1938年に書かれたボードレール論『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』の第三部、「モデルネ」と題された章のある個所で,ヴァルター・ベンヤミンは,このテーマを論じるおよそすべての文学研究者の顰蹙を買わずにはいないであろう次のような一文を書きつけている。「現代的芸術の理論は,ボードレールのモデルネについての見解の最も弱い点である」(1)。この断言が文学史的な常識に反しているのは言うまでもない。ボードレールのモデルニテ(現代性)とは,他のどこでもなくまさに「現代的芸術の理論」において,つまり,『現代生活の画家』と題されたエッセイにおいて定式化された概念なのだから。したがって,当然のことながら,ベンヤミンの断言は,それを含むテクストとともに,多くの批判を招き寄せた。それらの批判の代表的な例としては,ハンス・ローベルト・ヤウスのそれが挙げられる。彼はある重要な論文のなかで,「ベンヤミンの〈偏見〉は,『モデルネ』と題された章において,ボードレールによる現代的芸術の理論の核心,つまり1859年のコンスタンタン・ギースについてのエッセイ『現代生活の画家』が,ほとんど触れられぬままであるという点にすでに露見している」(2)と書いている。
本論は,ボードレールをめぐるこの論争 –– ベンヤミンとヤウスのような文学史家との論争 –– に遅ればせながら荷担しようとするものではない。そもそも,もしひとがモデルニテという概念の意味をそれが定式化されたテクストにおいて規定しようとするならば,この論争はいわば始まる前にすでに決着しているのだ。ベンヤミンが美術批評以外の場所にボードレールのモデルニテを見出そうとしている以上,彼がその探求の中で定式化したモデルネの概念が,ボードレールのモデルニテのそれと一致しないのは当然だからである。しかし,『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』の第三章において私たちが見出すのは,実際には,テクストの意味の決定を目指す解釈学的過程とは根本的に異なる思考の過程である。本論の課題のひとつはこの思考過程を考察することであるが,それはベンヤミンがかつて「翻訳」と呼んだものに極めて近い。翻訳とは二つの異質な言語体系のあいだの関係であり,そこでは言語と志向対象との関係は二義的なものでしかない。したがって,必然的に,原作と翻訳との関係は再現的ではありえないのだが,翻訳はそれにもかかわらずその非対称的な関係性において原作に内在するある志向を明るみに出す。本論の目指すところをこのような翻訳の概念を用いて定義するならば,それは,『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』の第三章において,モデルニテ(modernité)はいかにしてモデルネ(Moderne)へと翻訳されたのか,そしてベンヤミンのモデルネによってボードレールのモデルニテのいかなる側面が明るみに出されたのかを考察することだといえるだろう。
冒頭に引用した一節は,ベンヤミンがモデルニテの概念をボードレールの美術批評とは別の場所に見出していたことを示している。この「別の場所」とはもちろん,理論に対するものとしての作品であり,とりわけ『悪の華』の諸詩篇のことである。事実,ベンヤミンは「小さな老婆たち」と題された詩の一節に、モデルニテのアレゴリカルなイメージを見出す。モデルニテのモデルネへの翻訳がいかにしてなされたかを明らかにするためには,ベンヤミンによるこの詩の引用を考察することから始めねばならない。
ああ!あれらの小さな老婆たち、幾度私はその後をつけたことか!
なかでも、あるひとり、沈む日が紅の傷口を
いくつもつけて天を血まみれにする時刻、
想いに沈みながら、ひとり離れてベンチに坐り、聴こうとしていたのは、兵士たちが、時おり、われらの公園に
Benjamin, Walter: Gesammelte Schriften. Hrsg. von Rolf Tiedemann und Hermann Schweppenhäuser. Frankfurt a. M. (Suhrkamp) 1991, Band Ⅰ·2. S. 576.
波とあふれさせる、金管の音も高らかな、ああした野外演奏会、
それは、生命よみがえる心地のする、あれら黄金の夕べ、
都市に住む者の心に、若干の英雄的な気分(quelque héroïsme)を注ぐ音楽。(3)
この引用にたいして,ベンヤミンはつぎのように注釈する。
零落した農民の息子たちで編成された軍楽隊が、貧しい都市住民のためにメロディーを鳴り響かせ−−ヒロイズムを放っている。そのヒロイズムは、それに付された「若干の」(quelque)という語のなかに、みずからがすり切れた見せかけだけのものであることをおずおずと隠しているが、まさにそのような身ぶりのゆえに真正なものであり、この社会からまだ産み出されうる唯一のヒロイズムである。この社会の英雄たちの胸の中には、軍楽のまわりに集まってくる貧しい人々の胸の中に場所を持たぬような感情はひとつもない。(WB576)
Ebenda.
