群集・革命・権力
1920年代のドイツとオーストリアにおける群集心理学と群集論

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群集の概念と言説の権力

 本論の主題は1920 年代 ––– とくにその前半 ––– にドイツとオーストリアで成立した群集心理学と群集論の特異性を明らかにすることである。この探求にあたって私たちがまず考慮しなければならないのは、非歴史的かつグローバルな群集概念、言い換えれば、普遍的な群集概念から出発することはできないということである。なぜなら、近代の群集論の歴史的検討を通して最初に明らかになるのは、価値中立的で、歴史的・政治的・社会的なコンテクストから切り離しうるような「群集」(Masse)の概念は存在しないという事実だからである。(1) したがって、私たちは、まず「群集」(2) という概念の出自をドイツ語の概念史のなかで確認し、さらにMasseという語に語源的に含意されており、近代の群集論のなかで様々に展開されることになる意味連関を確認することから考察を始める必要がある。

 Masse という単語自体については、すでに近代以前に多くの用例が見いだされるが(3)、社会的・政治的な意味(「群集」)で Masse という概念が最初にドイツ語に導入されたのは、1793年、フリードリヒ・ゲンツ(Friedrich Gentz)によるエドマンド・バークの著作『フランス革命の省察』の翻訳においてだとされる。(4) ゲンツによって、英語の crowd が、フランス革命のなかで起こった国民総動員(levée en masse)に由来する語 Masse によって翻訳されたのである。

 ドイツ語における群集概念のこの出自からは、その後の群集論の展開を考える上で二つの重要な示唆を得ることができる。ひとつは、近代的な群集概念が、革命と、革命において街路を埋め尽くし、監獄を襲撃し、権力を打破するべく結集する群集、すなわち革命的群集とに、切り離しがたく結びついているということである。事実、群集論の歴史は革命の歴史と切り離せない。フランスで群集心理学を創始したギュスターヴ・ル・ボンの著作の背景に、1871年のパリ・コミューンにおける革命的群集の体験があることは良く知られているが(5)、本論が分析するパウル・ティリヒ、テオドール・ガイガー、パウル・フェーデルンなどの学者や著作家たちの考察にとっても、ドイツ革命の日々に出現した群集の体験は決定的な意味を持っていた。また、カネッティも『耳の中の炬火』のなかで、1927年7月15日に体験した「革命に最も近い」群集体験が『群集と権力』の発想の源泉にあることを明かしている。(6) それにたいして、ヴィルヘルム・ライヒやヘルマン・ブロッホの群集心理学は、ナチズムによる「反革命」における群集の行動を解明する理論として構想されたのだった。

 群集という概念がもとをたどればエドマンド・バークのフランス革命についての論争的な書物の翻訳に由来するという事情はまた、群集という現象がドイツにおいて、最初から論争の対象として言説化されていたということ、そして、群集概念が、特定の政治的立場のもとで社会を分析する言説と結びついた「社会批判的カテゴリー」(7) であったということを意味している。群集との遭遇が群集論の背後にあるのと同様に、言説から切り離された「群集なるもの」もまた存在しない。群集とは客観的に規定されうるような事実(Tatsache)ではなく、人々のあいだの社会的な諸関係の結節点を構成するような問題(Streitsache)だったのである。

 つぎに語源的にみると、Masse という語は「パン生地」や「こねること」を意味するギリシア語(µᾶζα, μάσσειν)に由来するとされる。(8) それらの語が指し示すのは、自立的な生や活動性の不在、内発的に自己を形作る力の欠如などによって特徴づけられる事象である。(9) したがって、「群集」には語源的に、形を欠いたもの、外部からの力の作用がなければ形を得ることの出来ぬもの、という意味が含まれているといえる。この受動性あるいは客体性ゆえに、「群集はほとんどつねに、そのイニシアチブのもとで群集が支配されることになる能動的な質 ––– 指導者層やエリート ––– との関係において観察される」(10) ことになる。群集を思考することは、群集に形を与える権力を思考することと切り離し得ない。このような意味連関のうちに、私たちは、群集論において様々な形で展開されることになる群集と権力との関係のいわば語源学的基礎とでも呼ぶべきものをみることができる。

