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海老根 剛(Takeshi Ebine)

『夜光』について

2010年1月に横浜で開催された映画祭「未来の巨匠たち」で上映された桝井孝則監督作品『夜光』に拙文を寄せました。執筆・掲載が遅かったので紹介文としての役目はあまり果たせませんでしたが。映画祭の公式サイトがいつまであるのかわからないので、こちらにも転載しておきます。なお、公式サイト掲載のものとは若干表現の異なる箇所があります。『夜光』はまだこれからもきっと上映機会があると思いますので、その際にはぜひご覧ください。

映画を脅かす不可視の影
– スタンリー・キューブリック『アイズ・ワイド・シャット』

キューブリックが最後の作品で対峙したものは何であったのか? みずからのフィルモグラフィーの終章としてキューブリックが撮りあげた『アイズ・ワイド・シャット』を考察しています。初出は本作の日本公開時の2000年です。

見えざるもののリアルな手触り
Dowser(長嶌寛幸+寺井昌輝)のサウンドワーク

内容はタイトルのとおり、青山真治作品におけるDowser(長嶌寛幸+寺井昌輝)の仕事についてです。2007年4月21日に開催された爆音上映オールナイトイベントに合わせてboidが発行したフリーパーパー boid PAPER No.3 に掲載。若干の加筆がなされています。

ファスビンダー解禁!
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーDVD-BOX1

「ファスビンダー DVD-BOX1」の発売に合わせて書いたレビューです。ですので、このBOXに収録された3作品(『愛は死よりも冷酷』、『自由の代償』、『マリア・ブラウンの結婚』)を中心に論じてていますが、『四季を売る男』以降のメロドラマにも触れています。なお初出は2005年で、ここに掲載されるバージョンでは初出に若干の修正が加えられています。

いかにして息子たちの音楽への愛は優しき父親の悲しみに屈したのか
『この世の外へ クラブ進駐軍』

『この世の外へ クラブ進駐軍』(阪本順治監督)にはある戦いが描かれている。しかし、この作品のなかで実際にそれが描写されるのは、最後の十数分間のことに過ぎない。ではそれはいかなる戦いであったのか。nobody #11(2004年)に掲載。

『ヴィデオ 再帰的メディアの美学』

このたびドイツのメディア美学研究者イヴォンヌ・シュピールマンのヴィデオ論『ヴィデオ 再帰的メディアの美学』(三元社)の翻訳および監訳を担当しました。この書物は、ヴィデオというメディアのテクノロジー的基盤と美的表現の多様な展開を透徹した視点から論じた研究として、いまのところ類書のないヴィデオ研究の成果となっています。

自然の文化史 − 文化学の一領域
(ハルトムート・ベーメ 著)

ベルリン・フンボルト大学文化学研究所で文化理論領域の教授を務めたハルトムート・ベーメ(Hartmut Böhme)氏による論考です。2000 年に出版された文化学(Kulturwissenschaft)の入門書に収録されています。英米のカルチュラルスタディーズとは異なるアクセントを持つベルリン文化学の特徴のひとつである「自然の文化史」という主題を簡潔に概観しています。初出は『表現文化』(大阪市立大学大学院文学研究科表現文化学教室) no. 1、2006年 です。

ヴィデオ美学:テクノロジーからメディアへ

このたび以下の日程でドイツのメディア学者イヴォンヌ・シュピールマン氏を招いた講演会を開催することになりました。 日時:11 月 12 日 ( 土 )14:00~16:30 (開場 13:30 ) 会場:京都国立近代美術館 1 階講堂 (先着 100 席) 講演+参考作品上映 14… 続きを読む »ヴィデオ美学:テクノロジーからメディアへ