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五輪開会式 – 真実のとき

2021年7月8日深夜、東京五輪が(ほぼ)無観客で開催されることに決まった。選手が気の毒だという意見もあるようだが、そもそも世界中で感染拡大が続いているときに世界最大のスポーツイベントを開催しようとすることが間違っている。この錯誤のためにどれだけ日本のコロナ対応が歪められ、(東京… 続きを読む »五輪開会式 – 真実のとき

『涙の塩』− ガレルの映画の「見やすさ」について

アンスティチュ・フランセが主催する第三回映画批評月間でフィリップ・ガレルの新作『涙の塩』を見る。 ガレルの映画は基本的に見やすい。とりわけ『ジェラシー』(2013年)以後の一連の作品はとてつもなく見やすい。それらの作品を見ると、映画が映画として成立するために必要なものは何かという… 続きを読む »『涙の塩』− ガレルの映画の「見やすさ」について

『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』のフレーム
戯曲を映画に翻訳するということ

先日、国立国際美術館で開催された「松村浩行 レトロスペクティブ」でようやく『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』を見ることができた。この作品については、ずっと昔から、僕が信頼する知人・友人に話を聞いていて、どこかで見る機会はないものかと思っていたので、唐突に… 続きを読む »『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』のフレーム
戯曲を映画に翻訳するということ

愚か者たちのいない場所で / 『可傷的な歴史(ロードムーヴィー)』

京都のE9で田中功起の『可傷的な歴史(ロードムーヴィー)』を見る。 E9は劇場なので厳密には映画館ではないけれども、今回の上映のフォーマットは完全に映画館と同じだった。大きなスクリーンがあり、それに向き合うかたちで階段状に座席が並べられ、完全に暗転された状態で他のお客さんといっし… 続きを読む »愚か者たちのいない場所で / 『可傷的な歴史(ロードムーヴィー)』

Nonadherence is a matter of practicality, not psychology.

ドイツのアンゲラ・メルケル首相は昨年8月下旬にあった定例記者会見で、新型コロナウイルスを eine demokratische Zumutung と呼んで話題になった。Zumutung はとても翻訳しにくい言葉で、「なにか非常に厄介で、通常なら到底受け容れられないような事柄を他人… 続きを読む »Nonadherence is a matter of practicality, not psychology.

セルゲイ・ロズニツァ 自由裁量の王国

 ロズニツァの『アウステルリッツ』(2016年)でもっとも驚かされるのは、被写体への関与の徹底した欠如だ。この映画には被写体と向きあうという契機がほとんど存在しない。撮影する側が被写体のふるまいや存在の仕方に影響を与え、撮影されることで被写体が変化するというようなプロセスが存在し… 続きを読む »セルゲイ・ロズニツァ 自由裁量の王国