この世界を理解しないための長い助走『バンコクナイツ』評
boid マガジンに空族の最新作『バンコクナイツ』(富田克也監督)の批評を寄稿しました。
少し風変わりなタイトルですが、「理解すること」の問題性と「理解しないこと」のポテンシャルという観点から空族の実践と作品を考察しています。
boid マガジンに空族の最新作『バンコクナイツ』(富田克也監督)の批評を寄稿しました。
少し風変わりなタイトルですが、「理解すること」の問題性と「理解しないこと」のポテンシャルという観点から空族の実践と作品を考察しています。
KAWADE道の手帖シリーズの一冊『ベンヤミン 救済とアクチュアリティ』(河出書房新社、2006年)に、ベンヤミンのテクストの作品解題を3つ執筆しました。この文章では「1900年頃のベルリンの幼年時代」の複雑な成立過程と改稿のプロセスで生じた変化、そしてそれが意味する事柄について、簡潔に述べています。なお初出から若干の修正が加えられています。
この論考ではフィルムを織り上げる移動と回帰の運動の軌跡を辿りながら、アモス・ギタイのフィルムの力学を考察しています。初出は『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』No.27(勁草書房、1999年)です。
1990年代後半、アルノー・デプレシャンを筆頭とするフランスの若手監督たちの作品の批評的な参照点として、突如アラン・レネのフィルム群が(再)浮上した。彼のフィルムのどこに現在の映画作りを挑発する力が秘められているのだろうか? レネのフィルムの可能性をめぐる試論。初出は『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』24号、勁草書房、1998年。