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modernity

「無知な観客」の誕生
四ツ橋文楽座開場後の人形浄瑠璃とその観客

本論文の主題は、昭和5年1月の四ツ橋文楽座の開場前後に生じた人形浄瑠璃を取り巻く環境の変化を観客という観点から考察することです。本論文では、四ツ橋文楽座の開場とともに出現した新しい観客たちを「二重の無知」によって特徴づけられる観客として定義したうえで、彼がどのように人形浄瑠璃の舞台に向き合ったのかを三つの観点から検討しています。
本論文は人形浄瑠璃の近代を観客史の観点から検討する一連の仕事の第2段です。この仕事は最終的に4本の論文から構成される予定です。

弁天座の谷崎潤一郎 
昭和初年の「新しい観客」をめぐる一試論

本論文は大阪市立大学都市文化研究センターによる研究プロジェクト「伝統芸能の近代化とメディア環境」の成果物です。
本論文の根底にある問題関心は、近代以降の視聴覚的メディア環境に慣れ親しんだ(そして義太夫の音曲的側面には疎遠な)観客の出現をめぐる歴史的考察であり、とりわけ近代の大都市とメディアの経験によって形作られる感受性(モダニティの感受性)を内面化した「新しい(無知な)観客」と人形浄瑠璃の出会いを跡づけることです。
今回の論文では、特に御霊文楽座焼失と四ツ橋文楽座の開場のあいだ、道頓堀の弁天座で文楽座が興行した昭和初年の数年間を、人形浄瑠璃の近代における重要な移行期とみなし、その当時姿を現しつつあった「新しい観客」と人形浄瑠璃との出会いをモダニティの観点から考察しています。そのさい本論では、谷崎潤一郎を弁天座時代に人形浄瑠璃を発見した「新しい観客」の(必ずしも典型的ではない)一事例として検討します。

Erfindung von „Girl-Kultur“
Eine vergleichende Betrachtung des Amerikanisierungsdiskurses der Zwischenkriegszeit in Deutschland und Japan

In diesem Aufsatz geht es um eine komplexe, kulturspezifische Dynamik der “Amerikanisierung”. Im Aufsatz soll eine vergleichende Betrachtung der Amerikanisierungsdiskurse in Deutschland und Japan in den 1920er und früheren 30er Jahren unternommen werden. Hier werden die Amerikanismusdebatte und die Thematisierung von „Girls“ als Sinnbild der amerikanischen und auch amerikanisierten Kultur in den beiden Ländern skizziert. (In: Transkulturalität. Identitäten in neuem Licht. 2012 Iudicium Verlag München, S. 543-549.)

忘我・交通・形象
ヴァイマル共和国時代のドイツにおける群集論の展開

ようやく二冊の大著の翻訳が終わるので、ずっと放置していた博士論文の加筆修正および出版に向けた作業を始めようと思います。ここではひとまず論文目次(詳細版)を掲載してみます。論文の詳細な内容について、ご関心をお持ちの方はご連絡ください。

群集・革命・権力
1920年代のドイツとオーストリアにおける群集心理学と群集論

Neue Beiträge zur Germanistik(ドイツ文学)130号(2006年)の特集「群集と観相学/群集の観相学」(平野嘉彦責任編集)のために執筆した論文です。
特集は近代の群集論を「ベンヤミン・モデル」と「カネッティ・モデル」に分類し、ドイツ語圏の作家・思想家を中心にそれぞれのタイプの群集論の歴史的展開を考察しています。扱われている作家・思想家は、江戸川乱歩、萩原朔太郎、ルソー、ボードレール、ル・ボン、タルド、ポー、ホフマン、グリルパルツァー、ベンヤミン、デーブリーン、クライスト、ティリヒ、ガイガー、フェーデルン、フロイト、H・ブロッホ、カネッティなどです。かなり充実した特集になっております。私は群集心理学の章を担当しました

「物語作者」解題

KAWADE道の手帖シリーズの一冊『ベンヤミン 救済とアクチュアリティ』(河出書房新社、2006年)に収録された作品解題。「経験と貧困」の冒頭に引かれた物語から出発して、ベンヤミンの物語作者論の要点を簡潔にまとめています。「ただし、若干、言い回しの変更を含みます。

『一方通行路』解題

『一方通行路』は都市の街路についてのテクストではなく、街路としてのテクストである。KAWADE道の手帖シリーズの一冊『ベンヤミン 救済とアクチュアリティ』(河出書房新社、2006年)に収録された作品解題。ただし、掲載された文章とは一部内容が異なります。

Ou bien ? アラン・レネのための10章

1990年代後半、アルノー・デプレシャンを筆頭とするフランスの若手監督たちの作品の批評的な参照点として、突如アラン・レネのフィルム群が(再)浮上した。彼のフィルムのどこに現在の映画作りを挑発する力が秘められているのだろうか? レネのフィルムの可能性をめぐる試論。初出は『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』24号、勁草書房、1998年。

モデルニテからモデルネへ 
-ベンヤミンによるボードレール-

ヴァルター・ベンヤミンのボードレール論『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』の第三章(「モデルネ」)の分析を手がかりに、ベンヤミンによる「モデルニテ」(ボードレール)解釈がもつ批評的な意味を考察しています。『ドイツ文学』105号(日本独文学会編、郁文堂、2000年)に掲載。