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Wortfetzen

近松という参照点:『人間浄瑠璃』雑感

苦節30年、いよいよ本当に開館した大阪中之島美術館で、森村泰昌&桐竹勘十郎による『人間浄瑠璃 新・鏡影奇譚』を見てきた。私は近代の人形浄瑠璃の観客史に関心があり、大正から昭和までの資料を調べ、論文も書いているが、研究関心の消失点をなしているのは、リアルタイムで進行中の人形浄瑠璃の上演形態と観劇体験のラディカルな流動化である。2012年に橋下大阪市長が文楽に対… Read More »近松という参照点:『人間浄瑠璃』雑感

〈いま〉と〈ここ〉の複層性への旅
『映画愛の現在』三部作(佐々木友輔監督)

新作であれ旧作であれ、映画館で作品が公開されるタイミングというのは、「映画が生まれつつあるいまこのとき」といった意味合いで語られる「映画の現在」とはほとんと関係がない。ある作品がある特定の時点に私たちのもとに届くのは、市場(資本主義)がそれを望んだからであって、作品に内在する何らかの必然性がそれを要求したからではない。なので、ほとんどの場合、ある作品を劇場公… Read More »〈いま〉と〈ここ〉の複層性への旅
『映画愛の現在』三部作(佐々木友輔監督)

ポン・ジュノ or ホン・サンス? – ポン・ジュノ and ホン・サンス!
『ドライブ・マイ・カー』&『偶然と想像』

ナンニ・モレッティの『親愛なる日記』にとても好きな場面がある。それは三部構成の第一部「ベスパに乗って」の一場面で、モレッティが交差点で信号待ちをしていると隣にオープンカーがやってきて停車する。この車とそれを運転している男を見たモレッティは、不意にベスパから降りて男に近づき、一方的にまくしたてる。「悲しいことだけど、いつの日か社会がまとまになったとしても、僕は… Read More »ポン・ジュノ or ホン・サンス? – ポン・ジュノ and ホン・サンス!
『ドライブ・マイ・カー』&『偶然と想像』

傾きゆく世界に立つ /『彼女はひとり』

地方都市に住んでいると新作映画についてタイミングよくTwitter でつぶやくのが難しい。ハリウッドや邦画のメジャーな作品を除いて新作映画の公開日は東京から数週間から数ヶ月遅れるのが普通なので、ようやく見た時点ではたいていTwitter での盛り上がりの時期を過ぎている。もちろん、それでもつぶやけばいいのだけれど「旬を外している」感は否めず、自分の場合、「い… Read More »傾きゆく世界に立つ /『彼女はひとり』

ドイツと日本の総選挙の基礎データ比較(メモ)

今年の秋はドイツの連邦議会(Bundestag)と日本の衆議院で相次いで選挙があった。 ドイツでは誰も望んでいなかった大連立がようやく終わり、社会民主党(SPD)・緑の党(die Grünen)・自由民主党(FDP)の連立政権が成立しそうな流れ。日本では政権交替を望まない人々が投票者の多数を占めることが明瞭になり、現行の選挙制度が続く限り、少なくとも今後10… Read More »ドイツと日本の総選挙の基礎データ比較(メモ)

自由の制限を制限すること:法規制レジームと自粛レジーム

最近ドイツのニュースを読んだり見たりしていると、毎日のように、新型コロナウィルス対策としてなされる行動規制とその緩和を争点とする裁判とデモの報道がある。たとえば、最近話題になった事例として、ベルリンのシャルロッテンブルクのディスコが、ダンス禁止の州条例に異議を申し立て、ベルリンの行政裁判所が原告の訴えを認めた裁判がある。報道によれば、裁判所の判決は以下の通り… Read More »自由の制限を制限すること:法規制レジームと自粛レジーム

五輪開会式 – 真実のとき

2021年7月8日深夜、東京五輪が(ほぼ)無観客で開催されることに決まった。選手が気の毒だという意見もあるようだが、そもそも世界中で感染拡大が続いているときに世界最大のスポーツイベントを開催しようとすることが間違っている。この錯誤のためにどれだけ日本のコロナ対応が歪められ、(東京の)人々が苦しんできたことか。私が見るかぎり外国でも「まあしゃあない」「当然」「… Read More »五輪開会式 – 真実のとき

『涙の塩』− ガレルの映画の「見やすさ」について

アンスティチュ・フランセが主催する第三回映画批評月間でフィリップ・ガレルの新作『涙の塩』を見る。 ガレルの映画は基本的に見やすい。とりわけ『ジェラシー』(2013年)以後の一連の作品はとてつもなく見やすい。それらの作品を見ると、映画が映画として成立するために必要なものは何かということが手に取るようにわかる。「これだけあれば映画は成立する」という証明を、最小限… Read More »『涙の塩』− ガレルの映画の「見やすさ」について

『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』のフレーム
戯曲を映画に翻訳するということ

先日、国立国際美術館で開催された「松村浩行 レトロスペクティブ」でようやく『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』を見ることができた。この作品については、ずっと昔から、私が信頼する知人・友人に話を聞いていて、どこかで見る機会はないものかと思っていたので、唐突に降って沸いたような(もちろん実際にはそんなわけはなく、周到に準備されていたのだが… Read More »『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』のフレーム
戯曲を映画に翻訳するということ

美意識と不寛容

ヘルミニア・ツーア・ミューレン(Hermynia Zur Mühlen)の自伝的エッセイ “Ende und Anfang. Ein Lebensbuch” は、1928年11月から「フランクフルト新聞」に連載され、翌年フィッシャー社から書物として出版された。最近、この本を読んでいて、次のような一節に出会ったのでメモしておく。 Von… Read More »美意識と不寛容

愚か者たちのいない場所で / 『可傷的な歴史(ロードムーヴィー)』

京都のE9で田中功起の『可傷的な歴史(ロードムーヴィー)』を見る。 E9は劇場なので厳密には映画館ではないけれども、今回の上映のフォーマットは完全に映画館と同じだった。大きなスクリーンがあり、それに向き合うかたちで階段状に座席が並べられ、完全に暗転された状態で他のお客さんといっしょに同じ映像の投影を見つめる。完全に映画である。にもかかわらず、この作品からはま… Read More »愚か者たちのいない場所で / 『可傷的な歴史(ロードムーヴィー)』

Nonadherence is a matter of practicality, not psychology.

ドイツのアンゲラ・メルケル首相は昨年8月下旬にあった定例記者会見で、新型コロナウイルスを eine demokratische Zumutung と呼んで話題になった。Zumutung はとても翻訳しにくい言葉で、「なにか非常に厄介で、通常なら到底受け容れられないような事柄を他人に要求すること」を意味する。つまり、Covid-19 は、移動の自由、営業の自由… Read More »Nonadherence is a matter of practicality, not psychology.