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「物語作者」解題

ベンヤミンの物語作者論には「ニコライ・レスコフの作品についての考察」という副題がついているが、ベンヤミンのレスコフ作品との出会いは、1928年に遡る。当時刊行されて間もなかった9巻の作品集でレスコフを知ったベンヤミンは、ホフマンスタールへの手紙のなかで、「一度読み始めたら、途中でやめることはほとんど不可能でした」とレスコフへの心酔を告白している。だが他方で、この時期に書かれたいくつかのメモは、ベンヤミンのレスコフへの関心が、当初から作家自身にたいしてよりも、小説というジャンルの歴史性を浮かび上がらせる物語という形式に向けられていたことをうかがわせる。というのも、それらのメモにはすでに、「なぜ物語の芸術は終焉しつつあるのか?」という「物語作者」の中心的な問いかけが見出されるのである。その後この問いは、「長編小説の危機」(1930年)、「経験と貧困」(1933年)、「ささやかな工芸品」(1933年ごろか)などのエッセイを通して深められていった。そして、1936年に書かれた「物語作者」は、同じ問いを「複製技術時代の芸術作品」によって提示されたパースペクティブのもとで検討している。つまり、「物語作者」は、叙事文学の歴史的変容を近代における芸術作品の「アウラの崩壊」のひとつの現れとして考察しているのである。ベンヤミンが物語に見出した「消えゆくもののうちにある新しい美」(291頁)とは、アウラの別名に他ならない。アウラとは、まさにそれが失われようとする瞬間にはじめて名指されうるものとなる現象である。

ベンヤミンが物語と呼ぶものをごく簡潔に理解するには、レスコフやヘーベルなどの作品を参照するよりも、むしろベンヤミン自身が語り直している小さな寓話を考察するほうがよいだろう。「経験と貧困」の冒頭で、ベンヤミンは、学校の読本に載っていたというつぎのような物語に言及している。あるところに年老いた男が住んでいた。男は死の床で息子たちに語る。「うちの葡萄山には宝物が埋まっている。お前たちはただそれを掘り出せばよいのだ。」それを聞いた息子たちは、父親の死後、さっそく山を掘り返してみるが、なにも見つからない。やがて季節は秋になった。すると、父が遺した葡萄山は、国中で一番の実りをもたらしたのだった。そして、息子たちはそのときになってはじめて、父があるひとつの経験を自分たちに託したことに気がついた。つまり、幸福は黄金のなかにではなく、勤勉のなかにこそひそんでいるのだ、という経験である。

父親の語る謎めいた言葉を凝縮された物語とみなせば、この寓話を「物語についての物語」として読むことができる。ここには、ベンヤミンが「物語作者」のなかで指摘した物語の特徴がほとんどすべて含まれている。

物語は小説とは異なり、活字(書物)ではなく、話される言葉あるいは声によって伝えられる。そして、作者と読者が切り離されている小説とは対照的に、物語ではつねに語り手と聞き手が同じ場所を共有している。物語では語り手も聞き手も集団の一員であり、聞き手はのちに物語を語り直すことによって、みずから語り手になる。いま引用した物語の兄弟たちも、いつか彼らの死の床で息子たちにむかって、かつて父から聞いた物語を語ることだろう。しかし、語り直すことは、印刷された書物のように物語を一字一句正確に再現することではない。物語はつねに形を変えていく。なぜなら、物語による経験の伝承は、無意識的な記憶の働きにもとづいているからである。葡萄山を掘り返して何も見つからなかった後も、父の語った言葉はその不可解さゆえに息子たちの記憶の奥底にとどまり続けた。そして、彼らは仕事に励み、秋の収穫のときにはじめて父の言葉を思い出し、そして理解したのである。父の語った物語の「真理」は、小説の読者が行うような解釈によってではなく、自己の経験において証明される「知恵」(あるいは助言)としてあらわになるのである。無意識的記憶のなかでゆっくりと他者の経験が自己の経験と混ざり合い、両者が新たに物語の内実となる。「物語は事柄を、いったん報告者の生のなかに深く沈め、その後再びそこから取り出してくる」(301頁)。これが物語による経験の伝承の仕組みであり、この仕組みが物語を小説とインフォメーションに対立させる。複製技術による画一的な伝達にもとづくインフォメーションは、意識の表層で一瞬のうちに説明され、理解されることによって、瞬く間に忘れ去られる。また小説は、物語とは逆に、個人の生において「他と通約不可能なものを極限まで押し進める。」(293頁)つまり、経験の伝達不可能性が小説の前提である。したがって、小説において記憶はある特定の人生に捧げられることになる。

死の床で父は息子たちにひとつの経験を伝達する。ベンヤミンによれば、死こそは物語に可能性と権威を与えるものである。「人間の知識や知恵といったものだけではなく、とりわけ彼が生きた人生そのもの〔・・・〕が伝承可能な形式を受け取るのは、まずもって死にゆく者においてである。」(305頁)死は乗り越え不可能な別離であると同時に、あらゆる人間に共通のもの、彼らをお互いに結びつけるものでもある。死にゆく者は被造物としての人間の真実を体現するのだ。それゆえ、経験の伝達可能性、つまり物語の可能性は、死のうちにある。「死は、物語作者が報告しうるすべてを承認する。彼は、死からその権威を借り受けたのだ。」(306頁)

出来事を死の舞踏の周期的なリズムを刻む「世の運行」(308頁)のなかに位置づける、物語の時間性(自然史)の対極をなすのは、ベンヤミンがボードレールの作品に見出した、持続を空虚な瞬間の不連続な連なりに解体する憂鬱の時間性である。ベンヤミンの物語作者論は、アウラの崩壊をボードレール論の反対側から照らし出しているのである。

*頁数は「物語作者」、『ベンヤミン・コレクションI』(浅井健二郎編訳)所収による。
(初出:『ベンヤミン 救済とアクチュアリティ』、河出書房新社、2006年)

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