1月 192012
 

大阪市立大学文学研究科では、ドイツ・ビーレフェルト大学名誉教授ヨアヒム・ラートカウ氏によるレクチャーを下記の日程で開催します。一般の方の参加も歓迎しますので、ご関心をお持ちの方はお気軽にご来場ください。

Germany, Japan and the Atom: a Nuclear Approach to Comparative History
Prof. Joachim Radkau (Bielefeld University, Germany)

主催:大阪市立大学文学研究科重点研究
共催:大阪市立大学文学研究科インターナショナルスクール
日時:2012 年 1 月 31 日(火)18:30-21:00
場所:大阪市立大学文化交流センター(大阪駅前第2ビル 6 階)、大セミナー室

*参加費無料/事前申込不要/一般来聴歓迎
*使用言語:英語(ただし質疑応答には通訳がつきます。)

講演概要:日独両国の戦後史には目立った共通点がある。ともに破滅的な敗戦から立ち直り、「経済の奇跡」を経験し、ともに核保有を求めながら核保有国とはならなかった。両国は核をめぐって長く似たような歩みを経験してきた。ドイツでは当初「平和的な核」への熱狂は日本より大きかったが、その後核をめぐる論争は世界のどの国よりも熱を帯びて持続した。福島原発事故も、ドイツでは日本よりも大きな反響を呼んだように思われる。核エネルギーの歴史はパラドックスに満ちている。日独の相互比較から見えてくるものを考えたい。

講演者紹介: ヨアヒム・ラートカウ(Joachm Radkau)。原子力技術・産業史、環境史、森林史、技術史、マックス・ウェーバー研究で活躍中。環境史の大著『自然と権力』(海老根剛・森田直子 訳)がみすず書房より刊行予定。講演に関係する文献として「ドイツ反原発運動小史」(上)(下)(森田直子・海老根剛 訳)『みすず』599号(2011年11月号)、600号(2011年12月)がある。

講演会案内(PDF)

ラートカウ氏の原子力の社会技術史的研究については、こちらの拙訳およびこちらのエントリー()もご参照ください。

12月 302011
 

先月号に続いて、ドイツの環境史家ヨアヒム・ラートカウ氏の論考を『みすず』(12月号)に訳出しています(森田直子さんと共訳)。この後編では、1980年代から現在にいたる運動の展開が論じられています。キーワードは、緑の党、原子力と核武装、チェルノブイリ、最終処分地問題、新しい啓蒙などです。関心のある方はぜひ読んでみてください。

『みすず』12月号

なおラートカウ氏の主著『自然と権力』は来年早々にもみすず書房から刊行の予定です。

12月 302011
 

ドイツの環境史家ヨアヒム・ラートカウ氏が1983年に出版した大著 “Aufstieg und Krise der deutschen Atomwirtschaft 1945-1975″ の結論部分(「結論:研究成果といくつかの実践的帰結」)を著者の許可を得て翻訳掲載します。『みすず』(2011年11・12月号)に掲載された「ドイツ反原発運動小史」の関連文献としてお読みください。

『みすず』12月号の訳者付記にも書きましたが、この500頁を超える技術社会史的研究(『ドイツ原子力産業の興隆と危機』)は、研究省の議事録などの内部資料の分析、関係者への聞き取り調査(インタビュー)、そして原子力技術の細部の詳細な検討を通して、原子力技術の社会的形成過程を描き出しています。ラートカウ氏はそこで、原子力技術が政治、産業界、科学(アカデミズム)のあいだでどのように形作られていったのかを明らかにするとともに、「新しい啓蒙」としての反原発運動がいかにして原子力技術の潜在的リスクに反応し、原子力をめぐる議論を公共の場に開くことになったのかを分析しています。いまだ原発のエコロジー的正当化(地球温暖化対策としての原子力エネルギー)も再生可能エネルギーの推進もほとんど話題になっていなかった時代(チェルノブイリの事故もまだ起こっていませんでした)の研究ではありますが、今日にも通じる原子力技術の問題がすでに論じられていると同時にユニークな技術社会史の試みでもあるのでここに訳出する次第です。

なお英語やドイツ語では原子力エネルギーや原子力技術は通常、「核エネルギー」(nuclear energy、Kernenergie)および「核技術」(nuclear technology、Kerntechnik)と表記されます。これを「原子力(エネルギー/技術)」と呼ぶことは、すでに軍事技術との結びつきを見えにくくする婉曲的な表現であり、問題がないとは言えません。したがって、本稿では一貫してKernenergieを「核エネルギー」、Kerntechnikを「核技術」と訳していることを付記しておきます。

海老根剛

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12月 302011
 

Eine Untersuchung über den Amerikanisierungsdiskurs und den Umwandlungsprozess des Amerika-Bildes im Zusammenhang mit der Diskussion über die Rationalisierung der deutschen Wirtschaft in der Weimarer Republik . (In: Neue Beiträge zur Germanistik, Band 5, Heft 1, 2006, Indicium Verlag, München.)

Die “deutsche” Rationalisierungsbewegung und der “Amerikanismus”.(PDF)

12月 292011
 

11月号の「みすず」にて、現在のドイツを代表する環境史家であり、また国際的に見ても最もユニークな仕事をしている歴史家の一人でもあるヨアヒム・ラートカウ氏の論考を森田直子さんと訳出しています。このテーマに関心のある方はぜひ読んでみてください。
『みすず』11月号
来月には後編が掲載されます。
なおラートカウ氏の主著『自然と権力』は来年早々にもみすず書房から刊行の予定です。

12月 212011
 

ドイツのウェブ・マガジン『テレポリス』(Telepolis)の創刊5周年(2001年3月)を機に同誌に掲載された創設者によるテクストの翻訳です。インターネット普及の最初の5年間(1995-2000年)に起こった変容と5年目の現状の多面的な考察がなされています。boid に掲載された翻訳(2001年4月)の改訂版です(2003年6月掲載)。ちなみにテレポリスは2011年現在も健在です。

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12月 202011
 

このたびドイツのメディア美学研究者イヴォンヌ・シュピールマンのヴィデオ論『ヴィデオ 再帰的メディアの美学』(三元社)の翻訳および監訳を担当しました。この書物は、ヴィデオというメディアのテクノロジー的基盤と美的表現の多様な展開を透徹した視点から論じた研究として、いまのところ類書のないヴィデオ研究の成果となっています。映像文化論やメディア研究では過去のメディアとしてお払い箱にされている感のあるヴィデオですが、映画映像やコンピューター映像とは明確に異なる独自の特性を持つ映像表現として、ヴィデオは独自の美学を発展させてきました。そうしたヴィデオのポテンシャルの考察は、デジタル/アナログの二元論や映画とコンピューターの二元論に対して批判的な視座を提供してくれます。その意味では、ヴィデオ研究者のみならず、デジタルメディアや映画の研究者にとっても興味深い研究だと言えるでしょう。

三元社のホームページ(目次を見ることができます。)

なお本書で論じられている映像作品へのリンクを集めたウェブサイトも同時に開設しました。このサイトで作品を実際に見ながら本書を読むと、一層、理解が深まると思いますので、こちらもご参照ください。

http://www.korpus.org/video/