『ドイツ文化 55のキーワード』
このたびミネルヴァ書房の世界文化シリーズ第4巻として刊行された『ドイツ文化 55のキーワード』(宮田眞治、畠山寛、濱中春 編)に「ベルリン映画祭 都市の歴史とともに」という文章を寄稿しました。
このたびミネルヴァ書房の世界文化シリーズ第4巻として刊行された『ドイツ文化 55のキーワード』(宮田眞治、畠山寛、濱中春 編)に「ベルリン映画祭 都市の歴史とともに」という文章を寄稿しました。
表現文化学研究IV ●科目の主題今年度は、 一年間を通して映画理論の概論書 Film Theory. An Introduction through the Senses. を講読する。タイトルからも分かる通り、この著作では映画(理論)の様々な側面が、人間(観客)の諸感覚と諸器官… 続きを読む »2015年度 専門科目シラバス
このたび『都市文化研究』第17号に標題の論文が掲載されました。これは大阪市立大学文学部創立60周年記念シンポジウム「市大文学部と〈都市文化研究〉再考」で行った発表をベースにした論考です。大阪市立大学文学研究科(文学部)における「都市文化研究」への重点化の歩みをグローバルに進行する高等教育の構造変化と人文学の危機という文脈の中で考察しています。「エクセレンスの大学」(ビル・レディングズ)、日本とドイツにおけるエクセレンスの追求の政策的展開、人文学の危機と「リスクをはらんだ思考」(ハンス・ウルリヒ・グンブレヒト)といった論点を扱っていますので、国内外の大学改革をめぐる状況と人文知の可能性にご関心をお持ちの方にお読みいただけると光栄です。(追記 2018年6月18日 リンク先を機関リポジトリに変更しました。)
授業用教材としてアドルノの英語論文 “On Popular Music” を訳出しました。この論文は Studies in Philosophy and Social Science 誌に1941年に発表された論文ですが、成立時期が『啓蒙の弁証法』の「文化産業」の章に近く、そこで論じられている主題の多くがここでも扱われています。しかもそれらの主題が特定の対象(「ポピュラー音楽」)に即してかなり具体的かつ詳細に論じられているので、『啓蒙の弁証法』の「文化産業」の章よりもアドルノの考えの骨子を理解しやすくなっています。加えて、元々英語で発表されたためか、アドルノの文章としては異例なほど平明で、ストレートに書かれています。同時代のポピュラー音楽への言及も多く、アドルノのポピュラー音楽観を理解するには好適な文章でしょう。このエントリーは3部構成の第1部「音楽の素材」になります。
授業用教材としてアドルノの英語論文 “On Popular Music” を訳出しました。ウェブ版ではアドルノが言及している音楽に YouTube のリンクを張ってあります(リンク切れも更新しました)。このエントリーは3部構成の第2部「素材の提示」になります。
授業用教材としてアドルノの英語論文 “On Popular Music” を訳出しました。ウェブ版ではアドルノが言及している音楽に YouTube のリンクを張ってあります(リンク切れも更新しました)。このエントリーは3部構成の第3部「聴取者の理論」になります。
2003年1月に死去した映画作家、モーリス・ピアラの遺作 Garçu (邦題『パパと呼ばないで』)を中心に、ピアラの映画作りを考察しています。nobody #8(2003年) に掲載されました。
明石書店から出ているエリアスタディーズ・シリーズの新刊『『マドリードとカスティーリャを知るための60章』(川成 洋・下山 静香 編著)に「アルモドバルのいる街角––映画に息づくマドリード」という文章を寄稿しました。
nobody 33号(2010年)のエリック・ロメール追悼特集に寄稿しました。「sauvageなもの」(野生なもの)という観点から、ロメール作品に潜在する〈飼いならされざるもの〉の力を考察しています。主に論じられているのは、『レネットとミラベルの四つの冒険』、『聖杯伝説』、『緑の光線』、『グレースと公爵』の4作品です。なお、ウェブ掲載にあたって本文に若干の修正を加えています。
表現文化学研究IV ●科目の主題今年度は、 一年間を通してナラトロジー(物語分析)の基本文献の講読を行う。物語は小説のような文学作品だけでなく、マンガ、ゲーム、映画、テレビドラマなどの視覚的表現においても重要な役割を果たしている。また、物語は人間がみずからの世界経験を理解する基本… 続きを読む »2014年度 専門科目シラバス
1920年代末に始まったべルリン・アレクサンダー広場の改造計画の考察を出発点に、アルフレート・デーブリーンとライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが紡ぎ出した〈べルリン・アレクサンダー広場〉のイメージを、都市空間/文学/映画の横断的関係に注目しつつ考えてみました。ご一読いただけると光栄です。
いまだその驚くべき豊かさで私たちを圧倒してやまない映画作品『神の道化師、フランチェスコ』(ロベルト・ロッセリーニ監督、1950年)。その魅力を探る批評的エッセイです。 nobody #15(2004年) に掲載されました。ここに公開するバージョンでは、初出原稿に若干の加筆・訂正が加えられています。