 ドイツ語の群集概念の出自の確認とその語源的な意味連関の検討によって、私たちは、一方では群集と群集論との解きほぐしがたい絡まり合いを、他方では群集と権力との密接な関係を見いだした。しかし、この二つの関係を重ね合わせるとき、さらに第三の関係が視界に浮上する。つまり、群集論と権力との関係である。群集を思考すること、すなわち、それを描写し、分析し、分類 することは、形を欠いたものに形を与え、運動し、流動し続けるものを押しとどめ、客体化すること である。つまり、群集を思考することは、言説の力によってそれを支配することに通じているのである。このことは群集の言説化そのものに関わっており、したがってドイツ語で書かれた群集論にのみ妥当するわけではない。近代の多くの群集論は、まさに権力者 ––– 指導者層やエリート ––– のボジシ ョンとの同一化にもとづく危機の言説であった。とりわけ、エリート主義的とも貴族主義的とも形容されるル・ボンの群集心理学は、この点において「古典的」であり、ル・ボンの文化批判的パースペ クティヴはドイツにおいてもシュペングラーやヤスパースに受け継がれている。したがって、冒頭で提起された問い、すなわち、1920 年代前半のドイツとオーストリアにおける群集心理学と群集論の特異性は何かという問いに答えることは、群集・権力・言説の三重の関係を考慮しつつ、第一次世界大戦とドイツ革命後に試みられた「古典的」群集心理学のラディカルな読みかえを明らかにすることにほかならない。 本論はこのためにまず「古典的」群集心理学の特徴を確認し、つぎに1920 年代における群集論と群集心理学をそれぞれ考察する。


(1) Vgl. Annette Graczyk: Die Masse als Erzählproblem unter besonderer Berücksichtigung von Carl Sternheims ≫Europa≪ und Franz Jungs ≫Proletarier≪. Tübungen (Niemeyer), 1993, S. 5ff.

(2) 周知のように、ドイツ語には特定の場所に集まった大勢の人間たちを指す言葉として Menge と Masse という二つの語があり、ドイツ語で書かれた群集論のほとんどは両者を厳密に概念的に区別している。本論では混同の危険を承知の上で、『大辞林 第二版』(三省堂)における定義を考慮し、一貫して Masse を「群集」(「社会学・心理学では、共通の関心と目的のもとに(不特定多数の人間が)一時的・非組織的に集合した集団で、日常の行動規範からはずれた行動をとりやすい ものをいう。」)と訳し、Menge を「群衆」(「むらがり集まった多くの人々。」)と訳すことにする。

(3) Vgl. „Masse“ In: Deutsches Wörterbuch von Jakob Grimm u. Peter Grimm. Zwölfter Band 1. Abteilung. Leipzig (Verlag von S. Hirzel), 1956, S. 1708-1710.

(4) Vgl. E. Pankoke: „Masse Massen“. In: Historisches Wörterbuch der Philosophie, hrsg. von Joachim Ritter u. Karlfried Gründer. Basel Stuttgart (Schwabe & Co AG.), 1980, S. 828.

(5) Vgl. Alice Widener: Introduction. In: Gustave Le Bon. The Man and His Works. Indianapolis (Liberty Press) , 1979, S. 27-28.

(6) Vgl. Elias Canetti: Die Fackel im Ohr. Lebensgeschichte 1921-1931. München u. Wien (Carl Hanser Verlag), 1980, S. 274-282.

(7) Vgl. E. Pankoke, a.a.O., S.828.

(8) Vgl. Johannes Chr. Papalekas: „Masse“ in: Handwörterbuch der Sozialwissenschaften, hrgs. von E. Beckerath u.a., Göttingen (Vandenhoeck & Ruprecht) u.a., 1961, S. 220. u. Peter Friedrich: Die Rebellion der Masse im Textsystem. Die Sprache der Gegenwissenschaft in Elias Canettis „Masse und Macht“. München (Wilhelm Fink Verlag), 1999, S. 292-309.

(9) フランス語の foule や英語の crowd も、微妙にニュアンスは異なるものの、語源的にはほぼ同様 の事象を指している。Vgl. Johannes Chr. Papalekas: a.a.O., S. 220.

(10) Johannes Chr. Papalekas: a.a.O., S. 221.


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