の美意識よりもはるかに巨大な何かだったからである。映画は「私」にではなく、監督が「世界」と呼ぶものにかかわっていた。

 分かりやすい作家性の不在はときに観客を戸惑わせる。しかし、もし青山監督の作品になんらかの作家性があるとするなら、それはこの「戸惑いの具体的な手触り」にこそあるのではないだろうか。少なくとも私にとって、青山監督の新作を見ることは、つねに戸惑いの経験と結びついていた。私は監督のほとんどすべての作品をリアルタイムに見てきたけれども、新作を見るときにはいつもスクリーンを見つめながら動揺し、戸惑いを感じてきた。それは遺作になってしまった『空に住む』でも変わらない。あの冒頭の俯瞰気味のショットを見たときの戸惑い。監視カメラの映像のようにも見えるその映像の出自は、映画のなかでついに明らかになることがない。監視カメラの映像で始まる青山作品と言えば『WiLd LIFe』があるが、あの作品では映画の進展のなかでその映像の来歴はきちんと明かされ、説話上の機能を果たしていた。それに対して『空に住む』の場合、その映像は単なる物語の導入(主人公の到着)と言うにはあまりに不穏なイメージとして、観客の脳裏にとどまり続ける。そして、その不穏さにおいて、一見親切そうでありながら住人の生活に目を光らせているコンシェルジュの柄本明の不気味さと響き合う。さらにそれは主人公の生活に無遠慮に介入してくる伯母の美村里江の存在とも地下的に結びつくだろう。そのように作品中にネットワークを張り巡らしていきながらも、それ自体としては決して正体が明らかにならないひとつの映像。そんな映像によって映画を始めること。『空に住む』の始まりは、青山監督のどの作品の冒頭とも似ていない。それゆえ青山作品に親しんでいるはずの観客も戸惑いを感ぜずにはいられない。しかし、それは「青山真治の映画を見ている」という手触りが具体的になる瞬間でもある。新しい作品を撮るたびごとに、もう一度始まりの地点 ー それは何かが終わってしまった地点でもある ー に立ち戻り、みずからの映画を発見し直そうとした映画作家の身振りが見いだされる。「すべての映画を解体しつつ統合し、また解体する… という形でしか作れない」(『EUREKA』まで)と語っていた映画作家の息遣いとともに、私たちは映画の未知なるうごめきに触れることになる。

 ひょっとしたら観客を戸惑わせることは、(とりわけ日本の)商業映画において、いまやひとつのタブーなのかもしれない。じっさい、映画館で劇映画を見ていて戸惑いを感じることは少なくなってきている。日本であれ、世界のどこであれ、観客を戸惑わせる作品を作り続けている監督は決して多くはない。だからこそ、これから青山監督の作品と出会う人たちには、この戸惑いをじっくりと味わい、楽しんでほしいと思う。というのも、その戸惑いは、21世紀の映画に何が可能なのかを探求する映画作家の作品が、不可避的に生み出すはずのものだからである。レオス・カラックスの『アネット』が壮大な規模で生産していた戸惑いは、どの青山作品にも見いだされる。

*このエントリーを書くにあたって、今秋刊行予定の『中央評論』に掲載される葛生賢さんの論考「青山真治を再導入する」をひと足早く読ませていただきました。葛生さん、ありがとうございます。日本の近代と対峙し続けた映画作家として青山真治を導入する葛生さんの論考は必読です。

<2023年3月21日 追記>
『青山真治クロニクルズ』(リトルモア刊)に収録された廣瀬純さんの論考「普通の映画を作ること」も必読の青山論です。私がこの文章を書いたときに思い浮かべていた「普通の映画として青山作品を考察する」という構想を真似できないほどの解像度の高さで実行しています。ぜひご一読ください。

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