2024年版『蛇の道』雑感黒沢作品の現在についてのメモ
先日の出町座でのトークでも少し話したけれど、黒沢清監督の近年の作品は、あからさまな反復の印のもとにある。蒼井優に始まり(『贖罪』第一話、2011年)蒼井優で終った(『スパイの妻』、2020年)10年間の黒沢作品が、一見するとじつに多彩で、自己反復を拒否するかにみえながら、ときに抑… Read More »2024年版『蛇の道』雑感黒沢作品の現在についてのメモ
先日の出町座でのトークでも少し話したけれど、黒沢清監督の近年の作品は、あからさまな反復の印のもとにある。蒼井優に始まり(『贖罪』第一話、2011年)蒼井優で終った(『スパイの妻』、2020年)10年間の黒沢作品が、一見するとじつに多彩で、自己反復を拒否するかにみえながら、ときに抑… Read More »2024年版『蛇の道』雑感黒沢作品の現在についてのメモ
2024年秋に日本独文学会で開催されたシンポジウムにもとづく論集がオンライン刊行されました。同シンポジウムでは、2000年代以降に人文学諸分野で生じた群集(Masse)という主題の再浮上と、それに伴う19世紀末以来の群集をめぐる思考の枠組みの捉え直しに注目し、集団の行動 (ふるまい)に関する新たな知見も視野に収めつつ、今日的な視点から両大戦間のドイツ語圏の文学にみられる群集表象を再検討することを試みました。本論集はそこでの発表をベースにしつつも、全面的に改稿された論考から構成されています。具体的には、アルフレート・デープリン、ヘルマン・ブロッホ、エルンスト・ユンガー、フロイト、マルティン・ケッセル、クラカウアーといった作家のテクストに現れる群集の表象と群集をめぐる思考が論じられます。
2023年3月18日に名古屋芸術文化センターで開催されるダンス・スコーレ特別講座・公開シンポジウム「ダンスと人形」で発表を行います。第二次世界大戦以前の歴史的アヴァンギャルドにおける「動き」の表現 を、「人形」あるいは「人形的なもの」との関係で考察することがシンポジウムの全体テーマであるようです。私は人形浄瑠璃の動きの表現と歴史的アヴァンギャルドにおける人形的なものへの関心との接点とすれ違いについて報告する予定です。
三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)が音の映画であることはすでに各所で論じられているし、監督自身も音の重要性について語っているけれども、この映画の「音声」において、「音」と「声」が対極的とも言える機能を担っていることは、あまり語られていないように思う。私が映画館(い… Read More »隔てる音と架橋する声 / 『ケイコ 目を澄ませて』
5月28日より順次全国で公開されるオムニバス映画『MADE IN YAMATO』のパンフレットに短い文章を寄稿しました。竹内里紗監督の「まき絵の冒険」という作品について書いています。ふたりの女性に捧げられた素晴らしい作品です。このオムニバス映画については、どうも大和市を舞台にしているという企画性が強調されすぎているような気がするので、ごくシンプルに映画として魅力的な作品が結集していることを強調したいと思います。サイトスペシフィックな企画性だけで見られてしまうのでは、あまりにももったいない作品群です。ぜひご覧ください。
ペドロ・アルモドバルの『グロリアの憂鬱』(1984年)は、とても印象的なクレーンショットからはじまる。この映画はマドリード市の東側、M-30と呼ばれる環状高速道路に隣接したコンセプシオン地区を舞台にしているが、カメラはまずそれほど大きくない広場で撮影の準備をしている映画のロケ隊を… Read More »If One Thing Matters, Everything Matters. / 「まき絵の冒険」(『MADE IN YAMATO』)
青山真治監督が亡くなった。私は監督に近い人からなんとなく状況を聞いていたので、心の準備をしながら最近の日々を過ごしていた。もしなにも知らずに訃報に触れていたならば、ほんとうに打ちのめされるようなショックを受けただろうと思う。もちろん喪失感は大きい。監督が boid マガジンに連載… Read More »最高にかっこいい映画監督
新作であれ旧作であれ、映画館で作品が公開されるタイミングというのは、「映画が生まれつつあるいまこのとき」といった意味合いで語られる「映画の現在」とはほとんと関係がない。ある作品がある特定の時点に私たちのもとに届くのは、市場(資本主義)がそれを望んだからであって、作品に内在する何ら… Read More »〈いま〉と〈ここ〉の複層性への旅 『映画愛の現在』三部作(佐々木友輔監督)
青山真治監督が多摩美術大学で教鞭を執っていたときに学生たちと制作したした『FUGAKU』シリーズが、ストリーミングサイト GHOST STREAM で配信されることになりました。配信開始に合わせて、3つの中編からなるこのシリーズのユニークな魅力について、いくつかの切り口から考察しました。作品鑑賞と合わせてご一読いただければ幸いです。
授業で使用するために日本語に訳した文章を公開します。今回翻訳したのは、Rick Altman: The American Film Musical. (Indiana University Press, 1987) の第4章 The Style of the American Film Musical にある “Audio Dissolve” と題された1節です。訳出した部分では、ミュージカル映画における音楽の機能的特徴、そして歌・音楽・ダンスの結びつきが明晰に論じられています。
授業用教材として翻訳したフィリップ・オースランダーの文章を公開します。 Philip Auslander: Liveness. Performance in A Mediatized Culture (Second Edition, 2008) の第2章 “Live performance in a mediatized culture” の部分訳です。オースランダーの著作は複製技術メディアとライヴ的なものの関係を議論するさいの基本文献として、いまなお重要性を失っていないと思います。今回はオースランダーによるライヴ性(Liveness)概念の再検討の中核をなす部分を取り出して訳出しています。
宮崎大祐監督の新作『VIDOEPHOBIA』について、批評的論考を boid マガジンに寄稿しました。
極端に個性的なランドマーク的景観と極端に没個性な匿名的景観が隣り合う大阪特有の都市空間に、映画がどのようにアプローチしうるのかという点でも非常に興味深い作品になっています。『大和(カリフォルニア)』や『TOURISM』で磨かれた現代の都市空間への眼差しが、大阪を舞台に存分に発揮された魅力的な作品です。