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『EUREKA』まで:青山真治監督インタビュー

2000年後半から2001年にかけて⻘⼭真治の作品が三本公開される。いずれもここ⼆、三年ほどのあいだに撮られた新作である。今年のカンヌで国際批評家連盟賞を受賞した3時間半を越える⼤作『ユリイカ』、中上健⼆の「路地」を訪ねるドキュメンタリー『路地へ 中上健⼆の残したフィルム』、そしてクリス・カトラーの⾳楽の秘密に迫るヴィデオ作品『カオスの縁 June 12. 1998 − at the edge of chaos – 』––– これら三つの作品はその主題においても⽅法論においてもそれぞれ全く異なっているにもかかわらず、同時にひとつに結びついてもいる。 まさにこの点に私たちは⻘⼭真治という映画作家の特異性とスケールの⼤きさを認めることができるだろう。今回のインタビューでは、『ユリイカ』を中⼼に、さらに『冷たい⾎』から『ユリイカ』にいたる道程についても話を聞くことができた。

ちなみに、このインタビューは2000年5⽉5⽇の午後に⾏われた。つまり、5⽉3⽇に起きた福岡でのバス・ハイジャック事件の⼆⽇後である。『ユリイカ』をすでに⾒ていた私には、すべてが『ユリイカ』に先取りされているような気がしていた。正確にいえば、テレビの映像を⾒て、それに加えられるコメントを聞きながら、そこにないもののすべてが『ユリイカ』の中にあると感じたのだった。そこでは、ドキュメンタリー的な映像から絶えず逃れ去っていくものが、フィクションを要請していたのである。もちろん現実の出来事と映画との符号は偶然だが、映画においてはこのような偶然がしばしば起こりうる。なぜなら映画とはつねに現実の先を⾏くからである。(インタビュー・構成:海老根 剛)

2001年に『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』(勁草書房)に一部掲載されたインタビューの完全版です。

追記(2022/08/18):
このインタビューの経緯については、こちらのエントリーもご覧ください。
私がこのインタビューをいまどのように考えているかについては、こちらの文章に少し書いています。

追記(2022/10/19):
若干の誤植の修正を行いました。


『カオスの縁』、『路地へ』、『EUREKA』という三つの作品(フィルム2本、ヴィデオ1本)がこれから公開されるわけですが、撮影の順番はどうなっているんですか。

⼀番最初が『カオスの縁』(正式名は『JUNE 12, 1998〜at the edge of chaos』)で、次が『路地 へ』、最後が『EUREKA』です。撮影についてだけ⾔えば、『カオスの縁』は『シェイディ・グローヴ』と『エンバーミング』よりも先になります。『路地へ』は去年の8⽉に撮影しました。公開は『EUREKA』のほうが先になりそうですが。『EUREKA』の公開が最初の予定より早まっていて、今年の末には公開されそうです。

『路地へ』は単独で上映ですか。

そうですね。完成版で64分くらいなんで単独で上映できると思います。『カオスの縁』のほうはまずヴィデオが出て、そのあとBOX東中野で上映されると思うんですけど、そんなに⻑い期間はやらないと思いますね。

ティエリー・ジュスの『ノエルの⼀⽇』と⼀緒にやるっていう話もありましたよね。

そうそう。だけど、その作品が今どうなっているのかよくわからない。樋⼝さんにしかわかんない(笑)。

『EUREKA』は九州を舞台にしていますね。『Helpless』以来ですね。今回は初めから九州で撮ろうと決めていたんですか。

そうです。事の起こりは、あるパーティで役所広司さんにお会いしたことです。⿊沢さんに紹介してもらったんですけどね。そのとき役所さんに「観てますよ」と⾔われて、いずれ⼀緒にお仕事できたらいいですねという感じで話をしたんですね。そうしたら仙頭武則から「また何か⼀緒にやろうよ」という話が来たんです。それじゃあ役所さんで1本やろうということになって、話を進めていきました。そのなかで役所さんから『Helpless』みたいに九州弁でなにか1本やりたいっていう提案があって、じゃあそれなら最近思ってることがあるんでそれを映画にしましょうかということになって、⼀気に脚本を書き上げました。その前にも⼤ネタというか、元になる部分までは出来ていたんですが、そこから役所さんを想定して主⼈公を作っていったらダダダッと⼀気に出来たんですね。

その元ネタの時から舞台は九州だったんですか。

そうです。ただ役所さんというキャラクターは全く想定していなかったんで、若⼲違う話ではあったんですけどね。

そのときからバスの話ではあったんですね。

そうですね。バスの話でしたね。ただそのときにはまだ最初のバスと後のバスみたいな違いはなくて、むしろ今回の事件みたいなのに近かったんですけどね(笑)。むしろハイジャック事件のほうに重⼼がある感じでした。

