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『MADE IN YAMATO』のパンフレットに文章を寄せました

5月28日より順次全国で公開されるオムニバス映画『MADE IN YAMATO』のパンフレットに短い文章を寄稿しました。竹内里紗監督の「まき絵の冒険」という作品について書いています。ふたりの女性に捧げられた素晴らしい作品です。このオムニバス映画については、どうも大和市を舞台にしているという企画性が強調されすぎているような気がするので、ごくシンプルに映画として魅力的な作品が結集していることを強調したいと思います。サイトスペシフィックな企画性だけで見られてしまうのでは、あまりにももったいない作品群です。ぜひご覧ください。

If One Thing Matters, Everything Matters. / 「まき絵の冒険」(『MADE IN YAMATO』)

ペドロ・アルモドバルの『グロリアの憂鬱』(1984年)は、とても印象的なクレーンショットからはじまる。この映画はマドリード市の東側、M-30と呼ばれる環状高速道路に隣接したコンセプシオン地区を舞台にしているが、カメラはまずそれほど大きくない広場で撮影の準備をしている映画のロケ隊を… 続きを読む »If One Thing Matters, Everything Matters. / 「まき絵の冒険」(『MADE IN YAMATO』)

最高にかっこいい映画監督

青山真治監督が亡くなった。私は監督に近い人からなんとなく状況を聞いていたので、心の準備をしながら最近の日々を過ごしていた。もしなにも知らずに訃報に触れていたならば、ほんとうに打ちのめされるようなショックを受けただろうと思う。もちろん喪失感は大きい。監督が boid マガジンに連載… 続きを読む »最高にかっこいい映画監督

〈いま〉と〈ここ〉の複層性への旅
『映画愛の現在』三部作(佐々木友輔監督)

新作であれ旧作であれ、映画館で作品が公開されるタイミングというのは、「映画が生まれつつあるいまこのとき」といった意味合いで語られる「映画の現在」とはほとんと関係がない。ある作品がある特定の時点に私たちのもとに届くのは、市場(資本主義)がそれを望んだからであって、作品に内在する何ら… 続きを読む »〈いま〉と〈ここ〉の複層性への旅
『映画愛の現在』三部作(佐々木友輔監督)

映画が姿をあらわすとき
『FUGAKU』シリーズのためのいくつかの補助線

青山真治監督が多摩美術大学で教鞭を執っていたときに学生たちと制作したした『FUGAKU』シリーズが、ストリーミングサイト GHOST STREAM で配信されることになりました。配信開始に合わせて、3つの中編からなるこのシリーズのユニークな魅力について、いくつかの切り口から考察しました。作品鑑賞と合わせてご一読いただければ幸いです。

アメリカのミュージカル映画のスタイル(リック・アルトマン)

授業で使用するために日本語に訳した文章を公開します。今回翻訳したのは、Rick Altman: The American Film Musical. (Indiana University Press, 1987) の第4章 The Style of the American Film Musical にある “Audio Dissolve” と題された1節です。訳出した部分では、ミュージカル映画における音楽の機能的特徴、そして歌・音楽・ダンスの結びつきが明晰に論じられています。

メディア技術に媒介された文化におけるライヴ・パフォーマンス(フィリップ・オースランダー)

授業用教材として翻訳したフィリップ・オースランダーの文章を公開します。 Philip Auslander: Liveness. Performance in A Mediatized Culture (Second Edition, 2008) の第2章 “Live performance in a mediatized culture” の部分訳です。オースランダーの著作は複製技術メディアとライヴ的なものの関係を議論するさいの基本文献として、いまなお重要性を失っていないと思います。今回はオースランダーによるライヴ性(Liveness)概念の再検討の中核をなす部分を取り出して訳出しています。

名前のない街、顔のない女 『VIDEOPHOBIA』試論

宮崎大祐監督の新作『VIDOEPHOBIA』について、批評的論考を boid マガジンに寄稿しました。
極端に個性的なランドマーク的景観と極端に没個性な匿名的景観が隣り合う大阪特有の都市空間に、映画がどのようにアプローチしうるのかという点でも非常に興味深い作品になっています。『大和(カリフォルニア)』や『TOURISM』で磨かれた現代の都市空間への眼差しが、大阪を舞台に存分に発揮された魅力的な作品です。

映画川 『大和(カリフォルニア)』

boidマガジンに映画評を寄稿しました。今回は宮崎大祐監督の『大和(カリフォルニア)』について書いています。本作は2018年4月7日より、新宿のK’s cinema を皮切りに全国6都市の映画館で順次公開されることになっています。米軍厚木基地の立地である大和市を舞台にしたこの作品は、日本とアメリカの関係を主題にした作品としてだけでなく、今日の地方都市の匿名的で貧しい風景と映画がいかに向き合うのかという点でも、ヒップホップの思想と音楽性を物語の中枢に導入する試みとしても、非常に野心的な作品になっています。

『名前のない森』短評(ベルリン映画祭報告より)

京都みなみ会館の「さよなら興行」で青山真治監督の『名前のない森』が久方ぶりに上映されるということなので、かなり以前に書いた文章を発掘しました。
この短文の批評は 2002年に boid.net(旧サイト時代)に掲載された「ベルリン映画祭報告」の一部で、ちょうどベルリン留学中だった私は、フォーラム部門に出品された本作品の上映に駆けつけたのでした。そして1回見ただけの印象を頼りに深夜一気に書き下ろして、樋口泰人さんにメールした記憶があります。作品の観賞に資するところがあれば幸いです。

千の声、千の眼差しがひとつになるとき −ジャンダルメン・マルクトでの出来事−

かつてドイツ学術交流会(DAAD)の「友の会」の年報『ECHOS』に寄稿した小文のことを思い出したので蔵出しします。
DAAD東京事務所開設30周年を記念して発刊されたこの年報では、DAADの給費留学生としてドイツの大学に留学した人々がみずからの留学体験を振り返る文章を寄せていました。そこで私はベルリン・ジャンダルメンマルクトで体験した出来事について書いています。私が群集という主題に取り組むきっかけとなった出来事のひとつです。ご笑覧ください。

映画川『ありがとう、トニ・エルドマン』

3月に続いて boid マガジンに映画評を寄稿しました。
今回取り上げたのは、昨年のカンヌ映画祭で大いに評判を呼び、国際的に批評的成功を収めたドイツ映画『ありがとう、トニ・エルドマン』(マーレン・アーデ監督)です。劇場公開前の掲載ということで、普段はまったく意に介さないのですが、一応ネタバレしないように配慮して書いています。
私はこの見事な作品の根底に、gnadenlos あるいは knallhart というドイツ語で形容するのがふさわしい感触を得ました。それはコメディの外観によって巧みに隠された眼差しの厳しさです。今回のレビューはこの感触をめぐって書かれています。同時にこの作品を背後で支える「コンプリーツェン・フィルム」という制作会社のこと、そして近年のドイツ映画に観察される才能豊かな女性監督の台頭についても触れています。