ようやく二冊の大著の翻訳が終わるので、ずっと放置していた博士論文の加筆修正および出版に向けた作業を始めようと思います。ここではひとまず論文目次(詳細版)を掲載してみます。
この博士論文では、ヴァイマル共和国時代の群集(Masse)をめぐる言説の展開を、文学、思想、社会学、精神分析学などの言説ジャンルの境界を横断する視点から考察しています。このような領域横断的アプローチを採用することにより、この論文はヴァイマル共和国時代の群集をめぐる膨大かつ多様な言説の根底にある共通の理論的枠組み(パラダイム)を指摘し、さらにそのパラダイムが共和国の社会的状況の変化とも連動するかたちで二度にわたって大きく変容したことを明らかにしています。さらにまた、ヴァイマル共和国時代についての文学研究として、この論文は当時群集というテーマを媒介として文学作品と同時代の理論的言説とのあいだに生じた多様かつ密接な諸連関を照らし出すことを目指してもいます。これまでの文学作品に限定された研究においては見逃されがちであった当時の文学的実践の力学の一側面が明示されています。
Neue Beiträge zur Germanistik(ドイツ文学)130号の特集「群集と観相学/群集の観相学」(平野嘉彦責任編集)のために執筆した論文です。特集は近代の群集論を「ベンヤミン・モデル」と「カネッティ・モデル」に分類し、ドイツ語圏の作家・思想家を中心にそれぞれのタイプの群集論の歴史的展開を考察しています。
扱われている作家・思想家は、江戸川乱歩、萩原朔太郎、ルソー、ボードレール、ル・ボン、タルド、ポー、ホフマン、グリルパルツァー、ベンヤミン、デーブリーン、クライスト、ティリヒ、ガイガー、フェーデルン、フロイト、H・ブロッホ、カネッティなど。
学会誌としては(?)かなり充実した特集になっております。私は群集心理学の章を担当しました。
交通都市と欲望の迷宮
デーブリーン/ファスビンダーの〈べルリン・アレクサンダー広場〉
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1920年代末に始まったべルリン・アレクサンダー広場の改造計画の考察から出発して、アルフレート・デーブリーンとライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが紡ぎ出した〈べルリン・アレクサンダー広場〉のイメージについて、都市空間/文学/映画の横断的関係に注目しつつ考えてみました。ご一読いただけると光栄です。
本論文は、20世紀前半のドイツ語圏において生み出された群集をめぐる思考の展開を考察する研究の一部です。ここでは、1920年代の中頃に形成された群集論の新たなパラダイムについて考察しています。
『表現文化』(大阪市立大学大学院文学研究科表現文化学教室) no. 2.、2007年に掲載。
1990年代後半、アルノー・デプレシャンを筆頭とするフランスの若手監督たちの作品の批評的な参照点として、突如アラン・レネのフィルム群が(再)浮上した。彼のフィルムのどこに現在の映画作りを挑発する力が秘められているのだろうか? レネのフィルムの可能性をめぐる試論。
トルストイの小説は、タヴィアーニ兄弟の手によって愛の物語としてではなく、愛へと到達する過酷な道程としてスクリーン上に甦る。『映画芸術』(405号、2003年)に掲載。
In diesem Aufsatz geht es um die Relevanz der “Ekstase” im Massendiskurs der 1920er Jahre im deutschsprachigen Raum. (In: Neue Beiträge zur Germanistik, 2004 Band 3, Indicium Verlag, München.)
PDF版 (227KB)
文学テクストの映画化において、フィルムの真の対象とは何か? ロメールによる文学作品の翻案を考察する。カイエ・デュ・シネマ・ジャポン(第26号)、1998年、勁草書房に掲載。
KAWADE道の手帖シリーズの一冊『ベンヤミン 救済とアクチュアリティ』(河出書房新社、2006年)に収録された作品解題。若干の修正が加えられています。
KAWADE道の手帖シリーズの一冊『ベンヤミン 救済とアクチュアリティ』(河出書房新社、2006年)に収録された作品解題。ただし、掲載された文章とは一部内容が異なります。