もし引用された詩句をその本来の文脈において,つまり「小さな老婆たち」という詩の文脈に忠実に読むならば,ベンヤミンの注釈は説得力を欠いた強引なものとみなされざるをえないだろう。ボードレールの詩においては,軍楽隊が「零落した農民の息子たちで編成」されているとは書かれていないし,軍楽を聴いている住民の貧しさがとりわけ強調されているわけでもない。さらに英雄のイメージについて言えば,ベンヤミンは軍楽隊の兵士たちに英雄を見出しているが,ボードレールの詩句の中ではむしろ音楽に耳を傾けている老婆こそがヒロイックな姿で描かれている(4)。 しかし,すでに述べたように,このテクストの根底にあるのは,テクストの真の意味に到達することを目指す解釈学的過程ではない。この引用において問題になっているのは,詩篇の意味を明らかにすることではなく,詩篇に現れるイメージを他のテクストに由来するイメージとモンタージュすることによって、詩篇の意味をずらすことである。
ベンヤミンのテクストにおいて「小さな老婆たち」の一節が引用される個所の前後を注意深く読むならば,私たちはその引用には別の二つの引用からとられた二つのイメージがモンタージュされていることに気づくだろう。一つは詩句の引用の直前の個所で触れられる,マルクスが描くナポレオン三世時代の零落した分割地農民のイメージである。ベンヤミンはマルクスから引用する。ナポレオンの時代には「〈軍隊は分割地農民の名誉であり,彼らは英雄になった。〉しかしいまやナポレオン三世のもとでは,軍隊は〈農村青年の精華ではなく,農村ルンペンプロレタリアートの泥沼の花である〉」。(WB575) また,詩句の引用に続く個所では,ボードレールの別のテクストからの引用のなかに,「工場の埃を呑み込み木綿屑を吸い込み,鉛白や水銀など,名品の製作のために必要なあらゆる毒物によって身体組織を侵された虚弱な住民たち」(WB576) の姿が浮かび上がる。ベンヤミンは、ボードレールの「小さな老婆たち」の引用において,詩句が提示する軍楽隊の兵士たちに,マルクスにおいて現れる零落した分割地農民の息子たちからなる軍隊の兵士たちのイメージを、そして、軍楽隊の音楽を聴きに集まってくる老婆をも含めた都市住民に、ボードレールがピエール・デュポンについてのテクストで描き出した都市の貧しい、病める住人たちの姿を、モンタージュしているのである。
ボードレールの詩句の引用をひとつのモンタージュとして思考することによってのみ、それにたいするベンヤミンの注釈も正当に理解されうるものとなる。このモンタージュによって、困窮のなかにいる都市の住民たちを後景に配し、黄昏の光の中で、モデルネの英雄たち(軍楽隊の兵士たち)がその輪郭を際立たせて前景へと浮き上がって見えるひとつのアレゴリカルな画像 –– モデルニテのエンブレム –– が構成されるのである。「こうして描かれる画像(Bild) に、ボードレールは彼固有のやり方でタイトルをつけた。彼はモデルニテという言葉をその画像の下に書きつけたのだ」。(WB577) ベンヤミンはこのように書いているが、実際には,彼が複数のイメージをモンタージュすることによってこの画像を構成したのであるから,ここで生起しているのはむしろ,ボードレールのモデルニテのベンヤミンのモデルネへの翻訳だというべきだろう。しかし,ある作品の翻訳が結局のところ翻訳者の作品ではないように,まさにこのモデルネの画像がボードレール自身の言葉から引き出されたものであることもまた確かなのである。
(1) Benjamin, Walter: Gesammelte Schriften. Hrsg. von Rolf Tiedemann und Hermann Schweppenhäuser. Frankfurt a. M. (Suhrkamp) 1991, BandⅠ·2. [以下WBと略記し本文中に引用の頁数を示す。]
(2) Jauß, Hans Robert: Literaturgeschichte als Provokation. 6. Aufl. (Suhrkamp) 1979, S. 58.
(3) WB576. なおボードレールのテクストには、Baudelaeire, Charles: Oeuvres complètes. (Edition Gallimard) 1961. [以下CBと略記し本文中に引用の頁数を示す。]を参照し、訳文には、阿部良雄氏の訳(『ボードレール全集』、阿部良雄訳、筑摩書房)を使わせていただいた。ただし、ベンヤミンによるドイツ語訳の引用では筆者が訳している。
(4) 引用された詩節に直接続く詩節を参照。CB85ff.