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映画川『ありがとう、トニ・エルドマン』

3月に続いて boid マガジンに映画評を寄稿しました。
今回取り上げたのは、昨年のカンヌ映画祭で大いに評判を呼び、国際的に批評的成功を収めたドイツ映画『ありがとう、トニ・エルドマン』(マーレン・アーデ監督)です。劇場公開前の掲載ということで、普段はまったく意に介さないのですが、一応ネタバレしないように配慮して書いています。
私はこの見事な作品の根底に、gnadenlos あるいは knallhart というドイツ語で形容するのがふさわしい感触を得ました。それはコメディの外観によって巧みに隠された眼差しの厳しさです。今回のレビューはこの感触をめぐって書かれています。同時にこの作品を背後で支える「コンプリーツェン・フィルム」という制作会社のこと、そして近年のドイツ映画に観察される才能豊かな女性監督の台頭についても触れています。

群集の行動とディスポゼッションの理論
ヴァイマル共和国時代の群集表象の批判的再検討にむけて

このたび大学の紀要に「群集の行動とディスポゼッションの理論 −ヴァイマル共和国時代の群集表象の批判的再検討にむけて−」というタイトルの論文を執筆しました。これは私が従来から取り組んでいるヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説史的研究に関連し、その理論的枠組をアップデートするために書かれたものです。近年、世界各地の都市で展開した新しいタイプの抗議運動を背景として、人々の「共同行動」や集団のパフォーマンスをめぐる理論的考察が活性化していますが、この論考ではそうした近年の理論的動向から特にジュディス・バトラーの「集会」(assembly)と「蜂起」(uprising)をめぐる考察を取り上げ、そこで提出されている理論的枠組や視座が、ヴァイマル共和国時代の群集をめぐる言説の分析にいかなる寄与をなしうるのかを検討しています。
あくまでも予備的な考察という位置づけの論考ですが、ご笑覧いただけると幸いです。

2017年度 専門科目シラバス

表現文化学研究4 ● 科目の主題近年の視聴覚文化を観察すると、メディアテクノロジーとライヴ感覚の関係を再編成するような動きが見出される。仮想現実や拡張現実のような発展著しい分野だけでなく、映画や舞台表現などの分野でも、メディアとライヴ感覚を結びつける新たな試みが登場している(MX… Read More »2017年度 専門科目シラバス

「不実なる忠実さ」の系譜
書評 『〈救済〉のメーディウム』

表象文化論学会の学会誌『表象』11号に書評を寄稿しました。竹峰義和氏の著書『〈救済〉のメーディウム––ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会)の内容を紹介しつつ、若干のコメントを加えています。(学会誌の書評ということで、少し生真面目に書きすぎたかな・・・という気も。)

《クラウス・ウィボニー レトロスペクティヴ》

これまで日本で紹介されることのなかったドイツの映像作家、クラウス・ウィボニー監督の上映会が同志社大学で開催されます。監督自身も来日し、作品上映後には赤坂太輔さんとの対談が行われます。私も通訳としてサポートする予定です。ウィボニー監督の作品に触れる貴重な機会ですので、ぜひご来場ください。

2016年度 専門科目シラバス

表現文化学演習4 ●科目の主題今年度は、一年間を通して映画研究者 D・N・ロドウィックの著作 The Virtual Life of Film を講読します。この本でロドウィックは、映像のデジタル化が映画表現と映画理論にもたらす諸帰結を議論しています。フィルムの消滅(アナログ媒体… Read More »2016年度 専門科目シラバス

美しき廃墟の前で
アルノー・デプレシャン 『あの頃エッフェル塔の下で』試論

東京では昨年末に公開され、関西ではこれから公開になるアルノー・デプレシャンの新作『あの頃エッフェル塔の下で』について、批評的な文章(「美しき廃墟の前で」)を『nobody』44号に寄稿しました。
この作品は国内外の映画批評家が選ぶ2015年のベストテンにもたびたび登場した秀作ですが、デプレシャンのこれまでの映画作りのエッセンスを凝縮したような、とても魅力的な作品になっています。私の論考ではデプレシャンの初期作品(特に『魂を救え!』と『そして僕は恋をする』)と関係づけならが、この作品が描き出す豊かな時間のイメージを考察しています。

〈映画都市〉としてのマドリード 
アルモドバルの初期作品における都市表象をめぐって

本論文では、スペインの映画作家ペドロ・アルモドバルの二本の初期作品に描かれる都市の表象を「映画都市」(cinematic city)の観点から考察しています。
「映画都市」とは、映画における都市表象の研究において、特に2000 年以降盛んに議論されるようになった概念ですが、映画と都市との多面的な結びつきを考えるにあたって有益な観点を提出しています。
この論文ではまずアルモドバルとマドリードの関係を概観した後に、映画都市の概念を検討し、それをアルモドバルの初期作品に登場する都市の表象の分析に援用することによって、それらの作品に見られる映画と都市経験の結びつきを具体的に考察することを試みています。『表現文化』第9号所収、36-67頁、2015年。

エクセレンスの大学、人文学、都市

このたび『都市文化研究』第17号に標題の論文が掲載されました。これは大阪市立大学文学部創立60周年記念シンポジウム「市大文学部と〈都市文化研究〉再考」で行った発表をベースにした論考です。大阪市立大学文学研究科(文学部)における「都市文化研究」への重点化の歩みをグローバルに進行する高等教育の構造変化と人文学の危機という文脈の中で考察しています。「エクセレンスの大学」(ビル・レディングズ)、日本とドイツにおけるエクセレンスの追求の政策的展開、人文学の危機と「リスクをはらんだ思考」(ハンス・ウルリヒ・グンブレヒト)といった論点を扱っていますので、国内外の大学改革をめぐる状況と人文知の可能性にご関心をお持ちの方にお読みいただけると光栄です。(追記 2018年6月18日 リンク先を機関リポジトリに変更しました。)