ただ九州とはいっても、撮っている場所は『Helpless』とは違うんですよね。

若⼲違います。『Helpless』は⽂字通り僕の実家のほうなんだけど、今回はもっと内陸部の⼭に囲まれたところで、なにか出⼊⼝がないようなところにしたかったんです。最後には阿蘇に⾏きますけど、冒頭のシーンで⾒える⼭は別に何の変哲もない名もない⼭です。

その映画の冒頭、少⼥の頭越しに撮られるショットでは、いきなり視界が⼭で閉ざされていますね。今回は四⽅を閉ざされた場所から映画の物語をはじめようと思っていたわけですね。

そうですね。内陸部を舞台にした物語にしたいというか、この物語はそういう⼈間の住む場所としての陸のまん中、世界の中⼼のような場所で展開する話だと思っていたんです。世界の中⼼といってももちろん⼤都市というのとは違う、それとは逆の、海からの距離が最も遠い場所と⾔う意味での。だけど、実際にあの⼭のイメージが最終的に出来たのは、シナリオ・ ハンティングに⾏ったときだったんですよ。あの町のことはなんとなく知っていたんです。⽢⽊(あまぎ)っていうところなんですけどね。単線が⼀本だけ ––– 本当は⼆本なんですけど ––– 通っているようなところで、その単線の終点の、そこからその電⾞⼀本でしか外に出られないような内陸の町。それでまずそこへ⾏ってみたら、ああいう⼭がばあっとあったんです。それでそのとき⼀緒にシナハンしてた制作の⼈が⼭⾒ながら、「なんか津波みたいだね」って⾔ったんで、「それ、いただきましょう」と(笑)。実際に津波みたいに⾒えるんですよ。フィルムで⾒るとそんなにこちらに迫ってくる感じではないんですけど、⾁眼で⾒ると本当にぐうっと迫ってくる印象でしたね。

おなじ九州を舞台にしている『EUREKA』と『Helpless』を較べたときに、決定的に違う点としてフィルムの⻑さがありますよね。『Helpless』はその独特の短さにおいて衝撃的な作品でもありますね。⼀⽇だけの話でもあり、それが時刻にしたがっていくつかの断⽚に分けられ、描写においても徹底して説明を省いている。しかもそれでいて、個々のショットはというと、とんでもない⻑回しだったりする。つまり、『Helpless』では徹底して語りを短く切り詰めていく⽅向で映画が作られていたんだと思うんですが、『EUREKA』では全く逆ですよね。『EUREKA』は 3 時間 37 分ですか。今回僕が最も驚いた点のひとつが、この⻑さなんですね。『Helpless』から紆余曲折を経て(笑)、どのように『EUREKA』に⾄ったのか、というのを今⽇聞けたらなと思っているんですが、このフィルムの⻑さについては、脚本を書いている段階ですでにこれはかなり⻑くなるなというのはわかっていたんですか。

まず物語とは全然関係なく、これは⼆枚組の作品で、⼀枚⽬と⼆枚⽬ではちょっと様⼦が変わりますという感じで⼈に話していたんです。ボブ・ディランの『ブロンド・ブロンド』あるいはビートルズの『ホワイト・アルバム』みたなもの、でも『ホワイト・アルバム』ほど雑多じゃないんでちょっと違うんですけどねとか(笑)。で、⼀番近いのは例によってソニック・ユースの『デイドリーム・ネイション』だ、とか。まあそういう⾔い⽅で⼈に説明しても、「なんだそれ?」って⾔われるだけなんですけどね(笑)。要するに⼆本分の映画が⼊っているということで、90分+90分で3時間になります、そうじゃないとこの話は語りきれないんですという⾔い⽅でプレゼンしました。ただ『Helpless』との絡みでいうと、 『Helpless』では、⼤きな話を⼩さく語るということが主眼だったんですね。これはもちろん当時の⽇本映画の流れとも関わっていたし、また作品の規模からくる要請でもあったんですが、⼩さい映画のなかでいかに⼤きな話をするかということを考えてました。それでカット割りとかシーンの作り⽅も、形式的にはミニマリスティックに⾒えるんだけど、そこに詰め込まれているものは全くミニマルではなくて、異様な⻑回しをしたりしてむしろマキシマムなものを追求していたんですね。それと全く反対に、『EUREKA』の場合は本当に⼩さな話なんだけど、その⼩さな話を⼤きく語るという意識で作っていて、そういう意味では、⽅向性は全く逆だといえるでしょうね。

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