High Seas Drifter 『侵入者』(クレール・ドゥニ監督)
テクストからフィルムへ、一個の心臓が密輸される。そしてこのよそ者の侵入とともに、いたるところで数々の多様な侵入の端緒が開かれる。ジャン=リュック・ナンシーのエッセイをクレール・ドゥニはどのように映画化したのか。nobody #17 (2005年)に掲載。
テクストからフィルムへ、一個の心臓が密輸される。そしてこのよそ者の侵入とともに、いたるところで数々の多様な侵入の端緒が開かれる。ジャン=リュック・ナンシーのエッセイをクレール・ドゥニはどのように映画化したのか。nobody #17 (2005年)に掲載。
boid paper #11に寄稿したエッセイを公開します。boid paper 掲載時の文章に若干の加筆修正が加えられています。
『5 Windows』(瀬田なつき監督)の東京上映はすでに終了しましたが、関西ではこれから公開予定です。とても魅力的な作品ですので、公開の折りにはぜひご覧ください。
2010年1月に横浜で開催された映画祭「未来の巨匠たち」で上映された桝井孝則監督作品『夜光』に拙文を寄せました。執筆・掲載が遅かったので紹介文としての役目はあまり果たせませんでしたが。映画祭の公式サイトがいつまであるのかわからないので、こちらにも転載しておきます。なお、公式サイト掲載のものとは若干表現の異なる箇所があります。『夜光』はまだこれからもきっと上映機会があると思いますので、その際にはぜひご覧ください。
キューブリックが最後の作品で対峙したものは何であったのか? みずからのフィルモグラフィーの終章としてキューブリックが撮りあげた『アイズ・ワイド・シャット』を考察しています。初出は本作の日本公開時の2000年です。
内容はタイトルのとおり、青山真治作品におけるDowser(長嶌寛幸+寺井昌輝)の仕事についてです。2007年4月21日に開催された爆音上映オールナイトイベントに合わせてboidが発行したフリーパーパー boid PAPER No.3 に掲載。若干の加筆がなされています。
「ファスビンダー DVD-BOX1」の発売に合わせて書いたレビューです。ですので、このBOXに収録された3作品(『愛は死よりも冷酷』、『自由の代償』、『マリア・ブラウンの結婚』)を中心に論じてていますが、『四季を売る男』以降のメロドラマにも触れています。なお初出は2005年で、ここに掲載されるバージョンでは初出に若干の修正が加えられています。
『この世の外へ クラブ進駐軍』(阪本順治監督)にはある戦いが描かれている。しかし、この作品のなかで実際にそれが描写されるのは、最後の十数分間のことに過ぎない。ではそれはいかなる戦いであったのか。nobody #11(2004年)に掲載。
文学テクストの映画化において、フィルムの真の対象とは何か? ロメールによる文学作品の翻案を考察する。カイエ・デュ・シネマ・ジャポン(第26号)、1998年、勁草書房に掲載。
2006年7月に船場アートカフェで開催された映画祭「リュック・フェラーリ・フェスティバル 世界のざわめき、音の記憶」のパンフレットに掲載した文章を公開します。ウェブ掲載にあたって、一部改稿されています。
瀬田なつき監督の短編作品『あとのまつり』についてのエッセイをアップします。2010年3月13-14日に大阪で開催された映画祭〈Natsuki Seta Hours〉に合わせて発行されたパンフレットに寄稿したものです。パンフ掲載時の文章に加筆修正が加えられています。
KAWADE道の手帖シリーズの一冊『ベンヤミン 救済とアクチュアリティ』(河出書房新社、2006年)に、ベンヤミンのテクストの作品解題を3つ執筆しました。この文章では「1900年頃のベルリンの幼年時代」の複雑な成立過程と改稿のプロセスで生じた変化、そしてそれが意味する事柄について、簡潔に述べています。なお初出から若干の修正が加えられています。
KAWADE道の手帖シリーズの一冊『ベンヤミン 救済とアクチュアリティ』(河出書房新社、2006年)に収録された作品解題。「経験と貧困」の冒頭に引かれた物語から出発して、ベンヤミンの物語作者論の要点を簡潔にまとめています。「ただし、若干、言い回しの変更を含みます。